現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

法律とマニュアル

2014-04-09 | Weblog

法に触れるとか、触れないとか。とかく法律談義が好きである。法律に踊らされている感が否めない。法律自体もしょせん人間が円滑にと編み出してきたものだ。昨夜、元大手銀行マンが、単に自行内のマニュアル的な説明を行っているだけの事柄に、大手TV局の演出ゆえ、納得していることに驚かされる。全く利用者の利便性への改善対応や柔軟性などみじんも感じられないのに。大学時の、同期生には大手銀行就職者はひとりもいなかったが、先輩方のなかには大勢有名大手銀行へ就職された方がいる。自分が、TP社時代に東北6県を担当エリアとする仙台営業所長のときには、それまでの銀行口座を大手銀行の支店から、地元の相互銀行へ変えた。仙台の後、九州と沖縄、山口をエリアとする福岡営業所時代には、やはり大手銀行から、長崎に本店を置く地方銀行へ口座を変えた。東京都八王子市にて外資の日本法人発足時には、設立時の弁護士事務所が開いた口座から、地元のT信用金庫へ取引口座を変えた。何故か? 理由は共通している。大手銀行の支店長があいさつに来るのは、着任時だけで、いつ別の所へ転勤したのかは、後任の新支店長があいさつに来て、初めて知ることになる。当然、その間、支店長は別としても、担当すら顔を出さない。電話で連絡しても、一般の個人顧客と同然で、なんらの情報提供もメリットもない。その点、地元や、ローカルな金融機関は、課長レベルなどが、頻繁に来訪し、本来銀行の窓口で行うような業務処理をこなしていってくれるし、為替レートなどについても、優遇処置を提案してもらい、実弾としてのメリット提供があるのである。その他、いろいろと茶飲み話的に立ち寄ってくれるし、記念硬貨・紙幣などが発行されれば、それらを提供してくれたりもする。逆に、大手銀行へ、こんな対応をしてもらえるかを依頼しても、なしのつぶて、無視、本社決済がどうのこうの。正直、血が通った人間味を感じられなかったというのが、個人的ではあるが、自分のビジネス経験だ。

そのような環境下の方が、一生懸命単にマニュアルを説明しているだけで、納得させられるなんてまっぴらご免です。

決して法を曲げろとか言っているのではないのですが、たとえば深夜の道路で、押しボタン信号の横断歩道があり、誰かが一人横断したいがためにボタンを押したが、クルマがいないので横断者自身が信号など無関係に横断した後、信号が変わり、誰も道路を渡っていないのに待たされる。こんな時に、何か理不尽さを感じる。これが、周囲が砂漠で、その中にある1本道でも、信号待ちするのか?と。法律やマニュアル信奉者の対応は容易に想像できるが。

ひとつの大切な情報発信源である、TVなどのマスコミには、もっと市民、国民目線に立って、批判的精神を気概、良識、貢献といったものを改めて考えてもらいながら、発揮してもらいたいと願っている。

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ささいなことや、違和感

2014-04-08 | Weblog

どんなにおおらかに見える人でも、おそらく日常生活の中で、ささいなことが気にかかる瞬間ってあるのだろうと思っている。口に出さなければ、心の中は見えないわけだから。例えば、トイレの洗面台の下に、ペーパータオルの端切れが落ちていることに妙にこだわりを感じる時と、そうでない時があると思う。車を駐車する際に、少し斜めになっていることが気になる時と、そうでもない時。ゴミ置き場に、ゴミの持ち去り禁止とか書かれていることが、妙にひっかかったり、見過ごしたり。なんか、その時々の心の持ちようなのだろうけれど、不思議に思う。

外国映画のほとんどで、先の車の駐車に関しても、外国は頭から無造作に停める。なんかあっさりしていていいなと思ったりすることもある。

TVが企業の製品開発の場面を紹介している。ほとんどのケース、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ姿の、普段着で近所にいたら、いわゆるオジサンばかりで討議している風景に何故か違和感をいつも覚える。オジサン感覚だけの判断で大丈夫?と思ってしまう。かつ、ほとんどの場合、付和雷同的な最終判断じゃないのと、勘ぐってしまう。

