goo blog サービス終了のお知らせ 

ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

今日から始まる!

2016-03-19 | 読むこと。




『精霊の守り人』が、いよいよ今日から始まります!
綾瀬はるかさんがバルサを演じると知ってからずいぶん経って、期待半分、不安半分だったのですが、
最近流れてる予告編を見ると、服装とか、顔の汚れ具合とか、かなり気合が入っていそう(笑)
それ以上に、高島礼子さんのトロガイにはびっくりぽん!でしたが。

私も放送に間に合うようにと、本棚から守り人シリーズを出してきて読み直しているところです。
初めてこの本に出会ってから17年経ちましたが、今読んでもやはりおもしろい。
当時はファンタジーを読み漁ってた時期でしたが、このシリーズの圧倒的な世界観と、
ファンタジーでありながらリアルな人間模様に、大人の私でも納得できる壮大な物語として
他にはない魅力を感じたものです。

どうかどうかこの世界観を壊さずに、原作の素晴らしさが映像となって見られますように。
中途半端なドラマにだけはなりませんように。


ここ数日、義母が夜おとなしく寝てくれなくて、心身ともにまいっているのだけれど、
本を読んだりドラマを見ているときは、そんなしんどい現実も忘れることができます。
楽しみにしてた「あさが来た」がもうすぐ終わっちゃうので、次はこの「精霊の守り人」に
期待したいなあ・・・(「シャーロック」のシリーズⅣは来年以降だろうしね)

とりあえず今年は「精霊の守り人」を4話でということですが、3年かけて全シリーズをやるとのこと。
大人になったチャグムや、『蒼路の旅人』で登場するヒュウゴはどんな俳優さんが演じるのかな。
それも楽しみです♪

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プチ同窓会 @西陣

2015-12-10 | 読むこと。
11月の終わりに、高校の時の友達5人と久しぶりに京都で会いました。
子どもたちの手が離れてから、年に1度はみんなで美味しいランチとおしゃべりを楽しむようになり、
京都で集まるのはこれで3度目。

今回はYちゃんの車に乗っけてもらい、地元組3人一緒に京都へ。
おしゃべりが尽きず、いつもは長い京都への道のりもあっという間です。

京都でのランチは、今やすっかり洗練された京都人になっている(?)S子にお任せ。
いつも美味しいお店をチェックして予約を取ってくれます。
この日のランチは西陣にあるふじ義さん。

これまで西陣界隈へはあまり行ったことがなく、堀川通りも車やバスで通ることはあっても
歩くことはめったにありません。
10月の初めに京都へ行ったときは歩くと汗ばむほどで、光悦寺の紅葉もまだまだでしたが、
さすがに11月の末ともなると堀川通りの銀杏並木が色づいてきれいです。







お店は堀川通りを少し入ったところで、ちょっと隠れ家的。
和食のお店なのに、店内は白い壁に木製のテーブルとお洒落で洋風な雰囲気です。

お店では食べてしゃべってまた食べて・・・
なのでお料理の写真はこれだけ


















高校の時の友達といっても、ほとんど幼稚園~中学校のときからの友達なので、
ブランクがあっても会えばすぐに女子高生に戻って(?)賑やかにおしゃべりが始まります。
卒業して何十年たっていようと、休み時間に集まってわいわい騒いでいたときと
ちっとも変わりません(笑)

私たちのおしゃべりがつきないものだから、お店の方も一瞬の合間をみつけては
ひとつひとつお料理の説明をしてくだいました。
すべて「○○産の△△」という説明つきで、素材へのこだわりが感じられます。

お造りは鰆でしたが、そういえば鰆をお刺身でいただくのは初めて。
めずらしいなあと思って調べたら、扱いが難しくよほど新鮮でないとお刺身に向かないようです。
へー、知らなかった~

初めてといえば白子の天ぷらもそうで、ふわふわの何とも言えない食感にびっくりぽん。
鍋物もご飯も趣向を凝らしたものばかり。
最後に飲んだアールグレーまでとても美味しく、お料理もサービスも丁寧に行き届いていて
みんな大満足でした。

