チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

天離(あまざか)る鄙の星辺に(上)

2006年09月04日 20時12分16秒 | 小説
    1

 廃船寸前のボロケットを大気圏に突っ込ませるのは至難の業だ。ギシギシと不気味なきしみ音に冷や汗を掻きながらも、どうにか男はこのさびれた惑星の一角にボロ船をひきずり降ろした。

 操縦桿を離した手で額を拭い、溜めていた息を吐き出すと、男はトーラの葉を咥えた。
 姿勢を緩めてトーラをしがみながら、男は船体の冷えていく音を聞いている。最初はカン、カンと甲高かった外殻の収縮音が、次第に低くなっていく。その音があるピッチまで下がったのを確認すると、男はトーラを吐き出し、中腰になって天井のハンドルを廻し始めた。ハッチの自動開閉装置はとっくにいかれてしまっていたからだ。

 地面に飛び降りると、広からぬ発着場は夕日に染まっていた。凍えるような木枯しが男に襲いかかる。吐く息が白かった。
 男は上空を見上げる。雄大な夕焼けが天穹を覆っていた。この惑星の衰弱した太陽が、今しも荒涼たる平原のはてに沈もうとしているのだ。
 平坦な世界だった。起伏らしい起伏は殆どない。ぐるりと三六〇度の地平線が男を円くとりまいている。
 ただ風がつよかった。吹きつのる木枯しだけが、この円盤世界に君臨していた。ふと気づけば、チラチラと白い小片が上空に舞っている。それは恰もこの惑星自らが、その夜の厳しさを男に告げているかのようだった。
 ハッチをロックしようとして、思わず舌打ちした。断熱板がふっとんでいた。
 「くそったれ!」
 そう言ってロケットの脚部をブーツで蹴り上げると、男は町へと向かった。

 町は寒風に身をこごめていた。
 空が、風景の大半を占めるこの平坦な世界に、なお這いつくばるようにして、低い家並みがつづいていた。
 小さな町だった。
 宿場町とおぼしかった。大平原を一直線に区切って伸びる街道の両側に、古びた建物がそれぞれ十数戸並んでいる。それが町のすべてだ。ちょっと裏へまわってみれば、そこはもう果てしもなくつづく大平原なのだ。
 メインストリートにひとかげはなかった。夕闇せまる町のたたずまいはさながらゴーストタウン。一陣の突風が砂埃を舞い上げ駆けぬけていく。
 かつては白銀色に輝いていたに違いないスペーススーツは、今では見る影もなく色褪せてしまっている。その上に無造作に羽織ったマント。マントといえば聞こえはいいが、擦切れ綻びて襤褸と大差ない。そのマントの襟を掻き立てると、男は宿を求めて歩き出した。

    2

 両開きの扉を肩で押しあける。薄暗い内部はひどくガランとしていた。カウンターの奥に男がいた。下を向いて何か書きつけている。薄明かりのなかでもかなりの年齢であるのがわかった。老人といってよかった。
 「悪いな。酒場は廃業したんだ」
 老人は下を向いたままそう言った。
 「酒はいらねえ。一晩泊めてもらいたいんだ」
 男は言った。「それとも旅籠も廃業しちまったのかい?」
 「いいや」
 老人はようやく顔を上げた。男を眇めるような目で見た。「ここんところ休業同然だったんだがな、しかし営業してるのは間違いねえ。オーケイ、ここにサインしてくれ」
 男は少し考え、ペンを走らせた。
 老人が鼻の頭を太い指で掻く。
 「ほお、ヴェガ星区から?」
 男は肩を竦める。
 「遠くから来なすったね。ヴェガ星区といやあ」
 「ガンサーって愛玩動物を、あんた知ってるか?」
 「星間ニュースで見たかもな。核(コア)じゃ飼うのが流行ってるんだって?」
 「わが故郷(ほし)の特産だぜ」
 「ほほう」
 老人は半ば表紙の千切れた古い宿帳を太い指で叩いた。「このアクテオキアってのが?」
 「そいつがわが故郷の惑星さ」
 男はニッと口を歪めた。「ブームのおかげで、今じゃ惑星全土が放牧場だぜ。まあ矮惑星なみのちっぽけな星だけどな。そんなわけでアクテオキア人は、みんな地下で暮らしてらあ」
 老人はさも感心したかのように首を小さく振った。「流行のペットが、とある惑星でしか繁殖しないとニュースでいってたが……あんたの惑星だったのか」
 男は頷いた。そのかみどこかの星で耳にした話であった。その話をしてくれたアクテオキア人が、今どこで何をしているか、もとより男の知るところではなかった。が、おそらくは〈戦域〉へと駆り出され、とっくの昔に〈ダーハの国〉へ渡ってしまったに違いなかった。
 老人が立ち上がって、キイをひとつ無造作に抜き取った。立つとかなりの長身だ。身のこなしも矍鑠としており、若い頃はそうとう〈ならした〉ものとみえた。
 「ともあれ久しぶりの客人だ。歓迎するぜ。ま、ひと晩ゆっくり休んでくんな」
 ついてこいと言う風に親指を立て合図すると、狭い階段をきしませて上がっていく。片足を引きずっていることに男は気づいた。
 「部屋は当家で最高の部屋だぜ。特別大サービスだ。そのかわり食事は、悪いが満足なものは出せねえぜ」
 老人は言った。
 「構わねえ」
 男は応えた。「食えるもんだったら、何だって構わねえ」
 「済まんな。平時ならばこの星のうまいもんをたっぷり食わせてやれるんだが……ガルフェウスって聞いたことがあるか?」
 「いや」
 「この惑星の砂漠地帯に棲む砂魚(サンド・フィッシュ)なんだが……これが正真正銘の魚類なんだぜ……そいつの刺身ってのは、この辺の星区じゃ随一の珍味なんだがな。それが今では土地のもんの口にだって滅多に入りゃしねえ」
 「供出か?」
 「おうさ」
 老人は唇を歪めた。「砂舟(サンド・ボート)で西に三日ほど行ったところに、軍の兵站局の駐屯地がある」
 男の両眼が一瞬鋭く光った。
 「そこの連中は、物資は確実に〈戦域〉へ送り届けていると、そう言ってはいる。だけどな、そんなことだれが信じるものか。現に星区の行政庁があるテドゥヌスでは、今でも高級料理店へ行きゃ、ガルフェウスのメニューがあるっていうじゃねえか。全く頭に来るぜ」
 「そいつは残念だな」
 男は慰めるように言った。「だけどうまいものを味わう舌は持ち合わせてねえんだ。そんな生まれ育ちじゃねえ。あり合わせで結構だよ。そのほうがむしろありがたい」
 「そういってくれると……悪いな」
 老人は拝むように片手をあげた。
 「ところで……」
 さりげなく男は訊く。「ところで親仁さんは、その兵站局の駐屯地のボスってぇ奴の名前を知ってるかい。ひょっとしてナイルスってんじゃ?」
 「違うな」
 老人は首を横に振った。「あいつは、たしかダリウスっていったはずだぜ。ダリウス中佐。そいつがどうかしたのか?」
 「いや。おれの古い仲間がこの星区のどこかに兵站局から出向してるって噂を耳にしたんでね」
 「多分そいつは別人だろうて」
 老人は言った。「おまえさんの古い仲間てのは、極悪人じゃなかろう?」
 「もちろん!」
 男は片目をつぶってみせる。「そいつは悪党かもしれないが、極悪人ではない」
 「そうだろうとも」
 老人はドアを開けた。「ここがあんたの部屋だ。なんにももてなせねえが、ゆっくり寛いでってくんな」