2014年4月上旬に、マスコミで話題になっていることがいくつかあるが、いわゆる釈明記者会見などを見ていて、よくも抜け抜けとと感じてしまうし、また、その点を突っ込まないマスコミ側もなんなのかと考えてしまう。十人十色ではあるけれど、これで幕引きなのと考えている人が大勢いると思うのだが、いまいち消化不良の感がある。

以前も述べたが、最近の世間様の忘却のスピードが早いこと、変わり身の早いことには、さらには驚かされる。昨日まで話題沸騰していたことが、ニュース価値がなくなるや否や、翌日からは見向きもしない。まあ古人曰く、人のうわさも75日というから、同じことだろうけれど。

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背に腹は代えられぬ

2014-04-07 | Weblog

2008年から、毎月医師処方による薬を服用している。当初は月約9000円程度の出費だった。その後、数年かかったが、少しずつ種類と量を減らしてもらい、最近は、月約5000円程度にまで減った。それでも、それなりの金額である。今回、薬局の方が、なぜジェネリックにしないのか?と何回も言われたので、特段のこだわる理由を持ち合わせていなかったが、4月から消費税もアップしたことだし、ようく考えれば、いろいろと節約を心がけないと思い、ジェネリックへ変えてくださいと申し出た。成分は全くかわらないとのことゆえ、今回からそうしていこうと思った。金額は、3000円代にまで下がった。それほどの差が出るなら、もっと早くから変えておけばよかったかなとも思った。

桜が見ごろの季節。近くでも通り一面が桜の街路樹のところもあり、先週の土日は、桜まつりがあると聞いていた。出かけてみようかなと思いも、それなりに持っていたが、結局はいつもの食料品買い出し以外は、出かけずじまい。もったいない話とも思うが、人出の多さや、車の停める場所などのことを考えると、どうしてもためらってしまう。日本の都市部は、正直、何かと少し腰が引けてしまうところがある。皇居が普段は開放しないところを今年は区切りの年ということで、オープンし、全国から22万人ほどが3日間で来訪したとのこと。東京駅から数珠つなぎの列の日もあり、なかなかそれでもという踏み出しができない。

春休みが終了し、新学期。朝の風景で、近隣の学校への登校風景が戻ってきた。ワイワイガヤガヤが耳にここちよい響きに思われる。

 

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眼鏡

2014-04-04 | Weblog

小学校卒業までは、視力検査でずっと 1.2ということで、全く近視などとは無縁と思っていたが、TVばかり見たりしていたわけでもなく、TVゲームなどない時代だし、目が悪くなる要素といえば、勉強のしすぎ位しか理由づけがないように思えた。ガリ勉でもなかったし、そう考えると理由がないことになる。(おそらく家系的に父方の遺伝子だろう)

中学生になると、なぜか黒板が見づらく感じた。それで眼医者へ行くことになるが、案の定、視力低下で一度は仮性近視ということで、点眼液でよくなるかトライするものの、大した効果もなく、結局、処方箋を書いてもらい、次は眼鏡店へ。当時は、今のようなチェーン店など全くない時代ゆえ、家の近所の双方が顔見知りの個人のお店へ。当時は、眼鏡の値段がやたら高く、どれを買おうが、かなりの高額商品となっていた。また、フレームもいわゆるごくごく普通のプラスチックで、上半分が黒っぽく、下にいくほど透明に近いものになっていくもので、洗練ということからは無縁のものだった。デザインがどうとかこうとか関係なく、メガネ自体をかけることが嫌で、必要な時だけかけて、それ以外は外すということを繰り返していた。近所の人や、親類も会う人会う人みんなが、目が悪くなったの?とか、メガネかけないとだめやと不便やねなど、必ず何か言われることも、うっとうしかった。そんなことで注目されたくないし、恥ずかしいという気持ちがわいた。

今のように、ファッションの一つとして捉えるような風潮もないし、伊達メガネをあえて選ぶなんていうこともしなかった。あえてガラスをはめて、高い金を出して、メガネを作ってもらうと言う感覚だから、オーダーメイドみたいなことをする、無駄遣いなどできる余裕もなかった。

