kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

おニャン子クラブ#3:河合その子

2007-02-12 22:22:59 | おニャン子クラブ
河合その子:昭和40年6月20日生まれ。おニャン子クラブ会員番号12番。
「涙の茉莉花LOVE」でおニャン子クラブの中では最初にソロデビュー・・・
などなど、ぼくなんぞがプロフィールを書いても仕方ないんですが、浪人2年目の夏、たまたま見ていた「ザ・ベストテン」で彼女を見た日から・・・何かが変わりました。このあたりの話は、前に書いた「おニャン子クラブ#1」にも書きましたが、それまでもアイドル好きだったぼくにしても、それはそれは衝撃と言うしかないものでした。基本的には伸びやかな声が、時として甘え声に変わる、そんな予測不可能なヴォーカルに耳を奪われ、飾らない、素な感じの振る舞いに魅せられ、なんといっても清楚なかわいさに圧倒された、あの夏の日でした。
当時、浪人2年目のぼくは、学力的には、2年目なりの余裕(?)はあったものの、さすがに精神的には大きなプレッシャーを感じていました。そんな中で、ささやかな息抜きが、アイドルでした。雑誌をチェックしたり、レコードを聴く程度でしたが、こまめに追っかけていると、だんだん身近に感じてくるもので、そんな気分に助けられていた頃でした。
その頃、ぼくの住んでいた福岡では、「夕やけニャンニャン」はネットされていませんでしたから、おニャン子クラブのメンバーまでは知りませんでした。ですから、その子ちゃんとの出会い(と、ここでは言いましょう。)が、ぼくのその後のおニャン子歴のスタートとなったわけです。
そんなその子ちゃんが、福岡で新曲キャンペーンをやるという情報を知ったぼくは、2枚目のシングル「落ち葉のクレッシェンド」を2枚買い(1枚につき1回のステージの入場券がもらえたわけです)、2回のステージに参戦しました。当日は予備校の午前中の講義を終え、会場へ。歌は2曲づつ披露してくれました。その後は握手会。当然、ぼくは2回握手したわけです。
あのときの感覚は、もう20年以上経った今でも、時折思い出します。
そんな時期を過ぎ、無事大学には合格しましたが、共通1次試験(今で言う、センター試験ですね)の翌日から、福岡でも夕ニャンがネットされ、それからはおニャン子に溺れていきました。そんな中で、ぼくの大学入学と同時にその子ちゃんはおニャン子を卒業。その後もずっと好きでしたが、だんだん、その子ちゃん個人ではなく、おニャン子全体にはまって行ったぼくの中で、いつしかその子ちゃんもone ofアイドルになっていってしまいました。夕ニャン終了後しばらくすると、彼女はよりアーティスティックな活動を始め、いわゆる「露出」が減ってきました。ぼく自身も、夕ニャンの終了・おニャン子解散とともに、反動で一時期熱は冷めて行き、解散後も曲は聴いていたものの、その子ちゃんも含め、おニャン子は次第に過去のものになっていきました。
そうして、大学を出、社会人となった頃、あらためておニャン子の良さを再認識してからは、折にふれ、曲を聴き、ビデオを見たり、突然発売されたDVDを見たりしながら、今に至ってます。
今年に入り、ふと思い立ってブログをはじめたところ、実は今でも熱いおニャン子ファンは多いと知り、自分のこんな思いを綴ったりしはじめた次第です。
先日、今月22日だったかに、その子ちゃんのDVD BOXが発売されると知り、速攻予約しました。今、ブログがきっかけで、自分の中のおニャン子熱が高まってきた時に、自分とおニャン子をつないでくれたその子ちゃんの映像に出会える。これも何かの縁なのでしょう。
浪人時代(しかも2年目)という、精神的につらい時代に出会ったアイドルの姿を、今見て楽しむというのは、単なるノスタルジーと思われるかもしれませんし、一面それも当たってはいるでしょう。でも、過去の自分があって、今の自分があるというのは紛れもない事実で、過去の自分を好きな今の自分というのは、そんなに悪いもんでもないんじゃないか、と思います。
今は、作曲家後藤次利氏の奥様となり、子供にも恵まれているその子さん。今はそれでいいんだと思います。変な形で芸能界の表舞台に出てくる必要はないでしょう。今はそんなその子さんの幸せを祝福しつつ、自分の過去を演出してくれたことに、あらためて感謝したいと思います。

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