現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

付和雷同

2014-04-22 | Weblog

毎日、韓国での海難事故が取り上げられている。恐らく大多数の人が考えていることは、発生した事故そのもののことより、船が傾いていく中で、なぜ人命救助が優先されていなかったことに疑問をもつことだろう。約2時間の沈没までの間、横倒しの建造物の上へ這い上がることに困難はあったろうが、みんなが協力しあって、一人でも多く引っ張り上げる模様が感じ取れないことに憤りを感じているのだろう。人間は水中では呼吸できないことは自明の理であり、映画のポセイドンアドベンチャーではないが、ひとつはっきりしていることは、海難事故の場面では自ら水上、海上を目指さなければならないことだろう。もちろん海上に出たからといって、タイタニック号の時のように、凍りつく海の中では、凍死の危険性もあるだろう。しかしながら少なくとも先ずは溺死の危険性から可能な限り逃げる行動をするということだ。役所からのOBにて、出先機関で雇用延長されていると思われる人物が、その道のプロフェッショナルコメンテーターとして意見していたが、それでも尚、マニュアル遵守とプロからの指示まちとしかコメントせず、TV番組の中すら、保身主義コメントしている人には驚かさせられるばかりだ。

第5福竜丸と言えば、小生も詳細を知っているわけでないが、結びつくのが、ビキニ環礁でのアメリカが行った水爆実験場の本来退避しなければならないエリアにいながら、連絡が行きとどかず、被曝したことだ。当事者によると、このことは90日ですべて処理され、それ以降は問題として扱われなくなったとのこと。それゆえ、乗組員であり個人でこの事件を語り継いでいる人がいて、実際に何が行われたかを講演しているとのこと。機会あれば、講演を聞きにいきたいと思った。日米の間でブレーキがかけられた。母港は静岡県の焼津港だが、地元の焼津であっても、この事柄は風化していっている模様だ。日本の中で、原子力の危険性が論じられてても、スポットライトを当てられることもない。戦争の敗戦国として主張できぬことも多々あるのだろう。歴史にifはないが、ソ連が参戦する前に、1944年の年末あたりに降伏していれば、現在の世界秩序がすこしでも変わっているのだろうか?日本にも原爆が落とされることはなかったのか?もともとドイツへ落とすつもりが、ドイツ敗戦のため、目標が日本に向けられ、戦後のアメリカとソ連の力関係上、優位に出たいアメリカの思惑といったことが本来の目的で、原爆を落とさずとも日本の陥落は決定的なのは、誰の目からみても明らかだったとか。フランス、中国が戦勝国に何故はいるのかも理解しがたい。