kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

音楽雑記帳 VELVET UNDERGROUND AND NICO vol.2

2009-03-31 21:00:43 | ポピュラーミュージック

VELVET UNDERGUROUND(以下、VUと呼ぶ)の結成は、1965年、なんと私の誕生年なのである。今、こうして彼らの音楽について語っているのも、何かの縁かもしれない。

VUのデビューアルバムが、この「VELVET UNDERGUROUND AND NICO」なのであるが、なんと、このアルバムのプロデュースは、あのポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルなのである!

まあ、そういうことをことさら強調するのは、彼らに対して失礼なのかもしれない。プロデューサーが誰であれ、VUの音楽はVUが作った音楽なのであるから。

このアルバムは、美と破滅をごった煮にしたような作品群で彩られている。

オープニングの「SUNDAY MORNINNG」は、これ以上ないというくらい美しい旋律の曲に、ささやくようなルーのヴォーカルがからむ名曲である。
かと思ったら、2曲目の「I’M WAITING FOR THE MAN」は、泥くさいロックンロール色の強い曲。
3曲目の「FEMME FATALE」で穏やかなメロディにニコの不安定なヴォーカルを乗せてインパクトを掴んで、5曲目の「VENUS IN FURS」で、悩ましい旋律にルーの語りのようなヴォーカルを乗せて聴く者を不安に陥れ、たと思いきや、6曲目の「RUN RUN RUN」でいかにもチープなロックロールで気分を軽めておいた挙句、7曲目の「ALL TOMORROW’S PARTY」で、怪しげなニコのヴォーカルで聴く者を不気味な世界へ引きずりこむ・・・。そして極めつけは「HEROIN」。この曲はルーがその後も事あるごとに歌っている曲で、アンダーグランドをホームグランドの持つVUらしく、薬をうった者の感覚を歌うという、反社会的な曲である。ここがこのアルバムのピークであって、次の2曲で軟着陸を想定させておいて・・・10曲目の「THE BLACK ENGEL’S DEATH SONG」で不要和音を鳴らして、聴く者を不安定にさせるておいて、ラストの「EUROPIAN SON」で、精神をかき乱すようなノイズミュージックを展開して終わるのである。

この作品、非常に素晴らしいアルバムなのであるが、聴き終わったあとのなんとも言えない精神の乱れ・・・これこそが、アンディ・ウォーホルが演出した、現代芸術的ポップミュージックの真髄なのかもしれない。

音楽雑記帳 VELVET UNDERGROUND AND NICO vol1

2009-03-29 01:26:28 | ポピュラーミュージック

この週末、手持ちのCDをジャンル別、アーティスト別に整理してみたんです。そこで気づいたこと、それは、単一アーティストのCDとして最も多かったのは、八神純子。(レコードを入れるとおニャン子クラブになるかも・・・ですが。)まあ、純子さんの場合は、ここ数年でオークションやら中古CD屋で集めたものが大半ではあるのですが。
でも、純子さんについては、度々書いてますので、気分を変えて、今日は別のアーティストについて書いてみます。

実は、ルー・リード&ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのCDが純子さんのと作品数としては同数だったんですね。リードとヴェルヴェッツのCDは、どちらかというと、20代の頃からコツコツ買ってたら、いつの間にか貯まってました、って感じです。ということは、この私、一応、ルー・リードのファンって言うことになるのかな?なんて思ったりしてます。

その中から、今回は、ポピュラー・ミュージックの歴史上の“事件”とも言える作品である、ヴェルヴェッツのデビューアルバム、「VELVET UNDERGROUND AND NICO」を取り上げてみます。

この作品が発表されたのは1967年。当時私は2歳でした!(って、そのころは知る由もありませんが。)まずは、この作品のジャケットについて一言。歴史上、レコードおよびCDが発表されて以来このかた、ことレコード(及びCD)ジャケットの芸術性という面では、この作品のジャケットは、間違いなく22世紀まで語り継がれるであろう名作だと思います。なんといっても、ジャケットデザインを手がけたのは、あのポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルですから!しかも、バナナが一本描かれているのと、ウォーホルのサインが入っているだけの、シンプルにしてインパクトのあるデザイン。しかも、オリジナルのジャケットは、このバナナがシールになっていて、むくことができるという、流石ウォーホルという仕様なのであります!ちなみに、バナナの部分には「PEEL SLOWLY AND SEE」と書いてありますから、むくと何か出てくるのかもしれませんが、私はまだむいたことがありません。なお、この作品は、何度も復刻されてまして、その中には、バナナがむける仕様のものもあります。

