小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

立江寺まで

2015-10-21 | 四国遍路
竹林のざわめきと別れ人家の裏の細道を過ぎて出たのが県道の136号線。
大型車もビュンビュン走るアスファルト道。立江寺まで5キロ。
黙々と歩きます。かなり疲れてきた頃に「お遍路さん、どうぞ」と工事現場の入り口に立っていたヘルメットを被った女性作業員さんが声をかけてくれました。
作業員さんたちの休憩所を遍路のために開放してくれていたのです。
エアコンがあり、お茶やお菓子が置かれていて給水用の水タンクもあります。
簡易トイレもかなり進化をを遂げていて明るく臭わず気持ちよかったです。
15分ほど休憩してお礼を言って歩き始めました。

     


お京塚の先に昨日泊まった鮒の里があります。
お京塚は情夫と計り夫を殺したお京は立江寺で鉦の緒に黒髪を巻きあげられたが、院主の祈りにより助かり、改悛して当地庵を結び祈りの中で生涯を終えたということです。
碑の横にはまだ新しいへろん小屋(遍路休憩所)がありました。鮒の里が近いので休まずに歩きました。



先に立江寺を参ってからザックを受け取りに戻ろうと通過しようとしていると宿のご主人に声をかけられました。
立江寺の先(鶴林寺や星谷寺)に進むのだからザックを持って行きなさいということです。
なるほど。ここまで戻ってくるのは無駄なこと。楽をしたい気持ちが逆に大変になるのね。
宿でお茶を呼ばれて四国の歴史や行程やお遍路四方山話で一時間も経ってしまいました。
この時点では鶴林寺の近くの星の岩屋(星谷寺)に行くつもりでしたから急がなければなりません。
これからはザックを背負っての道行きです。
「疲れたら手を上げると車が止まってくれるから大丈夫だよ」と宿のご主人。
困っている人を助けるのが功徳だから遠慮することはないとも。

歩き歩き、立江川にかかる赤い欄干の白鷺橋を渡るとお寺までは一本道の門前町っぽいがちょっと寂しい。かってはおおいに賑わっていたのだろう。
9時45分にやっと立江寺に到着した。弘法大師像のうしろからの朝の名残の風が心地よかった。

第十九番札所  橋池山 立江寺
ご詠歌  いつかさて西のすまいの立江  弘誓の舟に乗りていたらむ



ここは四国四県に一つづつある「関所寺」の阿波(徳島県)の関所寺です。
「関所寺」というのはそこで巡礼者は弘法大師の審判を受けてる所で邪心のある者や罪人は先に進めないということです。
お京塚のお京も進めなかった一人です。

縁起によると光明皇后の安産を祈願して行基は開いたとされています。
弘法大師は大きな延命地蔵を彫ってその胎内に行基が作った本尊を納めたそうです。
以後、子安の地蔵尊として親しまれ、今も安産祈願に参る人が絶えません。

手を洗い口をすすいで本堂と太子堂にお詣りして納経帳も書いていただきお寺の中を散策しました。
どうやら、次に向かって歩き出すのを足が厭がっているみたいです。










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