くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

豊田社長の会見

2010年02月06日 | Weblog
ありゃ、見た目的に全然ダメだわ。

別に、イケメンじゃないとか、そういうのではない。そもそも豊田家は美形の家系じゃないだろ!

そんなのはどうでもいい。要は会見の内容もさることながら、見せ方。

あんなんでは、海外、特に米国ではマイナスにこそ働きこそすれ、プラスにはならない。もっとも、社長が出てくるのが遅すぎたという、それ以前の問題もある。

誠意を感じたか否かはさておき、スピード、演出つまりアピール力がなくては今の時代だめなのに・・・。

大企業病ということもあるのだろうが、あの豊田家の御曹司、大丈夫かね。正直いうと創業家社長だからというんじゃないが、「この人ならいけるんじゃないか」と思っていただけに、メガネ違いだったのかな?


それにしても、米国メディア、昨年のフォードの大量リコールの時は随分静かだたのにねえ・・・。「なんでだろう?」そもそも、リコール続きのビッグスリーが今更大量リコール出しても「またか」ってことで驚かなかった。その逆でトヨタの場合にはあまりにも、対応のずさんさを含めて「あのトヨタが」って感じで意外だったから騒ぐ? そうじゃないような気がするのは、私だけじゃないですよね? まあ、某州のひも付き議員連中たちがうごめいているのは別段驚くことでもないんだろうけど、フォードに比べて、っていうところの理由は他にもあるんだろうと思います。別に米国だからとか米国人だからとかいうんじゃなくて、どこの国にも多かれ少なかれ存在する感情が背景に。どうしたって人間、自分や自分の家族、自分の国、自分と同じ民族・人種がかわいいもんねえ・・。

それにしても、トヨタって会社、いつまでたっても田舎者なんだなあ・・・とつくづく。所詮は三河の何とやら。尾張出身の私の祖父は「三河の連中は・・」ってよくある種の上から目線で言っていたものですが、それが昔の尾張人の三河人観でした。偏見といえば偏見なんだろうけど、やっぱ、三河人とその「ケチな田舎者」が作った企業の企業風土はかわらないのかねえ・・・。だから、あの会社のクルマはパッケージングがだめ? ってことかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十七代目勘三郎追善: 「じいさんばあさん」

2010年02月06日 | Weblog
先代勘三郎も17回忌だとか。

愛嬌のある巧い役者で、好きな役者の一人だった。よく泣かされも笑わされもしたものである。味のある役者であった。最後の舞台は「俊寛」。私が見に行ったときには、既に休演で、今の勘三郎が代演していた。当代に先代の「血」が確実に受け継がれていることは、芝居好きとしては、このうえない喜びである。芝居における「世襲」というものがあながち否定できないのは、こうした点にある。もっとも、世襲には吉凶両面あるわけだが、そこは仁左衛門襲名の件のように、松竹さんの経営感覚で何とか塩梅してもらいたいものである。(別に次の仁左衛門を愛○○に、なんてことは私はあえて言わないけれど。でも、新○○ってことは間違いなくありえない、でしょ? きっと本人もそんな気ないと思うし。それから羽左衛門はどうなるんだろうか・・・? 適材がいない。血筋的にはあの役者かね?あの人は○○天皇くらしか当り役ないでしょ、今までに。それにあの声色というか台詞廻し、生理的に×だな、昔から。いずれ、次の吉は?って時も来るんだろうなあ・・・。来てほしくないです。)

私が芝居を見だしたのは先代最晩年なので、「じいざんばあさん」は見ていない。言うまでもなく森鴎外の他愛もない短編の他愛もない芝居ではあるが、こうした新作でも「味」というか「旨み」で客を引き付けるのが先代だった。「檻」なんかも良かったなあ・・・。

今回は昔でいう「孝玉」コンビ。

この美形の御両人でのこの演目というのも、見てないだけになおのことピンとこないのだが、私が唯一一回見たときは猿之助・故宗十郎コンビであった。

刃傷沙汰に末の夫婦の別離、子を亡くすという悲劇、そして数十年ぶりの再会を描いたに過ぎない芝居で、小説で読めばもっと他愛ないのだが、年老いた夫婦の再会と、舞台上では描かれない子供との死別等の昔がたりに、私はウルウルしてしまったことを思い出す。