 *これを書くのにふじ義さんを調べてたら、ミシュランで★ひとつ獲得とのこと。
  やっぱりね~、と納得です。



ふじ義さんを出たあとは、これまたS子が予約してくれてたレ・フルール・ムトウでお茶とスイーツ。
ああ、ケーキもパンも美味しそう
でも、お腹いっぱいだし・・・と言いながら、食べる、しゃべる、飲む、しゃべる、
賑やかなおばさん6人でした(笑)


この後みんなは二条城で開催されるアートアクアリウムに出向きましたが、私は義母がこの日
ショートステイから帰ってくるので残念ながらここでお別れ。
でも、駅に向かう前に一か所寄りたいお店があったのでそちらへ向かいました。
そのお店というのは・・・

この夏、仕事を辞めた長女は家賃の安いアパートに引っ越しました。
それがちょうどこの西陣あたり。
たまたまそのアパートの近くに、手づくりのアクセサリーを委託販売してくれるお店を見つけ
秋から納品しているとのこと。
せっかく近くまで来たので、そのお店zakka cofuq'ue さんにこそっと寄ってみようと企んでいたのでした。

ちょっとドキドキしながらお店に入ると、小さいながらもかわいい雑貨でいっぱい!
時節柄、クリスマスの小物が並んでいます。
そんな中に見覚えのあるピアスやイヤリングが。
まわりのアクセサリーと比べても見劣りしません(親ばかですかねー

今日車を出してくれたYちゃんのお礼に何かいいものがあれば、と思っていたのですが、
結局私の好みにあった長女のイヤリングを選びました。
自分もあれこれ手づくりしているYちゃん、気に入ってくれるかな。

レジにおられた店長さんに一応ご挨拶してお店を出たら、もうすっかり日が暮れています。
慌ててバスに乗って京都駅へ。
帰りはいつも後ろ髪引かれる思い。
若いころ10年近く過ごした京都は、街並みがかわっていても懐かしく、
今でもバスに乗って窓の外を眺めていると、ふとその頃にもどったような気がするのです。
まだ二十代で、定まらない未来に不安や焦りを感じていた頃の自分に。
なのに、今では娘たちがちょうどそんな年頃になっているなんてねえ・・・

友達を見てて思うのは、しっかりした友達は人生設計もしっかりしてて、早くに家を建て、
子どもたちも結婚しもう孫もいます。
昔から地に足が着いてなかった私は、いまだにどこかふらふらしてて、それが子どもたちにも
うつってしまったのかしらん・・・と不安に思う今日このごろ。
何ひとつアドバイスらしきことも言えず・・・
自分の道は自分で一歩一歩前に進むしかなくて、自分が歩けばそれが道になるわけで。


はい、おばさんになった私も、現実の生活へ戻って一歩一歩前を向いて歩いていきましょう。
年末に向かって、またひと頑張りしなくては



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『若冲』

2015-08-04 | 読むこと。
この暑さにめげて、一ヶ月ほど本のレビューを書きかけのままほったらかしておりました
週末アップしようとパソコンの前に座ったのだけれど・・・なんと最高気温が37.4度!
いつもなら風が通って涼しいリビングも、風がなくて湿度も高い。
今日も最高気温は36度。あ、暑いよ~~~




   ・・・     ・・・     ・・・








作者の澤田瞳子さんは『孤鷹の天』()以来のファンで、これまでに『満つる月の如し』、
『日輪の賦』(*)など主に奈良時代を舞台にした作品を読んできました。
どれも、新しい時代をつくろうとする真っ直ぐな若者を描いたものです。

で、今回その作者が若冲を取り上げたとあっては読まないわけにいきません。
図書館は予約待ちだったので、思わずAmazonでポチ。


伊藤若冲といえば、言わずと知れた江戸時代の京の絵師。
本の表紙になっている、色鮮やかで綿密に描かれた鶏の絵をご存知の方も多いのではないでしょうか。
以前、若冲と江戸絵画展()を見に行ったことがありますが、
鮮やかな色使いや図柄の斬新さに、これが江戸時代に描かれた絵!?と驚いたものです。
その若冲が、なぜあのような奇矯な描くようになったのか。
この作品では史料をもとに、作者独自の視点で若冲の人柄や人生を描いています。

