小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

「アスファルトの道」

2015-10-23 | 四国遍路

立江寺を10時に出発。
白鷺橋を渡って左側ひたすら歩いて行くとローソンがあるからそこを左折してさらに歩いて行くと道標があると教えられています。
この単純な道がまことに大変でした。
太陽の照るアスファルトの県道。車がビュンビュン通り過ぎていきます。
ところどころに自販機があるだけでベンチの一つも無く、歩いている人は一人もいません。きつくても山の中の道の方がずっと楽しいです。
水もなくなりヘロヘロ歩いているとお社が見えてきました。



櫛渕八幡宮とありました。隣は小学校のようです。お社にお詣りするには長い石段を登らなければならず、下から拝みました。
大きな木の下にベンチがありました。さっき買ったゆずジュースを時間をかけて飲みました。11時ですからお昼には早いかな。その内、食べるところにも出会うでしょう。


ここで20分も休んでしまいました。
重い腰をあげてローソン目指して歩き始めました。タクシーに来て貰うと自分が負けるような気がしてます。
この道でいいのかと不安になっても人がいないので聞くことも出来ません。
足元を見つめながら歩いている内にトイレに行きたくなりました。しかし、広い道路の両側には空き地や工場らしいものばかりで遍路道マークさえありません。
どうしようと思いながら歩いていると「トイレ休憩所」という看板が目に入りました。「助かったぁ」と矢印の方へ小走りになります。お寺の境内らしい雰囲気の中を矢印目指して走りました。



一息ついて見渡すと「おもてなし休憩所」とベンチがいくつか置かれていました。
「胎蔵寺」というお寺です。お寺とは別に古い小さな神さまも祀られていました。12時20分になっていましたので木陰のベンチで宿の奥さんが持たせてくれたおむすびを食べました。
12時40分に出発。
しばらく行くと川に面した大きな三叉路にぶつかり左側の角に目標のローソンがありました。胎蔵寺から近かったのでちょっとガッカリです。お昼もトイレも澄ませていたので通過。ここで三分の二くらい歩いたのでしょうか。
この道は勝浦町にようで勝浦川に沿った町模様。農協や小学校があり、古い店が点在していましたが殆ど営業はしてないようです。食堂も二つほどありましたがやっていませんでした。
バスも通っています。中角というバス停から右の道を入っていくと行きたい「星の岩屋」へ行けるのですがこの時点では諦めていました。もう一泊すれば行けたのでしょうが気力がなくなっていました。中角のバス停を横目に鶴林寺の方向を目指しました。
やがて「道の駅かつうら」に着きました。
ここは前回の時にすだち館のご主人が温泉に行くときに立ち寄ってくれたところです。頭の中で地図を思い浮かべました。車だと焼山寺からも近い場所なんです。ずっしりと疲れが吹き出てきました。
それでも休憩のあと、鶴林寺の入り口の生名まで歩きました。
次があるのならばこの生名というバス停まで徳島駅からバスで行くわけです。
ということで、生名(14時30分)からバスで徳島駅(16時5分)→徳島港、フェリー(16時30分)で和歌山港(18時48分)へと帰りました。
自宅へは19時過ぎに到着です。



バス便は全県に網羅されていますが本数が朝夕だけとか本数がとても少ないので次回はそのあたりをしっかり調べてから行くべしだと思いました。前回はトレッキングシューズでしたが今回は裏にギザギザのあるウオーキングシューズを履いていって正解、マメもできず痛くもならなくて快適でした。
予報通りお天気にも恵まれてよかったです。甲板からみる夕陽はほんとに素敵でした。徐々に暗くなっていく海に「時」を感じたりして。

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