なんか、ジャケットの説明だけで、かなり書いてしまいましたが、この作品を語る上では、ジャケットとウォーホルについては欠かすことはできませんからね。
ということで、音楽については、また次の機会に書かせていただきます。

音楽雑記帳 THE PALE FOUNTAINS「pacific street」

2008-04-04 22:44:05 | ポピュラーミュージック

昨日の「アズテック・カメラ」記事でちょっと触れたので、「ペイル・ファウンテンズ」も聴きたくなってしまいました。

この「パシフィック・ストリート」、巷では、ネオアコ・ミュージックの名盤との誉れ高いアルバムです。
ネオアコ、というと、いい意味ではシンプル、悪く言えばスカスカの音をイメージされるかもしれませんが、この「パシフィック・ストリート」は、”洗練されたネオアコ”というしかない、聴く者を飽きさせない音を醸し出してくれている1枚ですね。ネオアコとブラック・ミュージックの融合ということでは、昨日書いた「アズテック・カメラ」のロディ・フレームが1987年にアルバム「LOVE」でトライして成功していますが、「ペイル・ファウンテンズ」はそれよりも3年前に、ブラックミュージックのみならず、さまざまな音楽を吸収し、それをアコースティック・ロックと融合させており、ネオアコの可能性を切り開いた、トップランナーと言ってもいいかもしれません。

などと、偉そうなことえお言っている私ですが、彼らの存在を知ったのは、解散後のこと。「ザ・スミス」や「アズテック・カメラ」は同時代を共有していますが、残念ながら「ペイル・ファンテンズ」とは同時代を共有していません。このことは、哀しい現実でありながらも、”聴く”側のスタンスとしては、素直に音楽にハマることができるという意味では、幸せなのかもしれません。いわば、ポップ・ミュージックのクラシックという位置づけで聴けるわけですから。

曲ごとの感想などを書いていくときりがないのですが、日本版のこのCDはナント21曲入り。うとち10曲はボーナストラックで、オリジナルアルバム収録曲の別テイクや、アルバム未収録のシングル曲などが満載です!こういうのって、好きなアーチストのアルバムの企画としては、めっちゃうれしいですね!

最近のポップミュージックはほとんど聴かなくなってしまった私ですが、あの頃の音楽はいつ聴いても、ハマってしまいます。決して、最近の音楽の質が落ちたなどと言うつもりはありませんが、やはり、ポップミュージックは時代の音楽なんですよね。だから、私は最近のヒップホップ色の強い音楽や、カッコ良すぎな洗練されたAOR風の音楽にはピンと来ないのですが、いわゆる”ポスト・パンク&ニューウェイブ”時代の音楽は、耳が腐るほど聴いても、いつも新鮮です。

最後になりましたが、ジャケット写真がやけに物騒な雰囲気です。このあたりも、当時のポップミュージックが背負っていた状況=現状に不満を抱いた若者の代弁者としてのアーチストという時代の雰囲気が出てますよね。このあたりは、詞もそうとうに過激だった「ザ・スミス」のジャケットなんかにもつながってるのかもしれませんね。

音楽雑記帳 AZTEC CAMERA「KNIFE」

2008-04-03 22:46:59 | ポピュラーミュージック

つい先日、私がかなり前に書いた、80年代イギリスのロックバンド「The Smith」について書いた記事にご自分の記事をトラックバックしてくれた方がおられました。普段、アイドルとか、その延長線のような記事ばかり書いてる私ですが、大学生の一時期、この手の音楽には異常にハマっていたことを思い出しました。