メガネだと不思議と、どんどん度が進んで、見えづらくなり、買い替えていかざるを得ない。その都度、レンズの度が強く、分厚くなった気がした。高校になり、親友がコンタクトに代えたので、同じくコンタクトにした。初めての経験だったが、メガネを比べ格段に見え方が良くなり、なぜか左目のレンズばかり失くしてしまい、右側は通算15年以上、最初に購入したもので大丈夫という結果だった。周りは、たとえ良く見えるにせよ、衛生的に買い替えるべきだろと真剣に言ってもらったが、特に目の病気になることもなかったし、また、それだけ自分の右目にぴったりとフィットしているのだと身勝手な解釈をして、そのまま使用し続けた。度数も全く変わらず、視力検査では、1.5が変わらなかった。それに比べ、左目は、なぜかレンズを失くしてしまい、両目のレンズを新しくするまでに、7回程度は、片側だけの発注をしないとだめだった。メガネと同じく、当時はレンズもそれなりの値段で、今考えると、何故こんなにも高いのか、価格競争がなかったために、言い値がまかり通っていた。

今は、伊達マスクも流行っている。花粉症、PM2.5など、確かに空気感染などからの予防のためには仕方ないかもしれないが、個人的には昔から、部屋の中でサングラスをかけていたり、食事中も帽子を取らないとか、深刻な病気でもないのに、マスクで顔をださないなど、なんとなくすんなりとは。。。と考えてしまう。(頭が固いのだろうが。)

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ある雨の日

2014-04-03 | Weblog

2014年4月3日は、あいにくの雨模様。晴れ間も出るとの予報であったが、実際は本格的な雨天のほうが正しいようだ。古人曰く、風情を楽しむべし、との心の持ちようを説かれていることも頭では理解しているが、ストレートには中々その境地に達するまでに距離を感じる。未熟者ゆえの所業か。

学校給食で、和食には牛乳が合わないとの理由から、牛乳供給を実験的にストップするようなことも試みられているとのこと。小生などの頃は、普通の牛乳ではなく、最初は脱脂粉乳と呼ばれるもので、そもそも牛乳など家庭で飲みなれていないものだから、学校で出されるこの脱脂粉乳が嫌いでしかたなかった。それでも残すことは出来ないので、鼻をつまんで一気に飲んだものだ。紺で飲む者も当然いたが、すごいと素直に感心していた。ごくたまに、コーヒー牛乳めいた物が出されたが、こちらの品物も、カカオパウダーのようなものが混ぜられているだけで、格段に美味いというものでなかったと記憶している。小学校の高学年あたりから、びん入りの普通牛乳に変わったように思うが、元々が牛乳嫌いゆえ、美味しいとは思わなかった。何故、牛嫌いかと言えば、家庭で飲みなれていなかったことが大きいと思う。その当時は、いわゆる宅配が主流で、牛乳箱はあったものの、毎朝、牛乳が届けられるということはなかった。恐らく、それなりに高価だったためと、それほど好きでないと言う理由から、取らなかったものだと思う。

牛乳以外でも、米屋が扱っている武田のプラッシ‐というオレンジ風味の飲料もあった。流通ルートは米屋ルートだった。瓶入りのみである。また、普通のラムネもケース単位で(木箱)、1か月に1回の配達を頼むということもあったと思う。

コーヒー牛乳とは異なるチョコレート牛乳というものがあって、アイスココアと同じものと思うが、発売されて一定の期間が経つと、販売が中止されるということが続いていたと覚えている。社会人になってから、その業界の方に尋ねたところ、どうも固形分が沈殿することが多く、市場からの評判が良くなかったということを聞いた気がするが、それが真の理由かどうかわからない。

ビン入り牛乳というか、ビン容器は、今でいうリターナブル容器ということになり、回収して洗浄して再使用するからコストが割安になるということで、学校給食分野では、中々、紙パック(リターナブルに対して、行ったきりの一方通行になるから、ワンウェイ容器と呼ばれるが、)に簡単には切り替えられない状況だった。現在においても、リサイクルが強く叫ばれており、容器に限らず、リサイクルすることがよいとなっているが、回収コスト、選別コスト(出す側、出された側)、原料への再生コストなど、そもそもの原料へ戻すまでの追加コストがかかることも頭にいれておかねばならない。出した側は、自分の目の前から、捨てたのではなくリサイクルに回した上で、きれいになくなっていくことに満足感を覚えるかもしれないが、それらの再生処理にはそれなりの流通、生産のしくみが存在している。

