とにかく、イベント続きだった9月も、ようやく終わりに近づきました。前半には北海道でラリー・ジャパン2010に参戦。翌週は東京へ走り宮崎奈穂子ちゃんの出るライブに行き、引き続き木曜日にはなっちのコンサート・・・たまらなくバタバタで、でもわくわくの連続だった9月。他にも、宮崎奈穂子ちゃんの「ぴっかぴか」のローソン店内放送を追っかけたり、TVでは、激しく応援している女優さん市川由衣ちゃんがNHKの連続時代劇の主演をしたり・・・いやはや、ブログの記事が追いつかないほどのイベント続きでした。
そして、やっと9月も終わろうかとした最終週、まさかと思ったソフトバンクホークスのマジック2が点灯!そして迎えた25日・26日の土日。土曜日は昼間のゲームで西武の対戦相手の楽天を応援するも西武の勝利。その日のホークス優勝はお預けとなったナイトゲームで、日ハムダルびっきゅとホークス杉内の、痺れまくる投手戦をTV観戦し、杉内の劇的完封勝利に酔いました。そんじょ勢いで迎えた日曜日。まずは昼間の西武VS日ハム戦。ハムは昨日の敵なるも、このひばかりは1日熱烈日ハムファン!ツイッターも見てましたが、ホークス応援のツイッターサイトは、もはや日ハムファンの集まり。試合も一進一退で一投一打に一喜一憂の連続。そしてついにホークスの試合開始時間になっても、日ハム-西武は試合中。そして迎えた9回裏・・・糸井の打球はレフト後方への大飛球・・・「よし、行け、行け~」と叫んでいた私。打球はレフトフェンスダイレクト。2塁ランナーは悠々ホームインで日ハムサヨナラ勝ち=ホークス7年ぶりの優勝決定となったわけです。
ここからは語りになりますが、思い起こせば1979年。小学6年のシーズンオフに、クラウンライター・ライオンズが西武の堤義明に買われて、ライオンズの地元福岡から所沢へ行ってしまった。小学生時代、機会は少なかったけど、時々行った平和台球場でのライオンズ戦は、いつもワクワク感でいっぱいでした。そんなライオンズが福岡から去ってしまった。福岡からプロ球団がなくなってしまった。それと同時に私自信、福岡から長崎へ引っ越し、地元に球団がないこともあまり気にならず、昔から好きだった巨人ファンの道を歩んでました。
そして、高校卒業と同時に福岡へ戻り、2年間の浪人生活の後、無事地元の大学に入学。この時もまだ福岡には球団はありませんでしたが、誘致運動はかなり熱くなってました。野球所福岡の人は、プロ球団に飢えていたに違いありません。稲尾監督だったロッテの誘致もかなり濃厚でしたがお流れ。そして、迎えた1988年、ダイエーの中内社長(当時)が南海ホークスを買収し、福岡ダイエーホークスとして福岡の地に誕生したのです。当時私は大学3年生でした。就職後福岡に残るかどうかはわかりませんが、少なくとも1年間は、地元球団を生で応援できるんだ!という思いで、ファンクラブにも入ったことおも思い出しました!
ということで、長くなりましたので私のホークス物語の続きは、次回へ。
でトップ画像は、ダイエーホークス誕生記念の地下鉄切符。当時の平和台球場の最寄り駅、「赤坂」発の切符ですが、使わないまま残ってました。