法に触れるとか、触れないとか。とかく法律談義が好きである。法律に踊らされている感が否めない。法律自体もしょせん人間が円滑にと編み出してきたものだ。昨夜、元大手銀行マンが、単に自行内のマニュアル的な説明を行っているだけの事柄に、大手TV局の演出ゆえ、納得していることに驚かされる。全く利用者の利便性への改善対応や柔軟性などみじんも感じられないのに。大学時の、同期生には大手銀行就職者はひとりもいなかったが、先輩方のなかには大勢有名大手銀行へ就職された方がいる。自分が、TP社時代に東北6県を担当エリアとする仙台営業所長のときには、それまでの銀行口座を大手銀行の支店から、地元の相互銀行へ変えた。仙台の後、九州と沖縄、山口をエリアとする福岡営業所時代には、やはり大手銀行から、長崎に本店を置く地方銀行へ口座を変えた。東京都八王子市にて外資の日本法人発足時には、設立時の弁護士事務所が開いた口座から、地元のT信用金庫へ取引口座を変えた。何故か? 理由は共通している。大手銀行の支店長があいさつに来るのは、着任時だけで、いつ別の所へ転勤したのかは、後任の新支店長があいさつに来て、初めて知ることになる。当然、その間、支店長は別としても、担当すら顔を出さない。電話で連絡しても、一般の個人顧客と同然で、なんらの情報提供もメリットもない。その点、地元や、ローカルな金融機関は、課長レベルなどが、頻繁に来訪し、本来銀行の窓口で行うような業務処理をこなしていってくれるし、為替レートなどについても、優遇処置を提案してもらい、実弾としてのメリット提供があるのである。その他、いろいろと茶飲み話的に立ち寄ってくれるし、記念硬貨・紙幣などが発行されれば、それらを提供してくれたりもする。逆に、大手銀行へ、こんな対応をしてもらえるかを依頼しても、なしのつぶて、無視、本社決済がどうのこうの。正直、血が通った人間味を感じられなかったというのが、個人的ではあるが、自分のビジネス経験だ。
そのような環境下の方が、一生懸命単にマニュアルを説明しているだけで、納得させられるなんてまっぴらご免です。
決して法を曲げろとか言っているのではないのですが、たとえば深夜の道路で、押しボタン信号の横断歩道があり、誰かが一人横断したいがためにボタンを押したが、クルマがいないので横断者自身が信号など無関係に横断した後、信号が変わり、誰も道路を渡っていないのに待たされる。こんな時に、何か理不尽さを感じる。これが、周囲が砂漠で、その中にある1本道でも、信号待ちするのか?と。法律やマニュアル信奉者の対応は容易に想像できるが。
ひとつの大切な情報発信源である、TVなどのマスコミには、もっと市民、国民目線に立って、批判的精神を気概、良識、貢献といったものを改めて考えてもらいながら、発揮してもらいたいと願っている。