こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

こころの自由

2012年12月19日 | 未整理
こころの自由と、こころの不自由と。
感情との付き合い方しだいで、こころは自由にもなれば不自由にもなるようです。

それで誰もがこころの自由を謳歌したいと思っているのかというと、
不自由に留まりながら、ちっとも不自由を感じていない心もあるようです。

感情をきっちりと自分で受け止めることができないとき、
その感情は自分にとって都合の悪い感情ということになって、
感情は抑圧されるか、合理化されることになりますが、
不自由でありながら、それを不自由と感じない心は、
合理化がすっかりその人の個性となっているケースといえるかもしれません。

そんな悲しいことは考えないようにする。嫌なことは考えないことにしている。
落ち込んでしまうから考えないようにする等など。。。ときには合理化は必要ですが、
感情の意味と向き合うことなく合理化することに逃げてばかりいると、
せっかく湧いてきている感情が浮かばれないなあ…と思います。

合理化だけでなく、とりあえずの置き換え、とりあえずの退行も然りで、
とりあえずのまま放置され続け、いつまでたっても素直に現れることがゆるされないとしたら
せっかく湧いてきているのに、感情はその役目を果たすことができません。

感情は、その心を深く豊かに耕すきっかけを与えたくてやって来ている(湧いてくる)と思うのです。

感情は感情に気付き、存在を認めてほしいと願っていますが、
心の方は受け止める準備ができていない。。。
どんな感情でも無視せずに認めることができる心を育みたいのは、
こころの自由を求める人にとって、それは生涯続くテーマなのだと思います。

子供時代は、こころの自由を謳歌しているお手本が身近になかったとしても、
(身近にお手本があるケースの方が稀かもしれません)、
今ここで本気で、こころの自由を希求するならば、その時点で自由は約束されたのも同じこと。
こころの自由を育むことに遅すぎるということはなく、いくつになっても人生のどこででも始められるのですね。

その人にしかわからない、こころの自由。わたしにしかわからない、わたしのこころの自由。
生涯をかけて、大切に育んでゆきたいものです。
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