チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

幻影城の時代

2007年01月08日 03時36分43秒 | 読書
「幻影城の時代」の会・編『幻影城の時代』(エディション・プヒプヒ/垂野創一郎、06)

 本誌は第一義的には2004年に台北で取材された幻影城編集長・島崎博へのインタビューを世に出すために発行されたオマージュ同人誌である。が、インタビュー以外にも読みどころが満載の充実した誌面となっている。またエース・ダブルよろしくリバーシブルになっているのが楽しく、天地逆さに「回顧編」「資料編」に分かれている。
 まず手にとったのは当然ながら眼目の島崎博インタビューの掲載された「回顧編」で、これが無類に興味深く面白く、読み始めてふと気づいたら「回顧編」全部読んでしまっていた。

 私自身は、当時「幻影城」誌にも戦前の探偵小説にもさほど興味がなく、オンタイムでは2冊買ったことがある程度なのだけれど、さすがに当時の状況は面白く読めた。
 しかも島崎サイドからの一方的な発言の掲載に終わらず、関係者から取材もなされて、まあ雑誌の性格上好意的な発言ばかりではあるが、それでもよく読めば交差的な視点も浮かび上がってくるわけで、この構成は無闇なヨイショを排除するもので非常に冷静でよいと思った。

 ところで「幻影城へのオマージュ」という300字アンケートを読んでいると、当時SFファンだったけれども当誌によって探偵小説ファンに宗旨替えしたとのコメントが少なからずあって、ちょっと気になった。これはもちろん「SFマガジンから幻影城へ」と読み替え可能で、当誌が存在した1975/2 - 1979/7という時期は、SFは不調だったのかなと思い、調べてみた。

 結果は――むしろこの時期のSFMはかんべ・山田効果で第2世代が出揃い、第3世代もぼつぼつ登場しはじめており、しかも第1世代いまだ健在で、質量的にも空前(絶後でした。今から思えば)の活況を呈していた時期なのだった。→(1) (2)
 つまりSFのレベル低下が原因ではないということで、となると考えられるのは、(清張以降の)推理小説全盛で弾き出されていた或る層をSFが吸収していたのだが、幻影城というイスラエルの建国でようやくその層が本貫の地へ戻ることができた(というか彼らは初めて自分の母国がどこであるかを知った)ということではないだろうか。

 「資料編」では論考の3篇が圧巻である。

横井司「幻影城」の文脈――研究・評論の視点から」
 論者は「幻影城」の意義として「清張以前の探偵小説の発掘・再評価」とそれにインスパイアされた新しい探偵小説(作家)を世に出さしめたことの2点を挙げる。ただし前者あってこその後者であるとして、ことに前者の意義を強調する。

 すなわち「大人の常識やリアリズムをベースとした」(57p)推理小説とは別の価値観を提供した点を評価するのだが、その評価軸が現在からのそれである点に限界があったと(取りこぼす可能性を)指摘する。
 つまり現在から振り返るという方法論には「時代的な風俗や制度を色濃く示す文脈を評価する契機が失われ、プロットの骨組みのみでの評価が先行してしまう」(60p)憾みがあったとする。

 とはいえ「清張以前の探偵小説が、時代遅れの「ゲテモノ」ではないこと(……)時代の限界を内包しながらも、読まれるに値するテクストであることを印象付け」(63p)、その結果(若い世代に)「ひとつの受容共同体を作り上げた」点を評価する。この受容共同体が後年の新本格の胞(えな)として機能するのだろう。

巽昌章「宿題を取りに行く」
 本考も、横井論考と問題点を共有している。論者は幻影城に「探偵小説の再評価という古めかしいスローガンにもかかわらず」(64p)若い印象を抱くという。その若さは未熟や幼稚、世間知らずというマイナス評価も含むもので、それは掲載される作品がそうであるというばかりでなく、受容する読者の印象でもあるとし、「いわば時代を超えて偏在する幼稚さというべき面」(65p)があったとして、幻影城という雑誌が「ある時代の雰囲気を伝え、あるいは普遍的な若さのしるしを掘り当てようとした」点に特筆すべき意義を認める。

 そうであるからこそ、推理小説を代表する佐野洋の「いいがかり」(前考にある「大人の常識やリアリズムをベースとした」)に対する幻影城側の反応の生ぬるさを批判する。
 本来幻影城の側は論理上、推理小説の言う「成熟」とは一体何なのかを、逆に根源的に問い攻めるべきなのだが、幻影城を運営する側に(島崎にしろ都筑、中井にしろ権田にしろ)その論理を徹底する志向がなかったとする(中島梓ですら「遊びの文学と規定し、最低限の小説的成熟は必要」(68p)と説く)。これは前考のいう「評価軸の限界」に対応するものだろう。

 論者の考えは探偵小説は上述のマイナス面も含んだ「若さ」こそ不可欠の契機なのであって、それを積極的に評価する地点から根源的に出発しなければ推理小説の「成熟」からの否定を覆すことはできないという立場のようだ。
 タイトルはそのような幻影城が置いていった宿題をちゃんと処理してしまわなければ、いつまでたっても成熟と常識を旨とする推理小説に拮抗する論理を取り戻せないという意味だろう。そのスタンスは全く正しいと思われる。

垂野創一郎「島崎幻影城と乱歩幻影城」
 タイトルどおり、いずれ劣らぬ膨大なコレクションのコレクターであった両者を比較してみる試みなのだが、論者は、まず澁澤・種村のコレクション観がオブジェ(死せる客体)としてのそれであるのに対して、島崎のそれはコレクションこそ主体であり、コレクターである島崎はその世話係(園丁)という関係なのだと規定する。つまり島崎コレクションは「生きている主体」とみなされる。

 では生きているとはどういうことか? それはたとえば「とうに時代遅れとみなされた作家(……)に新作を書かせる痛快な時代錯誤ぶり」によく体現されているように、島崎コレクションつまりは探偵小説という特殊なジャンルは「どこにもない時間(ユークロニア)」の産物として在るということであって、論者によればかかる超時代性こそ島崎のコレクション観(探偵小説観)だといいたいようだ(これは横井論考の、幻影城の「現在から振り返る」方法論に対応するものだろう。ただし横井や巽はこれを島崎幻影城の弱点と見たのであったが、本稿はもともとそのような価値判断を排除している)。

 上記のような方法以外にも、たとえば探偵小説の古老に思い出話を書かせることで「過去は膨らみを増して現在に顕現」するようにしたり、誌面のビジュアルへの配慮などが、論者によって園丁が樹木に水をやったり下枝を払ったりして慈しみ育てるのと同様の行為であるとみなされる。

 さて本稿でも佐野洋の発言が取り上げられている。ここで佐野の発言は、文脈的に「なぜ死せるものを甦らせるのか」と読み替えてよいだろう。しかしながら論者によれば(島崎)探偵小説はもともと死んでいない(ユークロニア)。城主によって(上記のように)丹精込めて育てられているとされるわけだ。そしてそれが佐野への反論となりうると論者は考えており、この点が横井、巽と論者の決定的に違うところだろう。

 一方、乱歩のコレクションは――論者によれば標本箱の標本なのであり、分類された死せる客体としてあるとみなされる。その体系志向的な在り方はまさに島崎とは正反対のものであると論者は言うのだが……何となく尻切れトンボの印象なしとしないのは、論者が役回り上本誌「幻影城の時代」の枚数を計算しながら書かなければならなかったせいかも。
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