くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

細野豪志発言の狙いはどこにある?: 生方幸夫副幹事長解任をめぐって

2010年03月21日 | Weblog
以下、ネットより抜粋。

民主党の細野豪志副幹事長は21日、テレビ朝日の番組に出演し、党執行部が小沢一郎幹事長を批判した生方幸夫副幹事長の解任を決めたことについて「トータルに見たときに民主党にとってはダメージがあった」との認識を示した。その上で、生方氏に「自由に議論をする場をもう一度つくるから協力してほしい」と呼び掛けた。

この発言をどう捉えたらよいのだろうか。

表向きはどうであれ、事実上生方解任が小沢の意向に沿ったものである以上、このような発言は、小沢批判として捉えられても致し方あるまい。

昨年末、私は細野という「裏切り体質」の男は、いずれ小沢をも裏切ると予想したが、生方解任に対する党内外の風当たりの強さや、以前からのカネの問題をめぐる世論の小沢に対する批判的姿勢をみて、ついに小沢から距離を置くようになったということか。

もしそうなら、細野はいずれ呂布のような末路を辿ることになるのではないだろうか。別にあんな三文政治家の一人や二人、どうなろうとも天下国家には関係ないことだ。

あるいは、小沢の意を呈しての発言なのか。つまり、小沢は細野を使って党内の「火消し」をさせようということなのだろうか。もしそうであれば、おそらく生方解任で党にダメージを与えた責任は、当然のことながら、小沢本人ではなく、誰か他の者に取らせて詰め腹を切らせるということではないのか。とすれば、いけにえになるのは、生方とのやり取りでメディアの注目を集めたTあたりか?

いや、そんな浅はかなことはしないか? 有権者もバカではない。Tを切ったところで、小沢の身代わりだと即座に見破られ、小沢への批判は更に激化するだけであろう。そうした危険性を読めぬほどの能無しではないはずだ、小沢も、細野も。

細野発言の真意とその出所、実に興味のあるところである。
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八代亜紀が歌う「とってもラッキーマン」の主題歌

2010年03月21日 | Weblog
アニマックスで再び「とってもラッキーマン」を放映しているが、私はその主題歌が好きだ。

歌うのは、八代亜紀。それ自体驚きなのだが、出だしも彼女の大ヒット曲「舟歌」である。

歌中に「あなたは今幸せですか?」、「わたしいつも幸せです」というくだりがあるが、
私的にはここが一番好きで、クルマを運転中にもつい口ずさんでしまう。

そして、この歌詞があるからこそ、八代亜紀が歌って正解だったと思う。彼女の声と歌い方が妙にその部分に合っているように思うのだ。

振り返れば、ここ4年程は、私の人生のなかでかつてないほどに有為転変の激しい時期だったように思う。もっとも、それまでは平平凡凡、順風満帆、自分で言うのもなんだが「ラッキーマン」であったので、他人から見たら大したことではないのかもしれないが、私にとっては「激動」と言っても過言ではないものであった。私の置かれた状況を知る知人、友人のなかには、「よくもまあ、これだけ次々と不運なことが起こるものだなあ・・」と私に同情し、あわれむ者もいた。特に最初の2年は、公私にわたって立て続けに予期せぬ事態が発生して、肉体的にも精神的にきつかった。体を二つと言わず三つくらいに割くことができたらと思うほどに多忙を極めることもあれば、まったく先行きが見えなくなり「板子一枚その下は」的に追い詰められた心境になったこともあった。

子供たちと手をつないで歩きながら見た夕日がつらいときもあった。

ただ、人生踏ん張りどころというものがあるようで、逃げず、誤魔化さずにやってきたら、一昨年の後半くらいから随分と楽になってきた。それまでがウソのようにおおよそのことが上手く動き出すようになってきた。上述の知人いわく、「人によっては、自暴自棄になったり、自殺したくなるような状況だったけど、よく乗り切ったねえ。」と。それは一寸大げさだと思うが、「危機」を乗り切ったという感触は自分自身にもある。かりにまた同じような状況に陥っても、また乗り越えられるような気もする。

禍福はあざなえる縄のごとし、とはよく言ったものである。4年前に生活環境が突如悪い方向へと転がり出した時には、世界中の不幸を一身に背負ったかのような気持ちにもなったが、今思うと、その時の「最大の不幸」が今の幸せの出発点であったと思う。科学では証明できないような不思議なめぐり合わせ、かみ合わせが生じて、歯車が良い方向へ良い方向へと進み始めているのが今なのである。

そのとき受けた周囲から受けた援助や同情に対する感謝を決して忘れてはなるまい。それなくして乗り越えることはできなかった。私の不幸は家族の不幸にもなり、家族、親せきには少なからぬ心労と迷惑をかけてしまったことを詫びねばなるまい。

4年前、3年前の私が「あなたは今幸せですか?」と問われたら、間違いなく「いいえ」と答えたであろう。いや、もしかしたら、やせ我慢して「はい」と答えたかもしれないが、きっと表情はウソをつくことはできなかったであろう。

「あなたは今幸せですか?」

「私いつも幸せですー!」今ならウソ偽りのない気持ちでそう答えることができる。
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