kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

ラリー・メキシコまであとわずか

2007-02-28 23:44:49 | WRC
もう、来週末に迫ってきました、ラリー・メキシコ。
ラリー・ノルウェー後のメディア情報などからも、どうもC4にはマシンの挙動についての問題があるようであり、スノーとはサーフェスは違えど、ターマックとは異なり、マシンを滑らせながら走る場面が多メキシコのグラベルでのC4のパフォーマンスがどうなのかが、最大の見どころであろう。神様ローブがマシンの限界に挑むとすると、またしても・・・というシーンも・・・?

もうひとつ、いや、日本においてはこっちの方が注目されているであろう、スバルのニューマシン、インプWRC2007。ドライバーもファンも、これを待っていたというだけに、期待は最高潮でしょう。
でも、ぼく個人としては、あまり大きな期待はしていません。(期待が外れたら、ショック大きいですから。)もともと、本隊は2008モデルの開発に力を入れているとのことであり、劇的に進化するわけではないであろうし。
ただ、ペターがあんなにもニューマシンのことを口にするのを聞くと、おそらく、WRC2006がよっぽど悪いんだろうなと思ってしまいます。
だとすれば、悪いところをつぶしただけでも、格段に良くなる可能性は大きいと見ていいと思うので、ペター得意のグラベルだし、セブには精神的に余裕がないであろうという状況でもあり、とりあえず、そこそこ安定して走ってくれれば、結果は自ずと・・・という程度は期待してます。

アイドル雑記帳 八神純子「みずいろの雨」

2007-02-28 22:21:31 | アイドル


八神純子 「みずいろの雨」(1978)

♪あ~~~~~みずいろの雨~ 私の肩を抱いてつつんで 降り続くの~ォ~ォ~ォ~

間違いなく、死ぬまで忘れないフレーズであり、忘れない曲である。
なぜか?それはこの曲のレコードが、私が生まれて初めて買ったレコードだからである。

当時中学に入って間もない頃、毎週「ザ・ベストテン」に出てくる純子さんを見るのが楽しみだった。そう、私にとって八神純子はミュージシャンではなく、アイドルだったのだ。
初めてテレビで見たとき・・・白いジャケットとパンツ姿で、白いピアノを弾きながら歌っていた純子さんにイチコロだった。

彼女の曲の中では、一般的には「パープルタウン」の方が有名であろうか。ヒットしたという意味ではそうかもしれないが、「みずいろの雨」はロングヒットした曲で、「ザ・ベストテン」の年間順位でも3位あたりではなかったかと記憶している。
3分半にも満たない短い曲で、2つのパートしかないのだが、なんといっても純子さんのハイトーンヴォイスが素晴らしい。歌にメリハリもあって、さらに「色っぽい!」当時20歳だが、ルックスも色っぽく、かわいいという感じだった。「ザ・ベストテン」のアンケート企画で、「息子のお嫁さんにしたい歌手№1になったこともあった。料理や掃除が好きだと言っていたあたりが、ミュージシャン的というよりアイドル的であった。

「パープルタウン」のヒットの後しばらくは表舞台で活躍していたが、少し後でアメリカ人音楽プロデユーサーと結婚し、アメリカへ移住。最近の動向は詳しくは知らないが、音楽活動は続けているのであろう。

八神純子とは・・・魅惑のハイトーンヴォイス・シンガーであった。

アイドル雑記帳 西田ひかる

2007-02-28 00:58:17 | アイドル


西田ひかる 「VERY BEST OF HIKARU」(1994)

このCDは、ひかるの出演したドラマやCMのテーマソングに使われた曲のベスト版である。彼女の主な楽曲はほとんどがタイアップものであったので、いわば全盛期に出たベスト版という位置づけである。

ひかるのデビューは1988年、アイドル史的に言うとおニャン子バブル崩壊後間もない頃のデビューということになる。しかし、時すでにアイドル全盛時代が下り坂であったこともあってか、曲が大ヒットすることはなかった。
そのかわり、ドラマやCMの活躍は目立っていたと思う。

ひかるの魅力は、なんといってもその「健康的な育ちの良さ」を感じるところであろう。13歳までカリフォルニアで過ごしたからであろうか、太陽が似合うイメージがある。それでもって、非常に清潔感があるというか、育ちのいいお嬢様という感じがあって、一般的に好感の持てるタイプのアイドルであった。出演CMが多いことが、それを証明している。