また、若冲以外にも当時の京の絵師たちが登場したり、屏風祭りと言われた祇園祭や、天明の大火など
その時代の様子が丹念に描かれ、その時代の息遣いがいきいきと感じられる作品となっています。
それらの出来事が若冲の転機となるきっかけになったりと、史実とうまくリンクしているので、
どこまでが事実でどこからが作者の想像なのか、私のような素人には全くわかりません。
数少ない史料をもとに、まるで謎解きのようにピースをひとつずつ繋ぎ合わせ、若冲という人物を
作り上げていった作者の力量はすごいと思います。

作品は若冲の40代から亡くなるまでの出来事を、彼の作品と関連させた八つの連作で構成されていますが、
若冲と彼を憎む義弟の弁蔵、語り手である腹違いの妹お志乃を中心に、池大雅や与謝蕪村などの
京の絵師、ひとくせもふたくせもある幕府の役人などが登場し、ひとつひとつのエピソードが
ドラマティックに語られていきます。
そしてその中に描かれる若冲の絵の描写がこれまたすごい。
若冲の内面と、その絵を描くに至った背景が描かれているので(これは作者の想像なのでしょうが)、
ネットで絵を検索しながら、ここに出てくるのはこの絵か~、なるほど~、と感心しながら読み進めていきました。

彼がなんのために絵を描いているのか、そもそも絵とは何なのか、を、それぞれの
登場人物たちに語らせる場面はとても迫力がありました。
また、若冲の絵か真偽のわからない作品のことや、なぜ長い間忘れられていた若冲の絵が
近年ブレイクしたのかなどにも、作者なりの考えが書かれています。


「・・・絵というもんはすべからく人の世を写し、見る者の目を楽しませるもの。
けどお前の作は自分の胸の裡を吐露し、己が見たくないものから目をそむけるためのもんやろが」


そう言い放つ媼に若冲は尋ねます。
それならなぜ世の中にはこんな自分の絵を求める人がいるのかと。

「それはそいつらが、お前の絵の奇抜さや彩りの華やかさに眼を奪われ、絵のまことを見てへんからやわ」

そして二百年か三百年か後には、

「ふん、その頃にはおぬしの絵なぞ、世人より忘れ去られておろうよ。もっとも千年も時が流れ、
人が野の草花や生きることの美しさに気付かず、ただ他人を妬み、己の弱さに耽溺するばかりの世となれば、
また違うかもしれぬがのう」


なかなか手厳しいお婆さんです。
しかし、そこから若冲は千年先に残せるような絵「鳥獣花木図屏風」を描くのです。

かと思えば、元は江戸の勘定所で切れ者として働き今はおちぶれた役人が、
若冲が描いたという屏風を、義弟弁蔵が描いた贋作だと気づきこう言います。

「それがしは絵とは、人の世が如何様に移り変わっとて、一分たりとも姿を変ぜぬまま、
そこにあるものと信じておりました。」
「いかに世が推移したとて、絵は決して姿を変じませぬ。描き手である画人が没しようと、
それを描かせた大名が改易になろうと、美しき絵はただひたすらそこにあり、大勢の人々を
魅了いたしましょう。ならばその世々不滅の輝きを守ることこそが、儚く変ずる世に生きる者の
務めではございますまいか」


そして、姉を自殺に追い込んだ若冲を許さなかった義弟弁蔵も、最後には若冲の絵を認めて言うのです。

「・・・わしはやっと分かったんどす。若冲はんの絵は、わしら生きてる人の心と同じなんやないやろか、と」
「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。
そやから世間のお人はみな知らず知らず、若冲はんの絵に心惹かれはるんやないですやろか」



ふーむ・・・
もう一度、じっくり若冲の絵を見てみたくなりました。
実を言うと、この作品の若冲と、私が抱いていた若冲のイメージが全く違うのです。
それと、若冲を憎む義弟の弁蔵が、わずか4年で若冲の絵の贋作を描けるほど絵が上達するのか?
という点も違和感を感じたのですが・・・
今度図書館へ行く機会があったら、作品集を探してみよう。
この本を読んでから見たら、また違った印象を受けるかもしれませんね。


ところで、今年の芥川賞では又吉さんの『花火』ばかりが注目を浴びましたが、実はこの『若冲』も
候補にあがっていたんですよね。
歴史を専門に研究された方だけあって、その時代や人々をいきいきと描く作家さんです。
(お母さまは時代小説を書かれる澤田ふじ子さん)
歴史ものが大好きな私としては、今後もおもしろい作品をぜひ期待したいと思います!



