現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

たまたま目にした情報

2014-04-25 | Weblog

本当かな?と思うほどの現実があるみたい。娘を芸能界入りさせたく、日焼けしないように窓側の席を外すように要求するモンスターペアレント。一流シェフを目指させるために、給食を拒否、代わりに豪華弁当を持参させるモンスターペアレント。授業風景をビデオに、その後、担任に黒板の字が汚い云々、ビデオを見ながら指導するモンスターペアレント。等々。最近は20歳過ぎの就職活動まで同行することもあるとのこと。全く理解できないわけではないとコメントするコメンテーターにも驚かされる。また、それらのコメンテーターも、いわゆるタレントと呼ばれる一員だが、こんなことにばか駆り出されているだけで、本当のタレント(才能)は何?と聞いてみたくなる方々が、一刀両断に切り捨てればよいことに、なんだかんだと擁護するというか、そういうところに自分の居場所を見つけたいのか、あまのじゃく極まりない。モンスターペアレント自体、十分問題ありだが、100人全員を満足させることなどしょせん出来ないことなのだから、いかに少数意見もであっても、無理難題かどうかのジャッジが下されてもいいだろう。

教育委員会系のことで、腑に落ちぬ事柄もある。学校に限らず、閉鎖的な集団、社会も存在しよう。そのこととごっちゃにすることでもない。小生の親世代は、今と比べれば決して、どこそこ(学校、教育機関)出身ということを伏せたいぐらいの教育状況もあり、学校の先生は、子供たちの先生だけでなく、自分自身の先生でもあったゆえ、一目置かれる存在だった。いろいろな先生がいた。全部が100点満点とはいかなかった。酒臭い先生もいた。棒でこづく先生もいた。いきな何人もビンタくらわす先生もいた。各専門教科が分かれていることもあり、担任じゃない先生もいた。ただ、各教科の内容を教える先生以前に、すべての先生が、共通して人生というか、人の道、道徳を説くことを何にもまして優先していたと思うところがある。すべてが満点だったと言わないが、学校はただ単に教科をおしえられる場所でなく、人と人が触れ合う人生最初の公の場所であり、生き方を学ぶということがまずあるべきなのではないだろうか?

子供に対して、親は最後は他人に迷惑をかけない、普通であってほしいと望む光景を幾度となく誰しも見てきているはずなのに。