(みたけしゅく 岐阜県可児郡御嵩町 2003年11月23日の日記から)
中山道四十九番目の宿場であるこの町は、東国に向かう峠越えの麓の宿であったためか、往時を偲ばせる建物等が思いのほか残されている。また、地名の表記は、近隣の山岳信仰と同じであったため、後に「御嶽」から「御嵩」に改められたともいわれている。
近年、ベッドタウン化による変化もあるようだが、新旧共存もうまく行っているように思われた町であった。

(関連記事:伏見宿)
中山道四十九番目の宿場であるこの町は、東国に向かう峠越えの麓の宿であったためか、往時を偲ばせる建物等が思いのほか残されている。また、地名の表記は、近隣の山岳信仰と同じであったため、後に「御嶽」から「御嵩」に改められたともいわれている。
近年、ベッドタウン化による変化もあるようだが、新旧共存もうまく行っているように思われた町であった。


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