くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

豊田社長の英語

2010年02月25日 | Weblog
思ったほど、悪くはなかった。

きつことをいえば、高校の時分に留学経験があると聞く。10代までに会話を学ぶのと、20代になってからではどういうわけだか、発音という点で随分と差が出る。男性よりも女性の方が発音が良い傾向にあるという性差にようなものに加えて、この年齢の壁というも少なくとも発音という点に関して言えば、大きい。その10代に会話を学んだはずにしては、イマイチ。きっと、その時は短期留学だったのだろう。

読む英語としては、通じない英語ではない。もっとも、議員のなかには、外国人の英語等滅多に聞いたことがない連中もいるだろうし、それが一般のアメリカ人でもあるから、どこまで通じたかは定かでない。マイクに近づいてくれと途中で言われたが、もしかしたら、よく理解できなかったせいかもしれない。ただ、外国人との接触が多い人間であれば、あの英語は十分に通じる英語のはずだ。日本人独特の語調であるが、それは致し方ない。あれを消すのは、決して容易ではない、特に男性には。

もっとも、読む英語で通常の会話力を計ることはできないので、彼の英語がどこまで国際ビジネスで通じるかは疑問だ。

また、あのスピーチで議会やマスコミ、そして彼らに煽られた世論のトヨタに対する態度や感情が和らぐかという点については、現時点では何ともいえない。どうも結論ありき臭いところを見ると、大した火消し効果はないように思うのだが。

ただ、ある角度からみれば、豊田章男という人物、運は強いはずである。もっとも、個人の人生、運気のみで決まるはず等なく、ましてや周囲に運気の悪い人間がいれば、その影響を受ける可能性がある。おそらく、豊田氏の場合、前任の渡辺氏の運気を受けてしまったのではないか。渡辺氏、トヨタの社長までなったのだ、実力だけではなく運気も強かったということが言えるかも知れないが、実はあの人には、最後でこける運気を宿した人であるはずで、実際そうなった。その渡辺時代の「ツケ」を豊田氏は背負いこまされたということなのだろう。そして、それをどこまで克服することができるのか、見ものである。

追記 それにしても、鳩山政権もマスコミも、トヨタには冷たいと感じるのは、私だけか。
なかにはすっかり米国のメディアと同じ論調のところもあるが、マスコミの客観性なんてのは幻想であるのだから(それはマスコミ自身が既に証明している)、もう少し国益を考えてはどうか?トヨタに今こけられて、我が国にプラスかマイナスかぐらいわかるだろうに。
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トヨタ問題にみる「アメリカ社会の公正さ」?

2010年02月25日 | Weblog
一部マスコミは、今回のトヨタ問題に対するアメリカ社会の反応に、同国の「公正さ」を垣間見ることができるとの報道がある。

つまり、アンチ・トヨタ、トヨタ・バッシング一色というわけではなく、一部の州やそこを選挙区とする政治家からは、擁護の声やトヨタ叩きの不公正さを批判する声も上がっているというのだが、果たして、これをもって即「アメリカ社会の公正さ」ということができるのだろうか?

私は、そうした見方に組するには、いささかの躊躇を感じざるを得ない。

確かにアメリカには「公正さ」というものに対するひたむきさという側面がないわけではなく、「義を見てせざるは」などというものがほぼ絶えてしまい、不正を目にしてもなあなあで済ましがちな我が国の惨状に比べれば、あの国の国民精神はいまだ健全性を失ったわけではない感じたこともある。

しかし、トヨタを擁護する声が上がっているというが、それは真に現在吹き荒れるトヨタへの逆風に「不公正」なものがあると考えているからなのだろうか。

例えば、トヨタを擁護する一部政治家たちだが、彼らの多くは、トヨタが雇用を生みだした地方を選出選挙区あるいは地盤とする者たちだ。トヨタ叩きが経営に打撃を与え、生産・操業縮小などということになれば、それがそのまま失業問題に結びつく可能性もあるのだ。そもそも、トヨタを招き入れた地域は、外国企業を必要とする経済状況にあるということであり、概して元々富裕であったり地元住民を十分に食べさせ地域経済の底上げを促せるだけのの地場産業を持った州とは言い難い。つまり、住民を食わせていくためには、トヨタが生み出す雇用が必要な地域の政治家たちであり、彼らの政治生命を保つためには、トヨタにこけられたり、逃げられたりしては困るのだ。

アメリカ人は、合理的かつプラグマティックな連中である。我々日本人ほど情緒に左右されることはない。それは消費行動にも見られ、古い国か地域のようなこだわりはあまり見せず、良いものであればどこの国のだれが作ったものであろうと買う。もっとも、そこに人権問題なんかが絡めば教条主義的とも思える反応を示すという別の側面もあるのだが、「黄色いジャップ」の会社であろうが、富をもたらすのであれば、それを受け入れ、利用することに躊躇はしない。

トヨタ擁護の背景なんていうのは、「公正さ」云々というよりは、そんな「実利的」な思惑から来たものではないのだろうか。オバマ政権が具体的な地域経済振興策を打ち出し、それが具体的効果を見せることができれば、トヨタへの彼らの風向きも変わることだろうが、今のところそのような動きは政権にはないし、かりにトヨタ排除後の施策が示されたとしても、それが功を奏するには時間を要する。

あの公聴会。あれは「猿芝居」以外の何ものでもない。結論ありきの政治パフォーマンスであり、かりにトヨタの首脳陣がパーフェクトな対応をしたとしても、彼らがトヨタに対する批判的姿勢を変えることはないであろう。トヨタ問題の原因究明があの公聴会の真の目的であるのであれば、テネシーの婆さんの「涙ながらの怒りの訴え」など必要がないはずだ。あのような演出を加えたところに、議会そして米政府の思惑と、米国におけるトヨタ問題の「本質」が隠されているのではないだろうか。それは「公正さ」などとはまったく無関係のものだ。

トヨタは製造業にたずさわる立場としてしくじった。これは間違いあるまい。しかし、それを利用しようとしている連中がいるということであろう。そしてトヨタは見事やつらの策略にはまったということになる。豊田社長がいかにエクセレンント・ジョブをしようが、ワナにはまったネズミがそこから逃れることはそうそう用意ではない。
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