上智大学へ進学、その後一般人と結婚し、2006年にはお母さんになっている。結婚後も芸能活動は細々と続けてはいるものの、普通の生活を大事にしているようで、その辺がまたひかるらしいところである。

曲については、基本的にさわやかさを前面に出した、元気系ポップチューンとでも言おうか。声質が素直で伸びやかなこともあり、聴いていると心地よい風が吹いてくると感じるのは、思い入れが強すぎるだろうか。
作曲陣は、初期は馬飼野康二、途中から筒美京平となり、その後はいろんな作曲家を試していたようである。いずれも、ごくごく素直なアイドルポップスに仕上がっており、インパクトはないが、すっと入ってくる曲が多い。
個人的には、しっとり聴かせる「めぐりあい」と♪あるある・る・る 愛がある・・・というフレーズが当時のエアコンのCMを思い出させる「きっと愛がある」が好きである。

西田ひかるとは・・・「90年代前半に輝いた夏の太陽」であった。

アイドル雑記帳 ごあいさつ

2007-02-24 23:23:57 | アイドル
今日は心身ともに余裕がなく、ごあいさつのみで失礼します。
たぶん、「WRCファン」のふれ込みでブログ界にデビューしたのに、こういうオタクネタを書き始めたことで、「なんじゃあいつは」とお思いの方もおられるでしょう。

なおかつ、今時そんな昔のアイドルを語ってどうする?という向きもあるでしょう。(これからは、「今」のアイドルも斬って行きたいと思いますが・・・)

しかし、形は変われど、いつの世もアイドルは必要であると、強く思う私であります。
特に、男にとっては女性アイドルなくして健全な精神は育まれない(言いすぎか?)と信じているものであります。

それでもって、昨今の「懐かしものブーム」です。そこに流れるのは、「自分が熱かった時代に燃えた(萌えた?)もの」を、歴史の彼方に葬りたくないという通奏低音であろうと考えます。
幸いにして、21世紀の我々は、ブログという、強力な武器を手に入れました。
今こそ、自分を語る時ではないでしょうか。たとえそれがどんな形であれ、共感してくれる人は必ずいるはずだと信じています。
過去の自分を生き生きと語ることは、そういう時代を経た今の自分を肯定することにつながると思います。
私にしてみれば、アイドルフリークだった過去があって、WRCに熱い今があるわけですから(って、これらの間には脈絡はありませんが。)

以上のような信念のもと、これからも「アイドル雑記帳」を行けるとこまで書き続けたいと思っております。

たとえ多くはなくとも、この世界を好きな方に読んでいただければ幸いであります。
(でも、WRCウィークはそっちに走ります!)



アイドル雑記帳 松本典子「春色のエアメール」

2007-02-23 23:32:38 | アイドル


松本典子 「春色のエアメール」(1985)

松本典子のデビュー曲である。作詞作曲はあの、「オレたちひょうきん族」のテーマ曲などもてがけたEPO。
しかし、正直ちょっと懲りすぎの面が否めない。EPOらしい、軽やかな曲調ではあるのだが、いわゆるアイドル楽曲と違って、盛り上がりの部分のメリハリがなく、淡々と流れてしまうところが、賛否の分かれるところではないか。
しかし、歌詞はかなりそそるものである。
♪季節が ポストになげこんだ ばら色のおくりもの
♪もうじき朝になる あなたの街を地図でさがすの・・・
と、まさにエアメールをもらった恋する乙女の気持がやんわりと表現されており、
♪あなたが駆けてきて きれいになったねと 見つめられたら ドキドキしちゃう・・・
という、遠距離恋愛している女の子にとっての最高の幸せのシーンを描いて締めているあたり、EPOのセンス恐るべしというところである。
曲の賛否はともかく、典子自身は、全くもって80年代アイドルの典型的なタイプである。
いや、かわいすぎるところが、彼女の欠点だったかもしれない。
一見、松田聖子のフォロワーと見られがちだが、聖子より癖のないかわいさである。癖がない故の物足りなさがあったことも否めない。
ただ、典子にとって最も不運だったことは、デビューしたのが1985年、つまりおニャン子クラブのデビューと同年だったことだろうか。
スーパーアイドルとしての資質は十分持っていたにもかかわらず、時代がいわば「おニャン子バブル」に飲み込まれていき始めた時代・・・それでも、存在感を示し、その後も長くアイドル界で生き残った典子。歴史に「もし」はないのだが、もし、あの年、おニャン子クラブが発足しなければ・・・80年代後半は典子の時代だったかもしれない。
このデビュー曲以降も、松任谷由実、久保田利伸、中島みゆきなどの大物作曲陣を起用しているが、これもいわば「完璧アイドル路線」の曲を連発していたおニャン子に対するアンチテーゼだったと見るのは勘ぐりすぎだろうか?
そんな中でも、松任谷作曲、銀色夏生作詞の「さよならと言われて」は、典子にとっても成功した楽曲だったのではなかったか。超バラードであるが、典子の切なげなヴォーカルが、曲調、歌詞ともにマッチした、逸品である。アイドルファンの方には一聴をオススメしたい。
80年代後半は、志村けんのバラエティ番組にレギュラー出演するかたわら、歌の方も地道に出していた典子であったが、年齢的にもちょうどいいころに元プロ野球選手の苫篠と結婚。それはそれでよかったのだろう。
しかし、デビューから20年以上経った今、レコードジャケットの写真を見ても、やはりかわいいと言わざるを得ない。いまどきの女の子いはない、ピュアなかわいさ。その言葉につきる松本典子である。アイドル史に残るピュア・アイドルである。

