小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月二日

2016-01-19 | 嘉永四年 辛亥日記
 
雪がちらつく。しかし、雪駄でも歩けるくらい。
熊五郎が朝来たけれど昼過ぎに来るように言って帰す。
また、昼頃来たが雪も降っており、丁度、喜多村伴右衛門と吉田庄太夫の両人へ酒をだし話しているので、まず今日は天気も悪いので明朝に来るべしと帰らす。
昼支度をさせる(女中がいたのか)。
庄兵衛と樽七もくる。酒を出す。札川もきて引き止めたが直ぐに帰った。
松下と鈴木芳右衛門が一緒に来たので酒を出す。
夜に入って10時前にお帰りになった。
雪が降ったので今日は熊五郎に言って主人は廻らなかった。(年始?)



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亥の年(嘉永四年)の元旦

2016-01-14 | 嘉永四年 辛亥日記
 

朝の内は少々曇っていたが昼過ぎからは晴れた。おおいに暖かい。
昼前から岩一郎は新年の挨拶回りに行く。
主人も昼から熊五郎を連れて出かけたが夕方に熊五郎が先に帰ってきた。
主人は楠本やに居るという。案内に万次郎を頼む。
10時頃に帰宅。書画展観を一冊持ち帰った。


(小梅48歳、夫の豹蔵58歳、一人息子岩一郎18歳)



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次は嘉永四年 辛亥日記から

2016-01-08 | 嘉永四年 辛亥日記

川合小梅さんの日記はきちんと紙に綴じられたものではなく、そこらへんにある紙切れにメモ書きのように書き散らされていた物を纏めたもののようです。
16歳の結婚を機に書き始められたこれらを判読して原本にされたのは土蔵の中から発見した曾孫の志賀裕春氏(故人)です。
「たかが女の日記難しいこともあるまいと取りかかってはみたものの女の言葉、女の文字、個性的なくずし字、今では使われなくなった言葉、人間関係、土地柄のことで苦しめられ、あたかもパズルを解くような場面の連続で、それの分量の多さにも閉口して何度やめようと思ったことか(後略)」とあとがきに書いておられます。
そのようなものを判読しようとするのは畏れ多く間違いだらけになるに違いないのですが、幕末の文化元年に生まれ明治22年までの歴史の転換期を生きた主婦の目で書かれた記録に興味を引かれて今少し続けることにしました。
16歳から86歳までの長期に亘る日記は散逸もあって全部は残っていません。
この『小梅日記』(平凡社)は1,2,3と三冊ありますが。嘉永二年八月から始まり、次は嘉永四年の一月から七月までと続きます。

嘉永四年は西暦1851年。
ジョン万次郎が海で遭難して琉球に上陸。
佐久間象山、江戸に砲術塾を開いた。
そんな年でした。

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江戸時代の貨幣について

2016-01-06 | 嘉永四年 辛亥日記

謹賀新年
今年もよろしくお願いします。

「小梅日記」を翻訳?しているとさまざまな数字がでてきます。
例えば「餅米 三斗 198匁」「銀2枚頂戴」「餅の搗き賃 612文」「弐朱持参」などなど。江戸時代の貨幣制度はなかなか複雑なようです。
そこで少し調べてみました。

江戸時代の貨幣には、金貨、銀貨、銭貨の3つがあり、文(もん)は銭貨の単位です。
庶民・農民が使う貨幣は、金貨や銀貨ではなく、銭貨です。

《金貨》  
「両(りょう)」「分(ぶ)」「朱(しゅ)」があります。
一朱金が4枚で1分、
一分金が4枚で1両(小判1枚分)という具合です。
《銀貨》
「貫(かん)」「匁(もんめ)」「分(ふん)」があります。
銀は枚数ではなく、「重さ」で価値を測って使われます。
銀貨の重さ10分が1匁、重さ10000匁が1貫で、使う旅に天秤などで重さを測って使われていたようです。
《銭貨》(銅貨)
・寛永通寳(一文・四文銭)
・寳永通寳(十文銭)
・天保通寳(百文銭)
・文久永寳(四文銭)


