桜が満開で、まだ咲いたばかりで、花吹雪の前にて正に枝に咲き誇っている状態である。新年度スタートいうことで、入社式の模様などTVで紹介されているが、1月の成人式なども含め、従来に比べて、かなりソフトというかエンターテインメント的な要素が加わり、式自体に楽しそうな演出が盛り込まれている。1970年、1980年あたりの式といったら、学校でも会社でも、どこでも型にはまった、固い話が延々と続く、無味乾燥なものだった。来賓者の長い話など、式全体がモノクロの世界。面白くも、楽しくもない。親からも成人式がどうのこうのとの話もなく、同期の同じ体育会メンバーで成人式の日は徹マンをしていた。大学の入学式も卒業式も全学部に及ぶ講堂などないので、経済・経営・法学部の講堂を使用するので、当然ながら入りきることができないことが判り切った中で行われるものだから、ただ学生掛へ行って、必要な書類を受け取るだけである。感動もなく、当日の思い出もなく、普段の1日となんら変わることがない。千葉県浦安市のディズニーランドでの成人式など夢のまた夢の出来ごとのように思える。1970年代後半に、その当時いた会社の行事だが、普段のなんでもない日に、お昼前に大型バスが迎えに来て、都内の「千鳥ヶ淵」まで連れていてくれ、その当時で約1000円の弁当が支給され、約2時間桜の下で、ゆっくりしてくださいとの配慮があった。今もつづいているのかどうか知らないが、別に贅を尽くしたものでもないが、今振り返れば、ほんわかとした、ゆったリズムを感じさせられる時間だったなと思い起こされる。(今の時代、このような事を行っても、あちこちで、お弁当をひろげるのもそこそこに、携帯で仕事をしているフリの光景がみられるのだろうなと想像してしまう。それゆえ、携帯は不携帯にて、といった条件付けが必要になりそうだ。)
スキーモーグルの上村愛子さんが、難がないのは、無難ではあるが、難があるのは、有難いと言っていたそうだ。
小生は今まで、有り難し、有るという存在そのものが、難し(考えられない)、それゆえ尊い、もったいない、有難うとの語源とだけ解釈してきていたが、なるほど、そのように考えることもできるのだと妙に納得しました。
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