米国にいるとき、私の子供たちは数年間、補習授業校(補習校)にお世話になりました。
米国内でもNYCのような大都市や、現地の教育制度や内容に不都合のある国や地域の場合は、日本人学校ですが、中途半端な規模の地方都市では補習校でした。
補習校にはとても感謝しています。
そこに来てくださった派遣教員の方々にも、現地採用の先生方にも、そして派遣教員を送ってくださった文科省や日本国民の皆様にも。
うちの子たちが帰国後容易に日本の生活・学校環境に溶け込めたのも、補習校のおかげあってのことと心から感謝しております。
ただ、派遣教員の制度には、いささかの見直しが必要かと思います。それについては、以前随分書かせてもらいました。
ここでは、最近気づいた点について触れたいと思います。
派遣教員の海外での勤務内容がどのように評価されるのか、また何を要求されるのかはよく知りませんが、どうやら何らかの「お土産」が必要なようです。言い方を帰れば、文科省に対して「私は3年間の間にこういう実績を残しました!」という証を立てる必要があるみたいです。
ただ、現実問題3年の任期というのは、決して長くはありませんし、そもそも日本国内ですらない見ず知らずの土地へ行って、いかに相手は日本人子女やその保護者とはいえ、3年で実績を出せと文科省が要求しているとすれば、それは無理というものです。
最近は任期にも若干の柔軟性が与えられたようで、2年から4年ということみたいですが、3年以上いた方、いるんですかね? まあ、通常は3年ですね。その3年の最初の一年は、「学び」の期間です、というかそうあるべきです。そこのところの認識がない派遣教員は、現地の人間にとっては、「かえって来てくれなかった方が良かった」ということにもなりかねません。何が何でも日本式でとか、自分の日本での経験に固執する人は、うまくいきません。まあ、実際問題、何かをしようと意気込んできたところで、相撲取りがいきなり土俵から海に飛び込んで相撲を取れるものではないように、何ができるというわけでもありません。つまり一年目から実績なんて出せません。
2年目でようやく、自分の置かれた状況が見えてきて、的確に動けるようになります。ご家庭があって派遣でこられた方は、ようやく、2年目になって家庭のなかも落ち着くのではないでしょうか。この時点でも現実が見えていない人は、もうどうしようもありません。保護者からは不満が出まじめますし、学校運営そのものにもよからぬ影響が出てきます。また、連れてきたお子さんが現地の学校で不適応を起こそうものなら、2年目でもなかなか仕事には専心できないかもしれません。
三段跳びでいえば、一年目はホップ、次がステップ。そして、3年目がようやくジャンプのとき。つまり、ようやく3年目で実績云々なんて余裕が出てきますが、1年なんてあっという間です。しかも、忙しさという点では日本にいるときと変わりません。9時5時なんていうのは無理です。となると、何とか帰国までに実績を、ということになるみたいです。
保護者として、また運営委員会に参加した立場からみて、明らかにこの先生、無理しているなあとわかる場合もありました。無理はご本人だけにかかればそれは自業自得ですが、生徒たちを巻き込むことがあります。というか、そうなる可能性が高いです。教育実績ですから、そうなってしまいます。
あるいは、業績を誇張して文科省に伝えるという方法もあるみたいです。業績報告のうち、実際のご自分の業績と呼べるものは、本当はせいぜい半分くらいで、あとは前任者やあるいはそれ以前に既に下地ができていたり、既に施行されていたものであるにもかかわらず、「私がやりました、始めました」みたいな報告を帰国後される方もいました。最近は、インターネット上で存じ上げている派遣教員の方の報告等を見ることができますので、「あ、この先生、他人の手柄をまるで自分だけの業績のように行っている!?」なんてのも、正直なところ、ありました。
「お土産」をもって帰らなければならない「宮仕え」のつらさは察して余りあるものがあると思いますが、保護者の立場からすると、はっきり言ってがっかりです。というのは、「誇張」というのは、ある意味「虚偽」、「ウソ」ですから。教師もヒトですから、ウソもつくでしょうが、必ずしも自分の手柄ではないものをまるで自分のもののように言うのは、どうなんでしょうか? そんなことをしておいて、教員として子供の前に堂々と立てますか?
教員としての「倫理」もさることながら、「志」はどこに置き忘れられてしまったのでしょうか? 「不正」をしておきながら、子供たちに「正しさ」を解くとすれば、それは偽善以外の何ものでもなく、文科省のみならず、子供や保護者さえも騙していることになりませんか?
たとえ話をしているわけではありません。「家政婦は見た!」ではありませんが、私は偶然ネット上で見つけてしまったのです。「必ずしも真実ではない」報告を。
まさかあの方が・・・と、非常にショックでした。
万一、その方が「正真正銘ご自分の実績」と信じていらっしゃるとしたら、その方は物事を冷静的確に理解する能力を何らかの事情で失ってしまわれたとしか思えません。
「見解の相違」などという言葉でごまかせるものでもありません。その方の前任者、前々任者の報告と比較すれば、「ウソ」は容易に見破られてしまうでしょう。
もっとも、派遣教員に同情するところがあるとすれば、3年で実績・業績を求める教育行政並びに教育現場にも問題はあるのでは? 家族を帯同して海外で教えるということの大変さを真に理解しているのであれば、「土産」など求めるべきではない。いや、特別求めているわけではない、活動報告させしてくれれば良いのだ、という言い分もあるかもしれませんが、派遣教員の側には「たかが報告」という意識はないのではないでしょうか?それゆえに、事実上「ウソ」をついてまで、実績を誇示しようとする教員が出てきてしまうのでは?
日本の教育行政のなかに、教員に手を「悪」に染めさせてしまうような構造的問題があるとすれば、それを改めるに躊躇すべきではないのではないでしょうか?そうすることで、一番ほっとするのは、実は派遣教員自身ではないのでしょうか?