(熊本市横手 国指定史跡 2009年3月31日)
寛永十八年(1641)熊本藩二代藩主細川光尚が初代藩主細川忠元の菩提を弔うため建立された臨済宗の寺院である。寺号は忠元の法名による。明治維新の神仏判然令によって廃寺となったが、その後は、細川家北岡別邸となり、昭和30年(1960)熊本市が取得して公園化された。今回訪れると、同所の細川家墓所が調査、修復を行っており墓所は閉鎖されていた。

















(熊本市春日 旧県社 2009年3月31日)
承平四年(934)肥後国司藤原保昌によって京祇園社(八坂神社)より健速須盞嗚尊(たけはやすさのおのみこと)を勧請し、祇園社(1872-北岡神社)として創建されたのが始まりという。当初は現在地南方の飽託郡湯原(熊本市二本木)に鎮座したが、天元二年(979)北東の朝日山(花岡山)に遷座、正保四年(1647)藩主細川光尚によって現在地に遷座された。
私が初めて陶磁資料館に訪れたのは、昭和58年7月26日であった。その当時は、一日数本のバスが出ているだけで大変不便な地であったが、その後愛知環状鉄道の開業や、リニモの開業で条件的には改善された。然し閑散さはあまり変わらない。今回は、「開館30周年記念企画展 やきもの収集の旅 愛知県陶磁資料館の軌跡」に招待されたので、愛知万博開催中以来4年振りに訪ねた。愛知県陶磁資料館は昭和53年(1978)に開館し、本館、南館、西館、陶芸館、古窯館からなり、延床面積は20,610m2,本館は瀬戸焼を中心に日本、海外の古陶磁を展示収蔵。西館は陶製の狛犬を展示している。

(福岡市博多区中洲)
中洲那珂川の分流点、清流公園に石灯篭がある。明治32年(1899)博多での誓文晴(せいもんばらい:大売出し)創始者で漬物商八尋金山堂の八尋利兵衛が住吉向島遊園地(キャナルシティ付近)をの開園を記念して建立したものである。昭和29年(1954)現在地に移設された。
(福岡県柳川市三橋町藤吉 2009年3月10日)
参道の途中に随身門のある風浪(ふうろう)神社は、仲哀天皇年間(192-8)神功皇后が綿津見命を祀ったのが始まりと伝わる。現存する最古の棟札には天文十六年(1547)柳川城主蒲池鑑盛(あきもり)が風浪宮の惣領主となり、蒲池鑑憲が願主となって改修したと記されている。
(福岡県柳川市稲荷町 2008年3月10日)
沖端水天宮は、明治2年(1869)久留米水天宮より勧請したのが始まりである。合祀されている稲荷神社は、文禄三年(1594)柳川城主立花宗茂によって創建されたものであり、同じく合祀されている弥剱神社は、文化年間(1804-18)京都八坂神社より勧請されたものという。