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『鹿の王』

2015-01-11 | 読むこと。







久々に本のレビューです。

昨年、上橋菜穂子さんの新刊が出たと知り、思わず買って読み終えたのが10月。
もう一度読み直してからレビューを書こう、と思っていたら腰痛でパソコンに向かえず、
そうこうしているうちに年末・お正月を迎え・・・とうとうこんな時期になってしまいました

それというのも(弁解ですが)、この作品はそう簡単にレビューが書けそうにない、
いろんな読み方のできる深く壮大な物語なのです。
感染症が一つの大きなテーマで、それに国・部族間の関係やそれぞれの文化が大きく
関わり、登場人物の利害関係もけっこう複雑で・・・
一度読んだくらいでは、到底このタンジュンな私の頭では整理がつきそうもなかったのです。


内容は簡単に言うと、ある謎の病に医者として、あるいは患者として、あるいは
それを利用しようとして、関わった人たちの物語、ということになります。
といっても、もちろんこの作品もこれまでの作品と同じように全く異世界のファンタジー。
ですが、そこで国や人々が抱える問題や思いは、現在の私たちとほとんど同じ。
戦いの後の国の統治のあり方、民族あるいは部族間の対立、未知の病の恐ろしさ、
そしてそれらに否応なく巻き込まれ、理不尽な生き方を強いられる人々・・・

それらを、不思議な犬に襲われその謎の病に侵された元戦士団の頭ヴァンと、
その病の治療法を懸命に探そうとする天才医術師ホッサルの二人を中心に展開していきます。
彼らと、彼らを支える二人の女性が、なかなか魅力的なのですよ


ヴァンは、強大な帝国にのみこまれていく故郷を守るため、戦いを繰り広げる戦士団の
頭でしたが、囚われ岩塩鉱の奴隷となり絶望的な日々を送っています。
ある日その岩塩鉱が不思議な黒い犬に襲われますが、ヴァンと一人の幼子だけが助かり、
その幼子をユナと名づけ共に生き延びます。
しかし、謎の病に罹りその身に異変が生じるのです。

なぜ、病に罹る者と罹らぬ者がいるのか。
病で愛する妻と子を失ったヴァンは問います。

病に罹らぬ人もいるのに、なぜ、妻と子は罹ってしまったのか。・・・
長く生きることができる者と、長く生きられぬ者が、なぜ、いるのか。
長く生きられぬなら、なぜ生まれてくるのか。



一方、その謎の病で滅びた王国の子孫である医術師ホッサルは、なんとかその病の治療法を
見つけようと、唯一生き残った男ヴァンを探そうとします。
その任を命じられたのが、女性でありながら素晴らしい腕を持つ跡追い狩人のサエ。
ホッサルの従者マコウカンと共に、わずかな手がかりをもとにヴァンを追います。

しかし、再びあの黒い犬たちが襲来し、多くの人がその病に感染し命を落とします。
なんとかその病の原因を探り、治療法を見つけようと必死になるホッサルと助手のミラル。
が、移住民だけが罹ると噂されるその謎の病の背景には、征服され土地を奪われた民や
それを利用しようとした為政者など、様々な文化を持つ国や部族の異なる人々の思惑が
複雑に絡み合っていたのです・・・

しかし、この作品に「悪者」は出てきません。
戦いは描かれても、敵の王や為政者も、謎の病を流行らせようと意図した者も、
ひとりの人間として描かれているからです。
それは、異文化の共生を願う作者の思いからなのでしょう。
ヴァンもホッサルも「悪」に立ち向かうわけではなく、己の生き方に
真正面から立ち向かっていったのだと思います。


