kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

音楽雑記帳 岡本真夜「そのままの君でいて」

2010-05-14 21:19:54 | 音楽雑記帳


久しぶりに音楽ネタでいってみます。

若干熱は収まりつつあるのかもしれませんが・・・上海万博のイメージソングがらみで盗作騒動となった曲の、盗作された側の岡本真夜ちゃんです。

実は私、在京時代の1990年代半ば頃、真夜ちゃん大好きでした。全CDを持ってるというほどの入れ込みようではありませんが、シングルもアルバムも数枚持ってます。
で、今回の上海万博がらみで、そういえば問題の「そのままの君でいて」はシングル買った記憶あるなあ・・・と思い8センチCDシングル(今や、これを手にしたことのない世代の方が、音楽好きには主流なのかも・・・)の束を探してみたら、やっぱりありました!
さすが、オレ!と、勝手に自分を褒めました。

で、久しぶりにじっくり聴いてみたんですが、真夜ちゃんの曲の中では比較的ノリのいい曲調です。なんと言っても、出だしの歌詞
♪もっと自由に もっと素直に 強がらないで 歩いてゆこう 
という部分はしびれますね。でもって、サビの
♪強がらないで そのままの気味でいいんじゃない? 無理しなくてもいいよ 空を見上げて 風邪を感じて 歩いてゆこう
というところで、完全にやられました。

実はついさっき、TVの「ミュージックステーション」という番組で、真夜ちゃんのこの歌を聴いたんです。さすがに今の真夜ちゃんでは歌うのがつらそうでしたが、オリジナルの曲では、とても艶のあるヴォーカルを聴かせてくれてます。そう、真夜ちゃんの声は、女性シンガーとしては低めの声なのに、どこか艶があって、魅力的なんです。
それと、ご本人には申し訳ありませんが、決して美人でもなく、目立たず、どこにでもいそうなお嬢さんって感じのルックスなんですね。そういう普通っぽさと、歌声のミスマッチみたいなところに、より惹かれてた気がします。しかも、真夜ちゃん風の地味で平面的なルックスって、私個人としては好みのタイプだったりしますし・・・。

そんな真夜ちゃん、実はなかなかの写真好きらしく、アルバムのおまけにミニ写真集がついてたこともありますし、アルバム「Smile」のジャケットでは、お気に入りのニコンのレンジファインダーカメラを構えてくれてます。カメラ好きの私としては不覚にも機種がわからないのですが、おそらくはS2かS3あたりのクラシックなカメラです。(まさか、幻の名機SPってことは・・・?)そんな、同じ趣味を持つところも、私が真夜ちゃんにより惹かれた要因だったかもしれません。

出産を機にしばらく活動休止になった頃から、疎遠になってしまったのですが、上海万博騒動を機に思い出し、今はデジタルウォークマンにも入れて、頻繁に聴いてますが、いつ聴いても、気持ちがほっとして、力が抜ける感じがしますね。そういう、独特のメロディを作り上げる稀有なシンガーソングライター。岡本真夜ちゃんの今後の活躍にも期待したいですね。

J.S.バッハ+グレン・グールド「ゴールドベルク変奏曲」

2008-01-30 22:09:47 | 音楽雑記帳

J.S.バッハ+グレン・グールド「ゴールドベルク変奏曲」(1981)

先日、今私にとって旬なアイドル、市川由衣ちゃんの写真集発売記念握手会の整理券をゲットして、今、気分が高まってるところなんですが、あまり熱くなりすぎてもいかんと思って、○十枚あるクラシックのCDから、何気なく選んだ1枚が、このグールドの「ゴールドベルク変奏曲」でした。私の場合、クラシックを聴くのは、読書しながらとか、掃除しながらとか、そういうシチュエーションが多いんですが、何故か、この曲を聴き始めると、聴き入ってしまいます。

誤解のないように申し上げると、私はクラシックに明るいとか、詳しいとか、そういう素養はまったくありませんし、クラシックのCDの解説によく書いてある、専門用語みたいなものも、大半はわかりません。

