(静岡市駿河区丸子字泉ヶ谷・大鈩)
泉ヶ谷から標高132mの三角山に存在した丸子城に上がる。城は今川氏配下時代に築かれた北城部分と、武田氏配下時代に増築された南城部分からなり、北城東端には丸子稲荷神社奥宮があって、そこから大小十一の郭が始まる。別名には、赤目ヶ谷砦、泉ヶ谷砦、宇津ノ谷城、宇津山城、大鑪砦、鞠子城、三角山城等の別名を持つ。
(大手口)
(三日月堀)
(北城東郭)
丸子城は応永年間(1394-1428)今川氏臣斎藤安元によって築城された山城である。明応二年(1493)に駿府館の支城となり、福島氏が入った。永禄十一年(1568)には武田信玄が駿河に侵攻したため、丸子城には山県昌景が守った。
(北郭 旧主郭)
(北郭堀切)
(北郭斜面)
(北城・南城間堀切)
天正六年(1578)武田氏臣屋代勝永が城代となり、城郭を拡大したが、天正九年(1581)高天神城の攻防により、徳川方に無血開城となった。その後は松平氏が入ったが、関東移封により廃城になった。
(南城次郭)
(西大堀)
(南城主郭・次郭間堀切)
(南城主郭)
(主郭喰い違い虎口)
(主郭・物見郭・大鑪郭間堀)
泉ヶ谷から標高132mの三角山に存在した丸子城に上がる。城は今川氏配下時代に築かれた北城部分と、武田氏配下時代に増築された南城部分からなり、北城東端には丸子稲荷神社奥宮があって、そこから大小十一の郭が始まる。別名には、赤目ヶ谷砦、泉ヶ谷砦、宇津ノ谷城、宇津山城、大鑪砦、鞠子城、三角山城等の別名を持つ。









丸子城は応永年間(1394-1428)今川氏臣斎藤安元によって築城された山城である。明応二年(1493)に駿府館の支城となり、福島氏が入った。永禄十一年(1568)には武田信玄が駿河に侵攻したため、丸子城には山県昌景が守った。






天正六年(1578)武田氏臣屋代勝永が城代となり、城郭を拡大したが、天正九年(1581)高天神城の攻防により、徳川方に無血開城となった。その後は松平氏が入ったが、関東移封により廃城になった。