で、この「AZTEC CAMERA」(以下、めんどうなんで、「アズテック・
カメラ」と表記しますし、アルバム名等も同じく、カタカナ表記します。)、さっき触れた80年代の伝説のバンド、「The Smith」と同じ「ラフ・トレード」というインディレーベルからデビューした、こてこてのアコースティック・ギター・バンドです(などと、私ごときが言うまでもありませんが・・・)。この「ナイフ」は彼らのセカンドアルバムですが、これは、ファーストアルバムを出した後に移籍したメジャーレーベルのWEAからリリースしてます。このあたり、インディーズにこだわる方には「商業ロック」への転身、などという批判もあるでしょうが、作品的には、「ネオアコ」の新たな境地を開いたと言ってもいいかもしれません。当時、一大ムーブメントだった、ネオ・アコ-スティックというジャンルには、「オレンジ・ジュース」や「ペイル・ファウンテンズ」、「エヴリシング・バット・ザ・ガール」など、アコースティック・ギターを前面に出すバンドが主だったのですが、「アズテック・カメラ」のこのアルバムは、ネオアコというにはあまりにもポップ過ぎる。デビューアルバム「ハイ・ランド、ハード・レイン」が、ガチガチのアコースティック・サウンドだったのに比べると、この「ナイフ」は、ポップでメロウな音を全面に出しつつ、ベースにしっかりアコースティック・ギターの響きを生かしてるという、絶妙な音づくりがされています。

それに加え、フロントマンのロディ・フレームがかなりのイケメンと来てますから、その人気たるや、さぞすさまじかったことでしょう!

このアルバムは、ホント、聴いてて心地よいんですよ。その代り、例えば、「ザ・スミス」の信奉者からは、間違いなく「甘ーーーい!」と言って一蹴されてしまいそうなんですが、「ザ・スミス」が好きな私でも、さすがにいつもあのモリッシーの憂鬱な歌声ばかり聴いてちゃ気持ちが滅入ってきますから、その反動みたいな感じで、「アズテック・カメラ」もよく聴いてました。

そんな、「アズテック・カメラ」の2ndアルバム「ナイフ」、もちろん大ヒットしたわけですが、リーダーのロディ・フレイムはこの後、ソウル/R&Bの方向に舵を切って行きます。そのあたりに彼の音楽へのこだわりを感じるのですが・・・まあ、今宵は「ナイフ」のメロウなサウンドに酔いながら、春の眠気に誘われるまま眠れれば幸せでしょうね・・・。

音楽雑記帳 YOUNG MARBLE GIANTS「COLOSSALYOUTH」

2007-03-19 23:11:25 | ポピュラーミュージック


YOUNG MARBLE GIANTS「COLOSSAL YOUTH」(1980+α)

また、趣味の世界へ入ってしまった。ヤングマーブルジャイアンツ(以下、YMGと呼ぶ)。
いわゆるニューウェイブという、1980年代にイギリスを中心に広がったムーブメントの音楽に多少興味があれば、聞いたことのあるバンド名だろうが、一般の英米ポップミュージックファンには、「何、それ?」ということだろう。
いや、音楽を聴けばさらに「何、それ?」×2となることであろう。わかりやすく言えば、YMGの音楽には「色」がないのである。まさに、このジャケットどおりなのである。いわば、ジャケットが気になって聴いてみたら、ジャケットどおりの音楽だった、ということになるのである。
単調なメロディ、ドラム抜きの構成(代わりにリズムマシーンが鳴っている)で、静かに奏でられるギターとでしゃばったベース。そして最も印象的なのがオルガンの音。ヴォーカルは、歌っているというより、曲をバックに朗読してるのか?という感じ。
確かに、ポスト・パンク、ニューウェイブ・ムーブメントにおいては、いろんなスタイルがあった。アコースティックあり、耽美派あり、ノイズ系あり、フォーク系ありと。
で、このYMGは、後のネオ・アコースティックの系譜の萌芽とも言われている。
なぜか?それは聴いてみればわかるのだが、録音媒体を通じて聴いても、あたかも目の前で生で演奏し、歌っているのではないかと思わせる音であり、まさに生音的(=アコースティック)なのである。先ほども言ったが、単調なメロディで、いわゆる「サビ」という部分がない。しかし、そんな薄っぺらな音でありながら、いや、そうだからこそ、曲を聴きながら、何か思索に入ってしまいそうな、そんなインスピレーションを受けてしまう、そんな音楽なのである。
このYMGは、結果的には実験的ユニットのような形で、この1枚のアルバムを残して解散してしまう。が、ヴォーカルのアリソン・スタットンはその後も「WEEKENND」「DEVINE & STATTON」という風に形を変えながらも、その存在感のあるつぶやき風ヴォーカルを聴かせてくれ、私もずっとその音楽を追っかけていた。年月が経っても、思い出しては彼女の歌を聴いていた、という感じであった。
私の好きな八神純子さんとは、完璧に対象的なヴォーカリストなのだが、アリソンの場合は、あくまでもアコースティック・ミュージックにこだわった、そのこだわりに引き寄せられてしまったというのが、実際のところであろう。
私が、ネオ・アコースティック系音楽にはまってしまう、決定打を打ったのが、このYMGだったのである。