    3

 部屋は裏庭に面していた。裏庭といってもささやかな菜園があるだけだ。壊れかけた垣根越しにみえる赤茶けた荒地は、そのまま大平原へ繋がっている。
 日はすでに没し去った。上空にこそまだ夕映えの名残りがあったが、地上はもはや全き夜だった。銀河辺縁特有の、星のない穴のような夜空であった。
 雪片がときおり舞った。とはいえそれはまさに雪片にすぎなかった。極度に乾燥したこの惑星では、大気は雪を降らせるだけの水分を抱えていないのだ。せいぜい思い出したように、風が収まった瞬間に白い結晶を析出する。しかしそれも地上に落ちる前には消え果るのだ。侘しい風景だった。
 男は窓を閉め、カーテンを引いた。
 その部屋が長いこと使用されていなかったことは一目瞭然だった。が、手入れは行き届いていた。調度も古びて決して贅沢なものではなかったが、こぎれいに整えられている。
 男は暖炉の前に椅子を引き寄せた。両手をかざす。男の体を暖炉の火があかあかと照らした。痩身とみえた体は、汚れたスペーススーツを脱がせてみれば存外頑丈そうであった。
 古代ローマ人のように直毛の黒髪を短く切り揃えた額の下には、ロケット乗り特有の宇宙線に灼かれた青銅色の顔があった。曲がった鼻梁の両側の、ガルバラのそれにも似た鋭い眸が、熾火のように暗い耀きを湛えている。お世辞にも男前とはいい難い面構えだ。
 男は両の掌でゴシゴシ顔をこすった。目蓋を強く圧した。暫くそうしていた。それからまた両手を火にかざす。
 濃い疲労の色が、男の相貌から滲み出していた。それは両手でこすった程度では到底落ちそうもなかった。
 すでに宿の老夫婦の心づくしの手料理で、男の胃袋は心地よくみたされている。
 「どんな料理だって、おれにとっちゃご馳走さ」
 フッと苦い微笑が口許からさざなみのように拡がり、消えた。
 ……こんな渡り鳥暮らしを、おれはいったい何年つづけてきたことか。
 ろくでもない噂だけを頼りに、星から星へと渡ってきた。そしていつのまにか銀河系の辺縁星域にまで来てしまった。
 こんな生活をあと何年つづけたら終着点にたどり着けるというのか。……
 投げやりな鬱屈に男は捉えられていた。それは男にとっては周期的に訪れる、お馴染みの感情ではあった。ただつい先刻、夕食時の会話と、そしてこの置き去りにされたような惑星のうら寂れた景観が、その引き金になったろうことは確かなようだった。
 ――もう、やめちまおうか。
 男は思った。こんな無宿渡星な生活から脱け出して、どこかに落ち着いてしまおうか。
 女の顔がいくつか脳裏に来て去った。男がいくつかの惑星にそれぞれ置いてきぼりを喰わせた女たちの、それは幾人かだった。
 「こいつはとんだ重症だぜ」
 と、男は苦笑した。想像以上に疲れが溜まっているようだ。早々にベッドにもぐりこむ必要がありそうだった。男はそうした。
 「ダリウス中佐……か」
 シーツにくるまって男はつぶやく。「似てるな」
 ものの数秒とたたぬ間に、規則正しい寝息が、唯一この惑星の静けさに抗した。

 ――つづく――
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