チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

考えないヒト

2006年01月12日 20時36分25秒 | 読書
正高信男『考えないヒト ケータイ依存で退化した日本人(中公新書、05)

 まあ、主張はそれなりに首肯できるのだが、書き方が荒っぽいと思う。非常に纏めにくい。そして纏めにくいのは、実は本書に統一的な論旨がないからではないかという気がする。たんに私が把握しきれてないだけなのかもしれないが。

 IT化就中ケータイの普及が人間をサル化してしまうという論旨なのだが、やや強引ではないか。サル化(東浩紀の所謂「動物化」とほぼ同じニュアンス)とIT化(同様東の所謂「データベース化」)は対応関係は認められるとしても、必ずしも因果関係といえるものではない。なぜならそれは、情報洪水による準拠枠の喪失=結果的に「私」の弱化というかたちで、70年代からすでに警告されていたもので、21世紀に入って突如起こってきた問題とはいえないからだ。

 管見ではやはり脱産業社会化・情報社会化として顕在化していく資本主義の進展、管理社会化――すなわち多様化(脱産業社会化・情報社会化)と一元化(資本主義の進展、管理社会化)の同時進行という事態が必然的に惹起した問題だと思う。
 その意味で、著者のように脳の廃用性萎縮なんていう生物的変容を持ってこなくても説明できるように感じた。

 とはいえ、そういう(私が考えるような)考え方も、ところどころに散見できるので、どうも本書の主張を著者自身全く信じきっているというわけでもなさそうだ。一種鬼面人を驚かす、ショック療法的(悪く言えばキャッチコピー的)態度で執筆されたものかも。

 とりあえず個々の内容はそれなりに説得力があるのだが、いろんな思いつきを個別に理屈付けしたにとどまり、それを更に統一する論理はないように思った。IT化ケータイ化との対応関係に収束させるのではなく、もっと大きな因果関係、社会関係を想定する必要があったのではないだろうか。
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