でも、聴くこと自体は好きかもしれません。ジャンルとか、作曲家、演奏家とかにもほとんどこだわりはなくて、だいたいが「名盤」とか言われると、買ってしまう方です。

この、グールドのゴールドベルク変奏曲もそんな1枚です。どうやら、グールドという人は、この曲を2回録音したそうで、これは2回目・・・かつ、彼の晩年の録音とのことです。実際、彼はこの録音の翌年、1982年に亡くなってますから、作家なら“遺作”ってことになるのかもしれません。
また、彼は本格デビューして10年で、コンサートでの演奏をきっぱりやめたという、いわくつきのピアニストだそうです。それから約18年、ひたすら録音にこだわったとのこと。まあ、その集大成がこの2回目のゴールドベルク変奏曲なのかもしれません。

もともと、この曲はJ.S.バッハ(ご存じのとおり、当時の音楽界には“バッハ”姓の音楽家がたくさんいるらしいんで、正確性を保つ意味でJ.S.バッハと表記します)が、ある偉い方の不眠症を癒すために作った曲とのことですが、次から次へと、いろんな技法を駆使して弾かれるこの曲が不眠に効いたとは思えませんが。

とにかく、この曲はピアノだけで、延々と32曲の小品を弾き続けるというスタイルなんですが、ピアノという楽器の可能性に挑んでいるというような、そんな感じがする曲だかれでしょうか、どうしてもついつい聴き入ってしまうんですね。

特に、出だしと最後の“アリア”は、美しい旋律です。その間にはさまった30曲は、明暗、強弱、いろんなヴァリエーションが聴ける、まさに“変奏曲”です。

ちなみに、この曲をほかの演奏家の作品と聴き比べたことがないんで、感想どうこうもないんですが、ひとつだけ、コメントするとすれば、グールド時折唸りながら、この曲を演奏しています。ピアニストの魂みたいなものが聴こえてくる、そんな曲なんですね。

最後に、おまけですが、グールドという人は、どの作品のジャケット写真も、同じようなスタイルで写ってます。
ちなみに、全身が写ってる場合は、このスタイルです。

これも、かれのカリスマ性の一端を担ってる気がしてなりませんね。

音楽雑記帳 デイト・オブ・バース「思い出の瞳」

2007-06-18 22:16:30 | 音楽雑記帳

デイト・オブ・バース「思い出の瞳」(1986)

今日はちょっと気分を変えて、アイドルから離れた音楽の話題でも。
1980年代、「インディーズ」という呼び名が音楽ファンの間に広まり始めた頃、ひょんなことから私が気に入ったバンドが、この「デイト・オブ・バース(Date of Birth)」でした。それまで、音楽といえばアイドル一辺倒だった私が、大学で知り合った変な友人の部屋に入り浸ったことがきっかけで、インディーズバンドに興味を持ち始めたころ、音楽PVの番組でこの「思い出の瞳」のPVを観て、一発で気に入ってしまいました。
この曲、どこか懐かしいながらも、斬新な音づくりと、物憂げなヴォーカルが印象的でした。でもって、PVの映像は、アメリカのアニメキャラクターの「ベティちゃん」を使った映像だったのが、忘れられません。深夜の音楽番組でよく流れていました。
当時私はこのレコードをレンタルショップで借り、テープに録音して聴いていて、レコードを持っていたわけではないのですが、当時からずっと記憶にあったのが、このレコードの帯のコピーです。「海外では有名です。デイト・オブ・バース。」このコピーは、インパクトありましたね。調べてみたら、確かに、海外のインディーズシーンでは相当有名だったようなのです。逆輸入というわけではないのでしょうが、海外で先にブレイクしていたというのが、すごいです。事実、輸入盤も存在してましたから。
ところが、当時私が住んでいた福岡では、ちょっと事情が違ってました。実はこの「デイト・オブ・バース」、福岡出身で、福岡の田舎にあるレコーディングスタジオでレコーディングをしていたという、ちょっと変わり種だったんですね。それだけに、福岡ではおなじみだったんですね。だって、早くから地元のスーパーのテレビCMに楽曲が使われていたくらいですから。福岡って、昔から音楽に関しては敏感な土地柄なんですよね。
そう、そのCMで使われていた曲の中で一番好きだった曲「スカートの丘」というのが、その後発売されたデイト・オブ・バースのアルバムに全く収録されなくて、ずっと聴けなかったんですが、このたび、「思い出の瞳」の12インチシングルをオークションで手にいれたおかげで、20年以上ぶりに聴くことができました。ネットオークションって、こういう懐かしい出会いなんかがあるので、ホント、ありがたいですね。
話を「思い出の瞳」に戻しましょう。
実はこの曲、たぶん、案外多くの人が耳にしたことあるんじゃないかと思います。最初に発表されたのは1986年ですが、のちに1992年にシングルCDとして再発されていて、その時は、石田ひかりちゃん主演のドラマ「悪女(わる)」の主題歌に使われました。このドラマ、案外面白かったですし、石田ひかりちゃんも当時輝いてましたから、案外話題のドラマだったと記憶してます。そんなドラマの主題歌に抜擢されるくらい、その頃はメジャーになってましたね。まあ、インディーズとかメジャーとか、そういう見方は好きじゃないんですけどね。

