(京都市左京区北白川西町)
志賀越道から白川通に入る付け根に、鎌倉時代中期に造立されたという大きな石仏がある。天正十四年(1586)豊臣秀吉が平安京の大内裏に築かれた聚楽第に、この石仏を庭に運び入れた。然し、石仏が鳴動したため元に戻したと伝わる。天明八年(1788)拾遺都名所図会にも「稀代の大像」として紹介されている。
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