現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

ささいなことや、違和感

2014-04-08 | Weblog

どんなにおおらかに見える人でも、おそらく日常生活の中で、ささいなことが気にかかる瞬間ってあるのだろうと思っている。口に出さなければ、心の中は見えないわけだから。例えば、トイレの洗面台の下に、ペーパータオルの端切れが落ちていることに妙にこだわりを感じる時と、そうでない時があると思う。車を駐車する際に、少し斜めになっていることが気になる時と、そうでもない時。ゴミ置き場に、ゴミの持ち去り禁止とか書かれていることが、妙にひっかかったり、見過ごしたり。なんか、その時々の心の持ちようなのだろうけれど、不思議に思う。

外国映画のほとんどで、先の車の駐車に関しても、外国は頭から無造作に停める。なんかあっさりしていていいなと思ったりすることもある。

TVが企業の製品開発の場面を紹介している。ほとんどのケース、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ姿の、普段着で近所にいたら、いわゆるオジサンばかりで討議している風景に何故か違和感をいつも覚える。オジサン感覚だけの判断で大丈夫?と思ってしまう。かつ、ほとんどの場合、付和雷同的な最終判断じゃないのと、勘ぐってしまう。

2014年4月上旬に、マスコミで話題になっていることがいくつかあるが、いわゆる釈明記者会見などを見ていて、よくも抜け抜けとと感じてしまうし、また、その点を突っ込まないマスコミ側もなんなのかと考えてしまう。十人十色ではあるけれど、これで幕引きなのと考えている人が大勢いると思うのだが、いまいち消化不良の感がある。

以前も述べたが、最近の世間様の忘却のスピードが早いこと、変わり身の早いことには、さらには驚かされる。昨日まで話題沸騰していたことが、ニュース価値がなくなるや否や、翌日からは見向きもしない。まあ古人曰く、人のうわさも75日というから、同じことだろうけれど。