(長野県木曽郡南木曽町読書 2007年9月9日)
大正8年(1919)福澤桃介が経営する大同電力の別荘として築造された。川上貞奴もこの別荘によく滞在したといわれている。昭和28年(1953)の土石流(木曽地方では蛇抜けと呼ぶ)で高床の床下まで岩石が流れてきたが、建物自体には被害が無かったという。然し、昭和35年(1960)の火災で2階部分を焼失し、永らく平屋の状態であった。平成9年(1997)になって、2階部分の復元が成され、往時の外観を取り戻している。

大正8年(1919)福澤桃介が経営する大同電力の別荘として築造された。川上貞奴もこの別荘によく滞在したといわれている。昭和28年(1953)の土石流(木曽地方では蛇抜けと呼ぶ)で高床の床下まで岩石が流れてきたが、建物自体には被害が無かったという。然し、昭和35年(1960)の火災で2階部分を焼失し、永らく平屋の状態であった。平成9年(1997)になって、2階部分の復元が成され、往時の外観を取り戻している。










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