アイドル雑記帳 原田知世「愛情物語」

2007-02-21 22:07:14 | アイドル


原田知世 「愛情物語」(1984)

この曲は、知世の代表作ではないであろう。アイドル時代に限っても(彼女は後に、アーティスト活動へ軸足を移していきましたから)代表作は「時をかける少女」というのが一般的だろうと思う。売れたという意味でも。

しかし、この曲は、私自身の当時の状況=大学入試の失敗という境遇と重なっていることからとても印象深く、あえて取り上げたものである。
あらためてレコードを出して見ると、まずレコード盤が透明で、これはなかなか凝った作りである。
作曲は林哲司、作詞が康珍化。当時のアイドルポップスの典型的なコンビである。
曲調はバラード系で、曲全体がゆったりした感じのアレンジにまとめられている。
歌詞が、♪はじめて会うのに 想い出のような人 で始まるからではないが、懐かしさを感じる音作りである。これに、知世の語りかけるようなヴォーカルがからむわけで、知世の声がじっくり聴けるという意味で、知世ファンにはたまらない一曲であろう。
知世のアイドル時代の代表曲「時をかける少女」は松任谷由実の曲のイメージが強すぎて、知世らしさがイマイチ出せてないと思う。それに比べてこの曲は、楽曲云々より、知世の声を前面に出した曲であるところが魅力的なのである。

ご存知のとおりこの曲は映画「愛情物語」の主題歌なのであるが、映画では髪を思い切り短く切っていた。しかし、レコードジャケットおよび原作のカドカワノベルズ版の表紙写真ではまだ髪を切る前であり、またこの写真が映画のワンシーンのようないい写真なのである。
夜の都会の灯りをバックに、何かもの言いたげな表情がいい。当時はノベルズも持っていたのだが、そちらは行方不明となり、残念である。(ちなみに、ノベルズ版の表紙写真はシチュエーションは同じだが、表情が微妙に違っており、個人的にはそちらの表情の方がよかった。)

もうひとつ言うと、映画よよりも原作(赤川次郎著)の方がよかったように思う。原作は、いい意味で赤川次郎的でなく、サスペンス仕立ての中に甘酸っぱい青春時代の少女を包む空気感がうまく書かれており、さらに最後には「オチ」までついているというものであった。知世ファン、赤川ファンならずとも、一読して損はない作品である。

原田知世は、親しみを感じるアイドルであった。九州人だからというわけではないが、人懐っこさを感じるところがあった。
それでもって、とても素直なイメージもあり、だからであろう、CMの世界では重宝されていた。アイドル時代は歌手としては必ずしも成功はしなかったが、女優としては十分存在感をアピールしていた。

近年は、女優業より音楽活動の方に力点が置かれている感はあるが、相変わらず、根強くCMには起用されているところを見ると、知世の好感度というのは、いまだに健在なのだなあと、あらためて納得した。


ウインターラリー終了

2007-02-21 21:34:24 | WRC
開幕から3戦が終了。まあ、いろんなことはありましたが、ポイント的には予想どおり、ローブ、グロンホルムの2強と、昨年ブレイクした、ノリノリのヒルボネンが、3強を形成し、少し遅れてスバル勢が追うという状況です。