たしかに病は神に似た顔をしている。
いつ罹るのかも、なぜ罹るのかもわからず、助からぬ者と助かる者の境目も定かではない、
己の手を遠く離れたなにか―神々の掌に描かれた運命のように見える。
(・・・だが)
だからといって、あきらめ、悄然と受け入れてよいものではなかろう。
なぜなら、その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだからだ。
・・・
この世に生まれ落ちたときにもらった身体で、生き物はみな、命を繋ぐための、無数の、
小さな戦いと葛藤を繰り広げている。
他者の命を奪おうとするもの、他者の命を支えて生きるもの、雑多な生き方がせめぎ合い、
交じり合い、流れて行く、このすべてが、生きる、ということなのだろう。



この作品は感染症を扱った医療の物語であり、国のあり方を描いた物語であり、
人と生き物を描いた物語であり、父と子、あるいは家族の物語であり、男と女の物語であり・・・
とにかくいろんな視点で読むことができる壮大な物語なのです。




それにしても、どうやったらファンタジーでこのようなリアルな世界を作り出し、
読者が共感できる生き生きとした人物が描けるのか。
作者の上橋菜穂子という人はどんな人物なのだろう、とファンとして
いつも興味を抱いていました。

で、一昨日のこと。
たまたまBSの番組で上橋菜穂子さんの特集があるのを知り、ご本人が出演されて
生い立ちから物語を紡ぎだすまでのいろいろな興味深い話を聞くことができ、
なるほどなあ~と、すとんと納得したしだいです。


この作品は感染症が大きなテーマだと書きましたが、以前何かである研究者のような人が
言ったことがとても印象的で、最近それをよく思い出します。
その人は「人類にとって何が一番恐ろしいか」というような質問に対して、
「近い将来、人類にとって感染症が脅威になるだろう」と答えたのです。
それを聞いたとき、ちょっと意外な気がしました。
人類の脅威と言ったら、やはり「核」だし、病気でいうと癌、心臓病などがありますよね。
ひと昔まえじゃあるまいし、なんで感染症が?って。

でも、確かに最近になって恐ろしいと感じるのは、遠く離れた国で発症しじわじわ
と各国に広がっていったエボラ出血熱であったり、新型インフルエンザのバンデミックの脅威であったり。
昨年はデング熱でも大騒ぎになりました。
そう、目に見えないウィルスがもたらす感染症は、どこに存在するのか、どこで感染するのか、
わからないだけに恐ろしい。
たまたま毎日そんなニュースが流れているときにこの本を読んだので、よけいに
感染症の恐ろしさというものを痛感したのでした。


上橋さんが興味深いことをおっしゃっています。
人間はウィルスや細菌の共生体で、それは森や国家も同じではないか、と。
たとえば自分の腸の中に悪玉菌と善玉菌がいて、消化吸収を助けたり、免疫力を
つけてくれたりするのもいれば、お腹をこわしたり悪さをするヤツもいる。
自然や人間の社会もそれと同じように、共生と葛藤を繰り返しているわけですよね・・・


ふぅ~。
なんともスケールの大きな話で、おおまかなことしか書けませんでしたが、
この先何度でも読み返してみようと思います。
守人シリーズもテレビドラマになるようだし、また上橋作品を最初から読み直してみたいな~

本を開けたらそこには全く違う世界が待っている、って、今の私には救いのようです。
だから、ファンタジー大好き






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『かたづの!』

2014-10-05 | 読むこと。



1年ぶりに本のレビューです。
(書きかけて下書きのままになってるレビューが、他にもいくつかあるのですが


作品は、新聞の書評を読んでからずっと気になっていた本『かたづの!』です。
作者は中島京子さん。
直木賞を受賞した『小さいおうち』が映画化され、話題になりましたね。

今回の作品は歴史小説で、主人公は八戸南部氏当主直政の妻祢々。
実在の人物です。
時代は戦国から江戸時代の初期にかけて、まだ戦いが日常的であった頃のこと。
城主である夫が突然病死、その直後幼い嫡男も変死します。
南部藩主である叔父の利直による毒殺ではないかという噂が流れるのですが、
確たる証拠がない。
残された祢々は八戸を叔父の手から守るため、当主として城を継ぎ女亭主となることを
決意します。
なんでも、江戸時代で唯一の女大名というのだからびっくり。

