みなさま
いつも《ヘリコニア談話室》をご愛顧くださり、ありがとうございます。
2000年に開設、爾来22年の長きにわたり(四半世紀に3年足らず)、無駄に駄文を連ねて来ましたが、teacupの事業撤退によって掲示板サービス自体が消滅する事態となり、ヘリコニア掲示板も、それまでのコンテンツごと、7月末日を以ってネットから姿を消します。
そのことはつとに同掲示板にて告知してきました。
そういう次第で、今後は当ブログにて(ブログ形式となりますが)、《ヘリコニア談話室》のコンテンツを継承いたします。
ただし7月末日までは旧掲示板に書き込み継続し、8月1日より、こちらに移動します(※)。
当ブログへ移行後も、ひきつづきご閲覧いただけましたら幸いです。
よろしくお願いします。
恐惶謹言m(_ _)m
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(※)当ブログ、見てのとおりgooのブログなんですけど、もともとはteacupブログでして、実は数年前まで使っていたものなんですね。
掲示板に書いた読書感想文を抜き出してここに集約する予定だったんですが、いつのまにか放置ブログ化してしまいました(汗)
もちろんteacupなので、ブログも掲示板と同時に消滅するのですが、何故かブログに関しては、gooブログへ(それまでのコンテンツごと)移行可能になっていて、それならば、gooへ移行してそのまま掲示板の受け皿にしようと思った次第。新しい受け皿を探して、一から立ち上げるのもメンドクサイですし(^^;
過去コンテンツが残っているのはそういう理由なのであります。
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ティカップ掲示板って1997年四半世紀前からあったんですね…。
1997年…インターネット黎明期で、当時は分厚い画面のパソコンでまだワープロ専用機が現役だった頃…ウイントウズ95の頃、その後98,98SE,Xp、…
そもそも私が法務屋渡世を始めたのは平成の初め…のことだ。それまでは田舎でタウンエースでパン屋さんたちに小麦粉を運んでいた。田舎の北関東にもぼちぼち本格的なベーカリーが出来始めたころだ。携帯電話なんてない。納品先のベイカリーには公衆電話で連絡した。だから街のあちこちに電話ボックスがあった。私がいたS商会にはあけみちゃんという、女の子もいて、彼女もタウンエースで粉を運んていた…、
首都圏ではバブルで踊ってきたけど地方は全く関係ない。80年代半ばに本格的ベーカリーがあちらこちらにオープンしている。そこにはリンナイのガスオーブンがあった…。
法務屋渡世…相続や会社整理色々あったけど…とくに思い出はない…というか思い出したくない。法務屋時代のことなんか邯鄲の夢のように虚しいものなのだ…思い出といえば霞が関の東京地裁地下一階食堂のラーメンの不味さくらいだ…。
「コロナオミクロン株は、ダダの風邪ですよ。それからワクチン打たないように…。」
「えっ。」
「あのワクチン、免疫系だめにするよ。」
コロナよりもワクチンの副反応での傷害や死亡例が多く
すでに大規模訴訟の準備がされていた…。被告は国だったり接種医師だったする…。
「あのワクチン効かないんだよ。それにさ…抗体依存性感染増強や抗体親和性成熟…」
初めて聞く医学用語が飛び交う世界…そんな世界を後目に私は首都圏の家を処分した…。
「ただーいま…、」
あの頃小麦粉を納品していたパン屋さんに顔を出す。
「あら…誰かと思ったら…とうしての。」
「もう法務屋から足洗ってこっちに来ました、」
「しかし懐かしいな…。」
みんな歳をとった。そりゃそうだ…しかし…あの頃オープンしたブーランジュリー沙夜香の、リカさんだけはあの頃とほとんど変わって居なかった…。ほっそりとして髪が長くてきれいな顔立ちをみている…。
「リカさん、ぜんぜんかわらないですね…。」
「、はい…。」
「リカちゃん。コーヒー飲みに行かない?ひまわりに…」
ひまわり…進駐軍の頃からある店だ。
「あの頃はスマホなんてなかったね…ケータイもなかったよね。」
「うん。」
そして珈琲店ひまわりを出てわずかに残っている水田を歩く…あぜ道を歩いているとふと空気が昭和の香りになっていることに気がついた。
「あれ?」
スマホが全然通信できない…。
「なんか私達、昭和に来ちゃったみたいだね。」
とリカちゃんこいう。
平成になってめっきり聞かれなくなった方言が聞こえる。
そしてブーランジュリー沙夜香にいく…
「あら…」
沙夜香のマダムが笑顔でむかえる。カレンダーを見ると昭和になっている。
「うちに粉運んでいるばかりじゃなくて、ウチでパン焼いてみない?」
とマダムがいう。
「そうだ。パン屋さんになろう…。」
そうおもった。テレビではリクルート事件のニューがなかれている。
そして私はブーランジュリー沙夜香の厨房にいた。リンナイのガスオーブンから香ばしい香りが立ち込める。
カレンダーみると、1988年になっている。ブーランジュリー沙夜香がベーカリー田中から暖簾分けしてまもなくの頃だ。ドイツパン屋ヘッセンバッハがオープンしたのもこの頃だ。この店のマダムは同級生だ。