WRC、それは世界のラリードライバーが、ラリー世界一を争う世界選手権であることには間違いありません。
しかしながら、仮に今シーズン、参加するのがワークスチームのみであったとしたら・・・。それはそれは寂しいことになっているでしょう。
ワークスチームが少ないことの原因を云々する気はありません。モータースポーツには、いろんな縛りや横ヤリがあることも分かっています。
ただ、ファンとしては、力のあるドライバーが、マシンの性能を限りなく発揮して速さと技を競う姿を見たい、ということには、皆さん同意いただけると思います。

そんな状況下、この冬場の3戦でファンを沸かせてくれたのは、トニ・ガルデマイスターとジジ・ガリでしょう。
2005シーズン、ガルデマイスターはフォードのワークスドライバー、ガリは三菱のワークスドライバーとして、日本でも走った男です。
それが、今シーズンはプライベーターとしてのスポット参戦を余儀なくされているにもかかわらず、ワークスチームを脅かすパフォーマンスを魅せてくれています。
この二人、三菱に縁があるドライバーという意味で共通点があるのですが、タイプは違えど、どうしても応援したくなってしまうkosukeなのであります。
トニには、1戦でも多く、三菱のマシンでアピールして、早く帰って来いという声に勢いを与えてほしい。
ジジは、人間的に人気のあるドライバーだし、走りもいいもの持ってます。彼だって、ワークスチームで走れば、結果は出せる男だと思います。
そんな、プライベーターの活躍も期待しつつ、これからの戦いを注目したいです。

ぼくとて、ホントはスバルに勝ってほしい。ドライバーズ・タイトルが無理なら、コンストラクターズ・タイトルだけでも獲ってほしい。それが本音ではありますが、本当に望むのは、たくさんの能力あるドライバーが、いろんなマシンを駆り、最後まで予想のできない戦いをしてくれることです。2強とか3強じゃなく、4強、5強の戦いを見たいのです。

そのためにも、度々ワークスドライバーを脅かしている先の二人には、出たときは思い切り暴れてもらって、なおかつ結果を残してほしいです。
現実的な支援はできませんが、応援することで彼らの活躍を支えたいです。

次のメキシコは今シーズン初のグラベルラリー。いやいや、♪お た のしみは まだ!(by渡辺美奈代「TOO ADULT])

アイドル雑記帳 伊藤つかさ「少女人形」

2007-02-20 21:54:42 | アイドル


伊藤つかさ デビュー曲「少女人形」(1981)

伊藤つかさは、80年代前半の、日本アイドル史上でいうと、「おニャン子前夜」と言うべき時代に現れた、スーパーアイドルである。
しかし、当時のほかのアイドル:小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、石川秀美、早見優etc.といったアイドルとは、活動基盤が若干異なる、どちらかというと、ファンのためのアイドル、という存在だったように思う。つかさは、当時はやりのアイドル番組の類にはあまり出なかった。そのかわり、地道にドラマ出演をしながら、レコードはコンスタントに出すという感じだった。

つかさがブレイクしたのは、言わずと知れた「3年B組金八先生」の出演であるが、そのブレイクがフィーバーに変わったのは、やはりこの「少女人形」によるであろう。

では、その「少女人形」について。
作曲は、あの♪あなたはもう忘れたかしら・・・の「神田川」の南こうせつである。このあたり、期待の大きさが伺える。
この曲のクライマックス、それはなんと言ってもイントロである。
♪ポンポロポロポロ・・・・と始まるこのイントロが、まさに「少女人形」なのである。そのあとに続くのが(後の1stアルバムの帯に書かれることとなる)「ロマンチック・ソプラノ」のつかさの声である。やや息が抜け気味の声なのだが、その抜け具合が実にいい。まさに、「癒しの声」である。天使の声と言ってもいいかもしれない。

天使と言えば、このレコードのジャケットの写真がまたすばらしい。どちらかというと地味な顔立ちのつかさだが、黒目がちの瞳と、やや大きめでうさぎをイメージさせる前歯が印象的だ。アイドルアイドルしてない、控えめな顔立ちである。これがつかさの魅力の大きな部分を占めるのだと思う。控えめな自己表現とでも言おうか。だからこそ、「守ってあげたい」と思わせるのである。
で、ご覧になればおわかりと思うが、そんなつかさが、絶妙のライティングを受け、まるで天使のようである。それでもって、セーラー服を着ているところが、もう、「参りました!」。
すごい写真だと思っていたら、それもそのはず、撮影はあの大御所、篠山紀信氏なのである。納得である。
この写真、その後1stアルバム「つかさ」にも使われ、また現在も発売中の「伊藤つかさベストコレクション」のCDジャケットにも使われている。このジャケットはアイドルレコード史に残る写真であると断言できると思う。