金貨、銀貨のうち、金貨は実際にはあんまり使われなかったとされます。流通量も多くなかったですし。銀貨も14匁とか15匁とかの単位になると日常的に用いられることはなく、感覚として決済用の貨幣と言う感覚であったようです。通貨としての単位が大きすぎて日常的には使いにくかったのでしょう。
金1両なんて今でいうと、10万円金貨で支払われるようなもので、出されてもお釣りに困るぐらいでしょうか。銀貨はその点まだましと思われ、「金1両 ≒ 銀50匁」なら「金1両 ≒ 銀500分」に細分できます。
書きながらもなかなか理解できずに困ったものです…。

問題は銭貨です。日常的に使用されていたのは銭貨であるのは間違いないのですが、これが何文で金1両に匹敵したかです。これも時代によっての変遷があるので一概には言えませんが、参考になるのは江戸庶民の生活です。

物価比較の基準
1文=25円
1貫=1000文=25000円
1朱=250文=6250円
1分=4朱=1貫=1000文=25000円
1両=4分=16朱=4貫=4000文=100000円

1両=銭4000文(4貫文)
1分=銭1000文(1貫文)
1朱=銭250文(0.25貫文)

銀貨(秤量貨幣、丁銀、豆板銀など、重さで取引するもの)
1両=銀60匁
1分=銀15匁
1朱=銀3匁7分5厘
銀1貫=銀1000匁=約17両
銀1匁=約67文

ちなみに「疋(ひき)」という単位も使っており
1疋=銭10文
1朱=25疋
1分=100疋
1両=400疋



江戸時代の貨幣価値換算表(時代、地方によって多少の誤差がある)
風呂銭 8文 120円
かけそば1杯 16文 240円
米1升半~2升 100文 1500円
酒1合 20~24文 300~360円
浮世絵 1枚 32文 528円
新刊本 1冊 300文 4,950円
見せ物 1芸 24文 396円
木綿生地 1反 600文 9,900円
股引(ももひき) 1対 600文 9,900円
足袋 1足 180文 2,970円
草鞋(わらじ) 1足 15文 248円
下駄(並) 1足 50文 825円
番傘 1本 200文 3,300円
西瓜(スイカ) 1個 40文 660円
沢庵大根 1本 15文 248円
鮨 <握り鮨=1個> 1貫 8文 132円
鮪 1尾 200文 3,300円
鰻飯 1杯 200文 3,300円
初鰹 1尾 5,200文 85,800円
鰯 10尾 50文 825円
豆腐 1丁 50文 825円
蜆(しじみ) 1升 10文 165円
天麩羅蕎麦 1杯 32文 528円
大福餅 1個 4文 66円
蒸羊羹(ヨウカン) 1本 70文 1,155円
串団子 <1本=4個入> 1本 4文 66円
心太(トコロテン) 1杯 70文 1,155円
甘酒 1杯 8文 132円
冷や水 1杯 4文 66円
米   <1升=1.8L=1.5kg> 1升 100文 1,650円
醤油 <1升=1.8L=1.5kg> 1升 100文 1,650円
黒砂糖 <1斤=160匁=600g> 1斤 120文 1,980円
里芋  <1升=1.8L=1.5kg> 1升 36文 594円
菜種油  <1合=180ml> 1合 40文 660円
酒    <1升=1.8L> 1升 125文 2,063円
煙草 14g 8文 132円
百目蝋燭 <約100匁> 1丁 200文 3,300円
蝋燭   <7匁掛> 1丁 18文 297円

塵紙(ちりがみ) 1帖 7文 116円
幕府収入 <8代 徳川吉宗期> 1年間 80万両 + 米 85万石 約 1,930億円
大工の手間賃<日当> 1日 銀    6匁 6,600円
野菜売の稼ぎ 1日 200文 3,300円
一般的な日本刀の値段 1本 25両 1,650,000円
(Teio Collectionより)


一部の価格を転載させていただきました。
「小梅日記」を読まれる上で参考になればと思います。

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