音楽雑記帳 THE SMITH 「The Queen Is Dead」

2007-03-18 00:21:32 | ポピュラーミュージック


THE SMITH 「The Queen Is Dead」(1986)

今まで、さんざんアイドルをネタに書いてきた男が、いきなり80年代ポストパンク・ニューウェイブのロックバンドに飛ぶんだ?という感じである、自分でもそう思うのだが。
しかし、私とTHE SMITH(以下、スミスと呼ぶ)のつきあいは長い。私は、大学に入るまで、英米のポップミュージックとはほとんど無縁であったのだが、大学に入り、おニャン子つながりで知り合った同級生が、この手の音楽のマニアで、彼の部屋に入り浸っているうちに、試しに聴いてみたのがスミスであった。
そんな前置きはどうでもいいのだが、初めてスミスのこの「The Queen Is Dead」を聴いたとき、はっきり言って「なんじゃ、こりゃ?」と思った。それは、「新鮮」という意味での「なんじゃ、こりゃ」であったのだが。
当時の私にとっての英米ポップミュージックの印象は、調子のいいメロディを景気のいい音で鳴らす曲とか、きれいな旋律に乗せたお決まりのバラード、といったものであったのだが、スミスの音楽は、音の面では美しいアコースティック・ギターが響いているものの、なにやら時には不協和音的な精神をかきまわすようなメロディが流れると思えば、異様にさわやかなメロディが流れたりする。で、ヴォーカルは、歌っているというよりは、言葉が魂からすり抜けてくるというような感じであった。
後に、詞を書き、歌っているのがモリッシーというオスカーワイルドを崇める文学青年であり、作曲をし、アコースティック・ギターを弾いているのがジョニー・マーだと知るのであるが。
今から思えば、このアルバムを出した後にレーベル移籍問題とかモリッシー-マーの不仲説などの問題が発生したことを思うと、バンドとして最も油の乗った時期に発表したのが、この「The Queen Is Dead」であったのかもしれない。しかも、イギリスのバンドにしてこのタイトルは、パロディかと思ってしまうくらい、刺激的である。
初めて聴いてから、もう20年が経つのだが、まったく飽きない。モリッシーの妙ちくりんな歌もなぜかスーっと入ってくる。おそらく、彼らと私の相性がよかったということにつきるのであろうが。
この、スミスとの出会いをきっかけに、その後しばらくの間、私はいわゆるニューウェイブと呼ばれた(今では死語だと思っているが)ミュージシャンたちの音楽をおっかけることになる。最近の英米ポップミュージックの傾向などには詳しくないが、当時のニューウェイブ系ミュージシャンたちには、ポップミュージックの可能性を広げようとする、可能性への挑戦のようなものを感じたし、いま聴いてもそう思う。
そんな時代の音楽についても、こんな小さい場ではあるが、できるだけ紹介していって、少しでも聴いてみようと思ってくれる方に出会えれば、光栄である。
今回は、きっかけとして、このアルバムを紹介したが、スミスについては、またじっくり語ってみたいと思う。私にとっての「80年代最重要バンド」であるわけだし。