(東京都渋谷区恵比寿)
「ちいさい秋見つけた」や「めだかの学校」「雪の降る街を」等の作曲で知られる同氏はこの地に居住していた。父の中田章も早春賦を作曲し、兄の中田一次もファゴット奏者である。喜直はこの地に大正12年(1923)から昭和43年(1968)まで居住した。宅地跡であるため面積236m2と小さなこの公園の名前、景丘(かげおか)は旧字「欠塚」を瑞祥地名にしたものであり、昭和3年(1928)から昭和41年(1966)まで使われた景丘町に由来する。そして、同氏の作曲「ちいさい秋見つけた」と組み合わせられたものである。
