くもり
曇れどもまずは降らず。
朝、松下から千代野が傘を借りに来た。破れ傘を貸す。
しかし、おいおい天気は良くなって傘は不用だ。
終日、誠に晴れていた。
夕方から主人は喜多村へ祝いに行く。また鈴木へも行った。
了吉は和歌へ行き、夜の十二時頃に帰ってきた。
和歌祭で大いに賑わい、鴻池の奥さんも駕篭できたという。
その十人あまりでかなり入れ込んだらしい。
※ 和歌祭
元和8年(1622)、紀州藩初代藩主徳川頼宣公によって始められた和歌祭は、徳川家康をまつる紀州東照宮の祭礼として、多くの民衆が参加し、藩主らと楽しみを共有する祭であるとともに、その規模の大きさと内容の豊富さで、古くは「日本三大祭」「紀州の国中第一の大祭」と呼ばれていました。
侍坂とも呼ばれる紀州東照宮の108段の急な石段を約1トンの神輿を担ぎおろす「神輿おろし」から始まり、雑賀踊、薙刀振、太鼓など数十の集団、総勢約千人が様々な芸能を披露しながら練り歩く「渡御行列」と、大変勇壮で華やかに繰り広げられます。
今日まで約390年にも及ぶ年月の中で、戦争による中断など、祭の存続を脅かす様々な障害を乗り越え、現在まで伝統の芸技を受け継ぎ、今も毎年、5月第2週日曜日に華やかに行われています。
曇れどもまずは降らず。
朝、松下から千代野が傘を借りに来た。破れ傘を貸す。
しかし、おいおい天気は良くなって傘は不用だ。
終日、誠に晴れていた。
夕方から主人は喜多村へ祝いに行く。また鈴木へも行った。
了吉は和歌へ行き、夜の十二時頃に帰ってきた。
和歌祭で大いに賑わい、鴻池の奥さんも駕篭できたという。
その十人あまりでかなり入れ込んだらしい。
※ 和歌祭
元和8年(1622)、紀州藩初代藩主徳川頼宣公によって始められた和歌祭は、徳川家康をまつる紀州東照宮の祭礼として、多くの民衆が参加し、藩主らと楽しみを共有する祭であるとともに、その規模の大きさと内容の豊富さで、古くは「日本三大祭」「紀州の国中第一の大祭」と呼ばれていました。
侍坂とも呼ばれる紀州東照宮の108段の急な石段を約1トンの神輿を担ぎおろす「神輿おろし」から始まり、雑賀踊、薙刀振、太鼓など数十の集団、総勢約千人が様々な芸能を披露しながら練り歩く「渡御行列」と、大変勇壮で華やかに繰り広げられます。
今日まで約390年にも及ぶ年月の中で、戦争による中断など、祭の存続を脅かす様々な障害を乗り越え、現在まで伝統の芸技を受け継ぎ、今も毎年、5月第2週日曜日に華やかに行われています。