伊藤つかさとはいったい何だったのだろう?
「80年代に舞い降りた永遠の少女」
これが私なりの回答である。
つかさは、いつも控えめで、話すときは恥じらいがあった。
そんなつつましやかな少女像というのは、間違いなく美しい少女像であった。
だからこそ、当時も、そして今でも、多くの人に記憶の中の「永遠の少女」として、彼らを癒しているのである。
いろんな癒しが叫ばれる今、伊藤つかさは見直されていい、癒しのアイドルなのである。


 

自分も走るぞ!

2007-02-19 21:07:34 | 日記
スウェディッシュ、ノルウェーと2週連続開催で、映像は見てないのに、頭の中でラリーカーが走っている場面をさんざん想像する週末でした。
ここで一息いれられて、助かった感じです。

で、そんなこの週末、日本では東京マラソンの話題が盛り上がってました。
今日のNHK「クローズアップ現代」でも取り上げられてました。

映像とか少し見ましたが、あれだけの人が一斉に走るのは迫力ありますよ、スピードはともかく。
42.195キロ。当たり前に考えると、凡人が走れる距離じゃないようにも思えます。もちろん、トレーニングなしで走り切ることは不可能でしょう。

そんなこと思ってたら、自分が20代半ば過ぎの頃、走ることが好きだった頃を思い出しました。
大学時代の後半の不摂生から、かなり太った状態で就職したkosuke。あまりの太り方に危険を感じて、新入社員時代の夏ころから、昼休みに会社(と言っても工場ですが)の周りを走りはじめました。でも、あのころは若かったんですね。次第に走りが軽くなってきて、3年目には、10キロマラソンを走れるまでになってました。タイムは確か50分を少し切ったくらいでした。それからは、会社から帰ってからも週3日くらいは10キロ程度のジョギングを続け、4年目の春、ついにハーフマラソンに挑戦。ちなみに大会名は「さが桜マラソン」。結果は1時間47分で完走。これって、われながらそこそこやるじゃん、って感じでした。
しかし、このすぐ後、テニスの試合でアキレス腱を切り、しばらくハードな運動はできず、その後テニスは続けてきたものの、東京への転勤があったりして、マラソンには縁がなくなりました。
今、体重が70キロ台後半(限りなく80キロに近づいている)。身長は170なので、スポーツやってて多少筋肉があるといっても、肥満に近い状態です。
去年の秋から、昼休みのジョギングはやっているものの、なかなか絞れません。

で、東京マラソンを見て、一大決心!
来年のこの大会に出る!(ただし、抽選に通れば、ですが。)
東京は10年間住んだ、ぼくの第2のふるさとでもある。
それに備えて、それに見合うトレーニングをする!

ぼくとて、インプSTIに乗る男、ただのデブではインプドライバーとして失礼でしょう。そういう意味でも、1年計画となりますが、来年の今日には、フルマラソンが走れるカラダを作る。そんな思いを起こさせてくれた、東京マラソンでした。

兄の意地!?

2007-02-18 21:05:42 | WRC
ラリーノルウェイも終盤に入ってきました。
フォードのワンツー体制には変わりありませんが、3位争いが・・・。
ついに、というか、やはり、というか、兄ヘニングがついにペターを抜いて3位に。しかもその差は16秒。残りステージは最終のSS18のみとなり、ペターには苦しい最終SSとなりそうです。ただし、このSSは44キロ!のロングステージ。両者無事に走り終えれば、ペター逆転の目はないでしょうが、現地はコンディション的にも難しいコース状況となっているとの情報もあり、前を行くヘニングとて、全く安心はできないことでしょう。
当然、追うペターが4位でよしとするとは思えませんが、プッシュして抜けるタイム差ではないですから、まずはミスなく走りきることが大事だぞ!(と、応援したりする。)
しかし、ヘニングのスノーラリーでのテクニックもあるでしょうが、このままいくと、フォード1,2,3(イチ、ニ、サン)、「ダー」って感じです。しかも3位はいわばフォードの2軍ですから・・・恐るべし、フォードフォーカス!現時点でのマシンの能力差を見せつけられてる感じです。
とにかく、今は最終SS18の結果を待ちましょう。ペター逆転に願いを込めて・・・。