故宗十郎という女形、好きな役者の一人であった。玉三郎等のように美しいというのではないが、何ともいえぬ雰囲気を持った役者であった。愛嬌があった。それ以上にあの役者には「時代味」があった。時代物の「時代味」というのではない、「昔の役者というのは
ああだったのでは」と思わせるような味わいがあった。亡くなった時には、十五代目羽左衛門にさかのぼる古き江戸歌舞伎の芸風を携えた最後の役者などという追悼談をどこかで見た記憶があるが、私が感じたのもそうした味わい・雰囲気だったのかもしれない。「引窓」の女房など、あの人こそのものであった。実に惜しい役者を早くになくしてしまったものである。存命だったら、今はどんなであったろうか・・。

そして猿之助。あの人には「スーパー歌舞伎」などではなく、もっと古典物やこうしたとえ他愛なくとも味のあるもの、いや役者の腕次第で原作にはない味わいを出せるもの、祖父猿翁が得意とした系統の「黒塚」だけではない演目をもっとやってほしかったものである。昔「鮨屋」の権太を見たことがあるが、音羽屋系とは違った芸風の「いがみの権太」には、この人の役者としての将来への可能性、本来進むべき方向を見たような気がした。見てはいないのだが、「天下茶屋」の元右衛門も良かったと聞く。見た目はズングリで決して二枚目とは言えず、声も決して良いとは言えないこの役者には、そうした役があっているのではと思い、「この人が今後役者として生きていく道は『くそおもしろくもない』スーパー歌舞伎(時間的に長いだけでホントに面白くなかった)ではなく古典にある」と私は絶えず信じ、仲間内でも持論としてきた。それだけ、この人には役者として期待していたのだが、そうこうしているうちに、残念なことになってしまった。もう「復帰」ということはないのだろうなあ・・・。あの人なりに当時の芝居の置かれた状況のなかでの「何とかしたい」との一心からの全力疾走だったのだろうけど、どうも方法論と方向性を間違えて時間と体力を無駄にしてしまったのではないだろうか、というのは言い過ぎだろうか。でも、近年の段四郎の活躍を見るにつけ、私のかねてからの思いは決して間違っていないと思うのだが。(段四郎。あの人の「遠山の金さん」は大嫌いだった。梅之助の降板を受けてだったと思う。梅もどうお世辞を弄しても「遊び人」ではなかったが、当時は梅=金さんというイメージが自分のなかで出来上がっていただけに、これまた二枚目でもなくば「遊び人」には見えない段四郎には、子供ながらに随分腹を立てていたものである。それから月日は過ぎ、たしか国立劇場でだったと思うがそこで見た「勧進帳」の弁慶、あれには驚いた。「段四郎というのは、これほどの力量を持った役者だったのか」と。それだけに兄と行動をともにしていることに、他人事ながら勿体ないと思ったものである。血を分けた兄弟だけにこういう言い方は本当に失礼なのは十分に承知しているが、人の不幸は何とやら。人の人生、人間関係には、本当に時には残酷なまでに皮肉なときがあるものである。亀もよかった。でも、右近とか、あの人たち、今後役者としての将来はあるのかねえ・・・。)

話はずれたが、今月の演目に「じいさんばあさん」としり、思いだしてしまった。

ただ、追善公演で「じいさんばあさん」というのは、どういうことなんだろうか。あの決して眉目秀麗な役者ではなくとも華やかで愛嬌のあることこの上なかったあった先代を思うと、もっと別の演目もあったのでは、とも思うのだが・・・。


ついでに、歌昇、この人なんとかなりませんか? なんとかというのは、どうしようもない役者だからってのとは真逆で、私的には、あの人「不遇」だなあと思うんです。声はいいし、舞台上がれば見栄えはするし、愛嬌はあるし。もっと良い役がつけば、もっと目立つ人、もっと活躍できる人だと思っているのですが、随分昔から。播磨屋とはよく一緒の舞台に立っているし、TV番組も一緒していたが、播磨屋の押しでなんとかなりませんか? 門閥というものの関係で無理? でも、役者は60から、だからね。あのトミーだって、かつての大幹部連がこぞって存命のときには、決して力量に見合った役をもらえていたわけではないからね。もう少し辛抱強く「これから」に期待してみます。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする