くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

戦後教育の成功例(失敗例)?: 五輪フィギュアスケート・ペア、ロシア代表川口悠子

2010年02月16日 | Weblog
五輪のために、国籍を変えてって、私的にはどういう了見なんだろいと了見なんだろうとしか言いようがない。

日本国籍離脱(ロシア国籍取得っていうことは、そういうことだろ?)については随分悩んだそうだが、そりゃ当然だろう。迷わないかったら、それこそ、「一体なんという女(人間)だ!?」という他にない。

まあ、迷った挙句に結局日本国籍を捨てたわけだから、やはり「慮外者!」なのだが・・。

しかも、よりによってロシア。あの国が我が国や国民に何をして、何をし続けているのかわかっているのか。国際法上、また人倫上あるべからざる行為を我が国、国民数十万に対してしでがした敵国である!

敵国は言い過ぎ? 北方領土はどうなのか? いまだに侵略継続中ではないか? これをもって、敵国と言わずして何といおうやである。

極めて個人的な目的で、日本国のその他大勢の国民にはまったく無関係のことで、生まれ育った祖国の国籍を捨てて、侵略国の国籍を得る。迷って当たり前といったが、もっと言えば、迷うまでもなく、それ以前にあり得ない選択のはずだ。それをしてのけた人間を「売国奴」、いやこの女の場合売ってはいないから「反逆者」と言わずして何と形容すべきか?

満州で、シベリアで、樺太を含めた北方領土で赤軍の侵略・暴虐に斃れていった数多の同胞先達の魂に、あの女はどう向き合おうというのか。そもそもそんな歴史的事実にはまったくの無知か、知っていたとしてどうってことはない、ということか? 

国家や、同胞のことよりも、私欲を優先させる。そのためには祖国を捨てることも厭わぬ人間。これは、戦後教育の所産ではないのか。「自由」、「権利」、「個性」崇拝。その結果が、あの国母という紛らわしい名前の小僧であり、この川口悠子という女ではないのか?

マスコミも、メダルをとったらフィギュア・ペアで「日本初」などという、恥知らずな記事の書き方はよした方が良い。などと、今時のマスゴミに言っても無駄か。

以前からこの女に関しては、国籍を捨ててまで夢を追うことい=「美談」のような報道がなされてきたが、どこが美談なのだ。個人の夢や欲望のためなら(五輪でメダルって平たく言えば、銭が欲しい、女が欲しいってのと同じ欲望だろ?)、祖国を捨てるなんてすばらしい!的な破廉恥な報道はよせ! バカがマネするだろうが! ん、バカは要らんから、国の国から熨斗つけて追い出せ? それは妙案かも。

ということで、この川口という了見違いの女が日本国から出て行ってくれたことは、もっけの幸いかもしれないが、それにしても、こんな人種が育つような国になってしまったというのは、実に情けない。

ところで、メダルを逃した川口女史。今後はどうされるのだろうか。まさか、メダルの夢はついえたので、もうロシアには要が無い、再び日本に戻りますってなことは言いださないだろうなあ? まさか? 

それでは、ロシアに対しても失礼だ。ロシア人選手として育成し、五輪に送り出してくれた「祖国ロシア」とその国民に相済まぬではないか。利用するだけ利用しておいて、用済みになれば捨てるというのは、あまりにも常識外れな行為である。国籍はコンドームや生理用品の類とは違う。

どうぞ、現役引退後も、「祖国ロシア」にとどまり、祖国のために尽くし、恩返しをし、その土となられますように。

そうでなくては、犬以下だ。忠犬ハチ公にも劣る。猫は人の恩を三日で忘れるというが、まあ三日はないであろうが、50歩100歩、猫並みの生き物だ。ただ、猫の方がペットにもなり、人の心を癒してくれるだけましだ。自分の都合で国籍をティッシュペーパーかトイレットペーパーのように簡単に使い捨てされてはたまったものではない。

悩んで決意して日本国籍を捨てた以上、まさか再び捨てた祖国の土を踏もうなどといういい加減な気持ちではなかったのだろう。

であるならば、その時の決意のままに、余生を「祖国ロシア」で過ごされますように。

もっとも、観光等で日本を訪問される場合には、外国からのお客様として、丁重に歓待いたします。少なくとも、日本国は門前払いは致しません。

まあ、それにしても、結果は、因果応報ってことだろうな。お天道様は、よく見てござる。
コメント (3)
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