飲料に話を戻すと、容器が変わると、容器のニオイがするとの苦情がでることがあった。その時に、いわゆるブラインドテスト(マスキングテスト)目隠しをして、別のコップなどに移したものを飲んで、選別してもらうのだが、ほとんど差がみられなかったという結果が多かったと記憶している。

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様々なセレモニー

2014-04-02 | Weblog

桜が満開で、まだ咲いたばかりで、花吹雪の前にて正に枝に咲き誇っている状態である。新年度スタートいうことで、入社式の模様などTVで紹介されているが、1月の成人式なども含め、従来に比べて、かなりソフトというかエンターテインメント的な要素が加わり、式自体に楽しそうな演出が盛り込まれている。1970年、1980年あたりの式といったら、学校でも会社でも、どこでも型にはまった、固い話が延々と続く、無味乾燥なものだった。来賓者の長い話など、式全体がモノクロの世界。面白くも、楽しくもない。親からも成人式がどうのこうのとの話もなく、同期の同じ体育会メンバーで成人式の日は徹マンをしていた。大学の入学式も卒業式も全学部に及ぶ講堂などないので、経済・経営・法学部の講堂を使用するので、当然ながら入りきることができないことが判り切った中で行われるものだから、ただ学生掛へ行って、必要な書類を受け取るだけである。感動もなく、当日の思い出もなく、普段の1日となんら変わることがない。千葉県浦安市のディズニーランドでの成人式など夢のまた夢の出来ごとのように思える。1970年代後半に、その当時いた会社の行事だが、普段のなんでもない日に、お昼前に大型バスが迎えに来て、都内の「千鳥ヶ淵」まで連れていてくれ、その当時で約1000円の弁当が支給され、約2時間桜の下で、ゆっくりしてくださいとの配慮があった。今もつづいているのかどうか知らないが、別に贅を尽くしたものでもないが、今振り返れば、ほんわかとした、ゆったリズムを感じさせられる時間だったなと思い起こされる。(今の時代、このような事を行っても、あちこちで、お弁当をひろげるのもそこそこに、携帯で仕事をしているフリの光景がみられるのだろうなと想像してしまう。それゆえ、携帯は不携帯にて、といった条件付けが必要になりそうだ。)

スキーモーグルの上村愛子さんが、難がないのは、無難ではあるが、難があるのは、有難いと言っていたそうだ。

小生は今まで、有り難し、有るという存在そのものが、難し(考えられない)、それゆえ尊い、もったいない、有難うとの語源とだけ解釈してきていたが、なるほど、そのように考えることもできるのだと妙に納得しました。

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2014年3月31日から4月1日へ

2014-04-01 | Weblog

いよいよ4月から、消費税が従来の5%から8%へ引き上げられる。マスコミではしきりに8%、8%と連呼し、あたかも8%分が引き上がるかの如く錯覚させられる。引き上がる差額は3%分にもかかわらず。どこのマスコミでも、何を買ったらいいのかといった特集ばかりで、まるで消費者は知恵がないのかと小馬鹿にされているようにも感じるが、共感する人はいないのだろうか? 消費税のことが主体で、それ以外の税率アップについては断片的にしか情報を配信しないので、全体像がみえてこないのも困る。価格が上昇する、上昇すると盛んに主張して、まるで、価格が上昇することを喜んで風にも受け取れる。ガソリンの価格も急騰しているが、どうして円高のときには、輸入品の価格が下がらないことを、マスコミが、今、取り上げているのと同じ感度で、いつも取り上げていかなかったのだろう。日本の社会は、「寄らば大樹の陰」の通り、大樹重視ゆえ、変わりようがないか。

一生という、その通り、1回限りの人生だ。これこそ、唯一無二。楽。たのしまずして何のための生があるや。少なくとも心の中だけは、灯せる限り、輝きを絶やさぬようにと尽力していきたいものだ。

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