小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四月十七日

2016-09-10 | 嘉永四年 辛亥日記
くもり
曇れどもまずは降らず。
朝、松下から千代野が傘を借りに来た。破れ傘を貸す。
しかし、おいおい天気は良くなって傘は不用だ。
終日、誠に晴れていた。
夕方から主人は喜多村へ祝いに行く。また鈴木へも行った。
了吉は和歌へ行き、夜の十二時頃に帰ってきた。
和歌祭で大いに賑わい、鴻池の奥さんも駕篭できたという。
その十人あまりでかなり入れ込んだらしい。

※ 和歌祭
 元和8年(1622)、紀州藩初代藩主徳川頼宣公によって始められた和歌祭は、徳川家康をまつる紀州東照宮の祭礼として、多くの民衆が参加し、藩主らと楽しみを共有する祭であるとともに、その規模の大きさと内容の豊富さで、古くは「日本三大祭」「紀州の国中第一の大祭」と呼ばれていました。
侍坂とも呼ばれる紀州東照宮の108段の急な石段を約1トンの神輿を担ぎおろす「神輿おろし」から始まり、雑賀踊、薙刀振、太鼓など数十の集団、総勢約千人が様々な芸能を披露しながら練り歩く「渡御行列」と、大変勇壮で華やかに繰り広げられます。
 今日まで約390年にも及ぶ年月の中で、戦争による中断など、祭の存続を脅かす様々な障害を乗り越え、現在まで伝統の芸技を受け継ぎ、今も毎年、5月第2週日曜日に華やかに行われています。


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