チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

虫のなんたるか

2007年01月21日 22時39分39秒 | 芝居
 オリゴ党第23回公演『虫のなんたるか』(作・演出/岩橋貞典、於TORII HALL)を観て来ました。
 
 ――某県にある一般にはその存在を知られていない秘密の洞窟。所有者たちによって隠されてきたその洞窟に、ある日、そこにのみ生息するという幻の昆虫「メクラチビゴミムシ」を追って、大学の昆虫学教室の学生たちがやってくる。10年前、そこに入った者たちによって発見されていたという、幻の昆虫を追う学生たち。しかし、その洞窟には、ある重大な秘密があった……(公演案内より)

 舞台は鍾乳洞窟の内部に固定されています。ちなみにこの舞台設定がなかなか面白く、細長い舞台(坑道ですな)の両側に客席が設置されている。つまり客席が洞窟の壁の見立てになっているわけです。大劇場では不可能な面白いアイデアです。

 で、芝居は洞窟内に終始します。つまり設定に仕掛けがない。ベタ(笑)。これは岩橋作品としてはめずらしいのではないでしょうか。
 実は洞内で大声を上げそのわんわんする反響に耳を押さえるシーンが何度か繰り返され、「そのうち崩れるよ」なんて会話も交わされるので、ははーん、これはきっと実際に鍾乳洞が崩れて、崩れた後の幽霊たちの話かもな、などと想像していたらぜんぜん違った(汗)。いや、イワハシワールドならそうなる筈と思うではないですか。その意味でメタ的な仕掛けもなく、普通のお芝居だったのには意外でした。

 内容的には、柴田翔に「十年の後」という小説がありますが、あれに近い(もっともこちらは15年の後なんですが……そういえば本公演はオリゴ党結成15周年企画なんですよね)。つまり第一義的には恋愛テーマなのです。舞台に仕掛けがなく恋愛がテーマなんて、これはもうぜんぜんイワハシワールドらしくないですね(笑)

 かくのごとく、表層的には岩橋作品にはめずらしい(メタじゃなくて)ベタなお芝居なのですが、とはいえその表面を少し穿ってみれば、そこに現れるのはやはりイワハシワールドなのです。
 確かに舞台は洞窟内に固定されているのですが、しかし時間的には、10年前、現在、5年後という3つの時点を行ったり来たりします。そうして15年の時の流れが3つの時点から相互照射され、その3本のスポットライトの交差するところに、或る何かが浮かび上がってくるのです。
 
 劇中で、「ムシは進化したくて進化するのではない、環境の変化に適応させられるのだ」という意味のセリフが吐かれます。おそらくこれが本芝居を貫く根本テーマなのです。
 10年(あるいは15年)という歳月が、いかに作中人物たちを窯変させたか(「過去は見ない未来だけ見る」というセリフも、これもまた10年(15年)後の結論である限りにおいてその未来は過去を内在させているのであり、ひとつの「適応」といえる)、それが3つの時点からのスポットライトによって交差的に照らし出される。

(それゆえ変わること、適応することを拒絶する者であるチトセは、ドラマツルギー上、行方不明となる他ない。おそらく彼女は洞窟と一体化してしまったのです。15年後時点の洞窟内で歌声だけが聞こえるのはそのためにでしょう。同じく15年後時点において洞窟管理をゴスから継承したハナダが見たチトセもまた、まさに洞窟と一体化したチトセの幻影だったに違いありません)

 いろんな意味が籠められた・あるいは10年、15年という時間エネルギが滞留した「洞窟内」という装置のなかで、男女の関係がいかに変わっていったか、変わっていかざるを得なかったか、その引きずった過去と現在が照らし合わされます。
 それが「十年の後」のように一組ではなく、それぞれに対称的でもある3組のカップルについて(ばかりか派生的に現時点から始まるそれも含めて)重層的に照らし出されるという、けっこう構想雄大なお芝居でした。

 いずれにしても、学生生活卒業後十年目、十五年目くらいの人には(それぞれの内なる)一種切ない甘美な記憶が呼び覚まされる(に違いない)装置として機能するお芝居となっていたように思います。イワハシワールドの新機軸として面白く観ました。
コメント
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