しかし、豊かな八戸を自分で支配したい叔父は、その後も祢々に再婚を勧めたり、
荒れ果てた遠野に国替えを命じたりと、無理難題を押し付けてきます。

「戦でいちばんたいせつなことは、やらないこと」
「二番目に重要なのは、そうね、始めたらさっさと止めること。
 いいえ、やはり二番目は負けないことです。
 勝たねばとは言わない。負けぬ、が肝要。・・・(中略)・・・
 そしてさっさと止めるのも肝心」

それを貫こうとする祢々(後に尼になって清心尼と呼ばれます)は、ともすると
すぐに戦を始めようとする家来たちをなだめ、なんとか戦わずに危機を乗り越えるため
知恵を絞ります。
まだ戦国の世で、男たちが戦に明け暮れているこの時代に、「戦わない」というのは
並大抵のことではありませんが、それを貫こうとするのは女性ならではですよね。

そんな祢々は江戸時代唯一の女大名になっただけあって、そのキャラも魅力的に
描かれています。
特に前半、彼女が若いころは賢くて真っ直ぐな感じで好感がもてます。
弟利直の庇護を求めようとする母親と祢々の会話も、女同士遠慮がなくてテンポがよく、
二人の対比がおもしろい。
また、祢々と対極にいるかのような存在の叔父利直との対決も、思わず
「祢々がんばれ~」と応援したくなります。

しかし、その祢々も八戸のため大切な娘を憎き叔父の息子に嫁がせ、
結果的にその娘を失うという非常に辛い思いを経験します。
城主として八戸のためにしたこととはいえ、結果として自害してしまった娘に
どれほど自分のしたことに悔いたことか・・・
このあたりから、祢々のきらきらしたところがなくなってしまうのは残念ですが、
もう二度と大切な人を失いたくないと腹をくくった祢々は凄味も増して、
だからこそ片角〈かたづの〉とともに不思議な力を発揮できたのでしょう。
その後も次々と襲いかかる困難に立ち向かい、年とともに強い女性になっていくのは、
同じ女性として納得できるなあ(笑)

あちこちで民族間の争いが絶えない今、こんなふうに戦わずしてうまく折り合える
知恵を持った祢々のような女性が、たくさん現れてくれると世界も変わるのにね。


そうそう、タイトルにもなっている〈かたづの〉ですが。
これは角を一本しか持たない羚羊〈カモシカ〉が遺した、その一本の角のことです。
実は、私がこの作品に興味を持ったのは、この物語がその片角〈かたづの〉の
視点で語られているからなのですね。
初めて出会ったその瞬間から祢々に惹かれた羚羊が、死んでからは切り取られた
一本の片角として不思議な力を持ち、何度か彼女の危機を救います。
その片角の視点で語られているというところがとてもユニークでしょ?

この片角、遠野では実際に明治時代まで「片角ご開帳祭」というお祭りがあり、
年に一回、片角様という神様が人間を叱るという儀式があったそうで、作者は
そこからヒントを得られたそうです。
角が語るくらいだから、河童に助けられたり、屏風からぺりかんが抜け出てきたり、
死んだ叔父が大蛇になって出てきても不思議じゃないですよね~(笑)
史実を扱いながらも異界の物が活躍することに違和感を感じないのは、
やはり「遠野」という土地柄だからなのでしょう。
そういえば、最後にちらっと現れた幼い童は座敷わらしのようでした。

この作品は、戦わないことを貫いた一人の女性の波乱万丈の物語であり、
遠野の民話に出てくる異界の物たちを描いたちょっと不思議な物語でもあります。
現実のあれやこれやに疲れたとき、こんな世界をのぞいてみてはいかがでしょう?


こちらを書いているうちに、上橋菜穂子さんの新作を見つけました。
こちらはカモシカではなく『鹿の王』。
どんな物語なのでしょうか、楽しみです♪



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする