現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

4.27. 停電

2014-04-28 | Weblog

2011.3.11.は、自宅まで帰ることができなかった。ほとんど情報がなかったから、逆にそんなに深刻になっていなかった。自宅、家族への連絡も試みたが、だめだった。公衆電話にも並んだが、電話が不通だった。自分から何もできなかった、できる状況でもなかった。翌日、自宅へ帰ることができ、それぞれどう対応したかを聞いた。確か、その時に電気がこなくなると水道も使えなくなると聞いたような気がしていたが、それほど気にもとめなかった。地震の情報が入るにつれ、自然と懐中電灯、乾電池、水などを購入に出かけたが、あっという間に店頭から、それらの品物が無くなる事態となった。ガソリンスタンドも開いていない。その後、落ち着きを多少見せ始めてきたころから、非常時に備えないとだめとのことで、一時はミネラルウォーターも30本ぐらいは常時キープするようにはしていた。

昨夜、8時半ぐらいだが、突然明かりが消えた。たまたま風呂に浸かっていた。真っ暗だ。手さぐりで玄関のところのブレーカーまで行き、手さぐりしたが、ONになっている。「あれ?」

窓の外を見た。おかしい。明かりがない。停電だ。今後は、懐中電灯の置いてある所まで行き、ひとつ見つかったので点けた。ニブイ黄色の、弱弱しいあかり。次にケータイ電話のLEDがると思い、点けた。こちらのほうが、はるかに明るい。だけど、直線的にしか照らさない。もうひとつのランタン型電灯を出した。こちらも明るくない。一緒にあった、単一電池を2個入れ替えた。明るくなった。最初の懐中電灯は、単3の乾電池だ。探した。出てくるのは、単4ばかり。結局、単3が無くなっていた。おそらく、リモコンなどに、すべて投入されていたのだ。

それから、LEDの小さな電灯が3つ見つかったので、それらを点けた。

ケータイのgoogleから、情報を得ようとしたが、東京電力内、30万世帯停電という以外、さして役に立つ情報がなく、また別のページ自体が開かず。外を見ると、信号も消えている模様だ。

そこで、あえて何も今すぐ、やることがないことに気づき、風呂にでも入っていようと思い、風呂場へ戻ったが、そこでようやく、電気がないので、お湯は出ないことはわかっていたが、お水自体も出ないことが、身にしみてわかった。これでは、風呂場待機も無理とわかった。

ミネラルウォーターのストックも現在は、完全にゼロ。単3乾電池もなし。複数の懐中電灯も、ほとんど1ヶ所に保管していたので、これじゃ使い勝手が悪いことがわかった。電池の消耗具合も調べておく必要があることもわかった。交流電源のみのデスクトップ型パソコンは、このような時には情報源にならない。(乾電池の小型トランジスタラジオで、NHKに合わせたが、停電のニュースが一切流れず。)

わざわざノートパソコンやタブレットを備える必要はないと思うが、(ケータイでインターネットも少しはできるから)、もし電気がこない状態が長く続くことを想定した場合は、簡易発電機ぐらいはあったほうがいいかもしれない。しかし、そのためには燃料も購入しておかなかければならないが。すべての機械は、人力以外は、パワー、エネルギーを生み出す、源が必要なのだから。

電気がないイコール発展途上国と言える。今も電気のない国で夜を迎えると、全く何もできないことに気づかされるという。早い時期に、一度、その体験をしておくほうがいいかもしれない。第2次大戦の経験者は、このことを身にしみて体験している。電気との距離感、捉え方が違う。それらの方々からのアドバイスには、素直に耳を傾注させることが大事と思っている。

いろいろなことを一度に考えさせられる、いい機会を与えてくれたように思う。

コメント
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