『THE MISSING PIECE Meets the BIG O』
Shel Silverstein
この絵本は、春休みに神戸へ行ったとき、子どもたちがとても気に入って買ってきた絵本です。
ご存知の方も多いと思いますが、これは『ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに 』のオリジナル。
↓こちらが最初に出た『ぼくを探しに』。
私が独身のころ、初めて買った絵本じゃないかと思います。
この絵本のことを知ったのは、内田善美氏の漫画の中だったと思うのですが、どんな絵本だろうとずっと気になってて、ある日京都の本屋さんで偶然見つけたときは、(心の中で)30センチほど飛び上がって喜びました。
まだ若くて、多感な年頃だった(?)私には、とても印象的な絵本でした。
そういうわけで、この『ぼくを探しに』は我が家の本棚にあたりまえのように並んでいて、他の絵本と同じように、長女は小さいときから読んでいて、よく知っていたのでした。
だから、長女の友達から「すごい絵本見つけたよ」と見せられたとき、「知ってる」と言って驚かれたそうです。
でも、その続編も出てるということを知らなかったため、わざわざ高い原書を買ってしまったのですねえ(苦笑)。
迷ったあげく、次女とお小遣いを半分ずつ出し合って買ったようですが、私も千円寄付しました(って、千円だけかいっ)。
今読み返してみても、シンプルなだけにどんなふうにも読み取れる、哲学的な絵本だなあ、と思います。
自分にぴったりの「かけら」を探す「ぼく」。
大きすぎたり、小さすぎたり、ぴったりだと思っても、壊してしまったり、おとしたり。
ようやくぴったりの「かけら」を見つけた「ぼく」は、完全な円になって、ころころ転がることができるようになったのだけれど・・・。
速く転がって、花の香りをかぐこともない。
口がふさがって、歌も歌えない。
「なるほど つまりそういうわけだったのか」
「ぼく」はかけらをそっとおろし、また一人で転がっていくのです。
これが『ぼくを探しに』のストーリー。
続編の『ビッグ・オーとの出会い』では、「かけら」のぼくが自分をどこかに連れてってくれる「かたわれ」を探しています。
でも、ぴったり合ったと思っても、角ばってて転がれなかったり、デリケートすぎて壊れてしまったり。
やっとぴったり合う相手を見つけたと思ったら、自分がどんどん大きくなってしまって、はみ出てしまったり。
気落ちした「かけら」は、ある日ビッグ・オーに出会います。
いっしょに転がりたいのに、完全な円のビッグ・オーには「かけら」が必要ありません。
がっかりする「かけら」に、彼(?)は言います。
自分で転がってみたらどうだい、と。
とがっているから転げないと言う「かけら」に、ビッグ・オーは角はとれる、形は変わると言って去っていきます。
少しずつ自分で動き出そうとする「かけら」。
すると、角がとれ、だんだん形が変わり、自分で転がれるようになるのです。
ころころ、ころころ、転がって、いつの間にかビッグ・オーに追いついて、並んで転がっていくのでした・・・。
う~ん、この年になると、いろいろ考えさせられますね。
いつの日か子どもたちも、自分の「かけら」や「かたわれ」を探すようになるのかな。
うまくいったり、いかなかったりして、そしてある日、ふと気づくのかな。
自分で転がりだしてみよう、って。
そのとき、きっとこの絵本のことを思い出してくれますよね。
そういう私は、どうだったのかなあ・・・。