チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

願い星、叶い星

2004年12月01日 21時14分18秒 | 読書
アルフレッド・ベスター『願い星、叶い星』中村融編訳(奇想コレクション、04)

 編訳者によるあとがきを読むと、ベスターは短篇を40作足らずしか書いてないらしい。短篇集としても、実質的には『ピー・アイ・マン』(8篇)と『Starburst』(11篇)の2冊しかなく、本書はその『Starburst』から6篇、あと『ピー・アイ・マン』から1篇と短篇集未収録作品1篇がセレクトされている。
 その結果、本書は、当然ながらいかにも「奇コレ」テイストに溢れた作品集となったわけだけれども、その分『ピー・アイ・マン』よりも「実験性」、「過激さ」において、やや大人しめになったかもしれない。
 て言うか『ピー・アイ・マン』が凄すぎるのであって、本集も、そんじょそこらのSF作品集なんかより数段ぶっ飛んでいるのは勿論である。
 作品数が40に満たないのだったら、これはもう全作品を出版してほしいですね。それだけの価値は十分にある作家だと思います。

 「ごきげん目盛り」は、〈狂ったロボット〉テーマの作品だが、むしろ実験的な、アクロバティックな叙述に注目したい。小説の内容がこの叙述形式を要求し、ベスターはその「論理の要請」に十二分に応えている。

 「ジェットコースター」では、〈パッション〉のエネルギーを失った未来人が、それがまだ溢れんばかりに存在する〈原始的〉な「現代」へやって来てそれを貪り味わい尽くそうとするが……。

 『人間以上』や『呪われた村』が示すように、SFで書かれるアンファン・テリブルものは、ミュータントテーマとの合わせ技になりがちなのだが、「願い星、叶い星」は、この定型を踏みながら最終的に定型自体を相対化してしまう。ソフィスティケーテッドな佳品。

 「イヴのいないアダム」 主人公が開発したロケットの新燃料は、友人たちの心配どおり地球を壊滅させる。たったひとり生き残った主人公は、その死の直前、自分の体(有機物)と海から、新たな創造が始まることを夢見る。その目に映る「星々はまだ見慣れた星座を形作っていない」。つまり主人公は始原の(といっても一億年前の)地球に吹き飛ばされていたわけだ。終焉が始まりに連結し、円環するヴォークトばりの壮大なSF!

 〈時間テーマ〉SFは、人間の「ここより他の場所」幻想に根源的に支えられている。「選り好みなし」は、かかる〈時間テーマ〉のドグマを冷徹に暴いている。<擦れた不機嫌なベスター>の面目躍如たる小品。

 「昔を今になすよしもがな」は、『ピー・アイ・マン』から撰ばれた一篇。リーダビリティは本集中随一。
 「カップルを頭のいかれた人間にして、その狂った目を通して世界をながめれば面白いかもしれない」と作者は執筆の動機を語っているが、それは一種の煙幕だろう。世界にたった一人残された(と思い込んだ)人間が取る世界への態度にはどんなものが想像できるか。この男女の互いに対称的な振る舞いは、どちらも(一見)奇矯に見えて、実は切実なリアリティが表現されているのではないか。本篇は〈地球最後の人間〉テーマ(のSFに多く見られる硬直した観念論)を再考するベスターならではの傑作。

 「時と三番街と」は愛すべき時間テーマのちょっとした一齣。

 「地獄は永遠に」は、本書の3分の1を占める140pの中篇。ちょっと長すぎる憾みがあるのだが、読み終わった瞬間にその長さを忘れる。面白い!
 『宇宙の眼』のように、作中人物がそれぞれの主観世界を彷徨し、どの世界もそれぞれになかなか面白いのだけれども、最後のロバート・ピールの世界が不条理を極めていて凄い。そしてラストの仕掛けにあっと驚かされるのだ。 
コメント
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