とにかく、デイト・オブ・バースの音楽は、音の宝箱のような感じがします。メロディはいたって単調なものが多いし、アレンジも奇をてらったというようなものではないんですが、どこかしら、懐かしいというか、沁み込んでくるというか、そんな音楽なんですね。なかなか、文字では説明が難しいです。
ちなみに、昨年だったか、2枚組みの総集編ともいうべきベスト版が出てます。これは一家に一枚どうですか、と言いたい優れものですね。

この「思い出の瞳」を初めて聴いてから、約20年が経ちましたが、今でも、ふと気づくと彼らの曲を聴いている40を過ぎた自分がいます。単に懐かしいというんではなく、今聴いても、なお新鮮という感じがするところが、デイト・オブ・バースの音楽マジックなのかもしれないなあ、と思う今日この頃です。


忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」

2007-03-26 23:34:41 | 音楽雑記帳


忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」(1982)

何をかいわんや、である。ご存知世界のSAKAMOTOとロック界の大御所清志郎のありえないコラボレーションである。ルージュというテーマだけで、この二人がこんなありえない曲を生み出したということは、今考えると日本のポップス界の奇跡といってもいいかもしれない。(本人たちにとってはどうなのだろう?)
1982年というと、坂本はYMOで油の乗っていた時期だし、清志郎はRCサクセションで名曲「雨上がりの夜空に」などを出したすぐ後で、やはり絶頂だった頃である。
そんな二人が、資生堂の口紅のCMのために、このメイクでジャケット写真どころかPVまで撮り、しかもそのPVの中でキスまでするというハマり様。もはや、言葉は不要であろう。
そんな、周辺事情が真っ先に思い浮かぶこの曲であるが、私は個人的にはマンモス(=veryの意味。いわゆる「のりピー語」である)好きである。何度聴いても気分が高揚してしまう。ドラムで刻まれるリズムとキーボードの響きが絶妙に絡み合っていて、思わずカラダが動き出してしまうのである。それに、清志郎の独特の搾り出すようなヴォーカルがまた、カラダの毛穴から沁み込んでくるようである。
私は、RCのふつうの曲も好きだし、YMOもそこそこ聴いているが、「雨上がりの夜空に」より、「RYDEEN」より、「い・け・な・いルージュマジック」が好きである。
私事であるが、学生時代、私のカラオケの定番はこの曲であった。当然、清志郎ばりに声を絞り出すのだが、これを歌うとしばらくは呼吸困難に陥っていた。それでも、この二人のスーパースターの音楽を自らが体現しているという、なんともいえない幸福感があったのを憶えている。

なかなかCD化されなかった(=本人たちが望まなかったのかもしれない)が、何年か前にRCのベスト版の「ボーナストラック」にこの曲が入っているのを見つけ、すかざず入手した。願わくば、あの歴史的PVをスカパーの音楽番組でゲットできないものか?とアンテナを張っているところである。

「い・け・な・いルージュマジック」。二人のスーパースターの一夜限りの禁断の奇術だったのかもしれない。

音楽雑記帳 大塚博堂「旅でもしようか」

2007-03-12 20:01:03 | 音楽雑記帳


大塚博堂「旅でもしようか」(1977)

誰しも、なぜか心に刻まれて、いつまでも忘れられない曲やメロディというものがあるだろう。しかも、それが特に好きなアーチストの曲というわけでなく、なんとなく耳にしたのがきっかけで、場合によっては歌っているアーチストのことすら知らずにいたりする・・・そんな体験をしたことがある人は少なくないのではないか?
私にとって、この「旅でもしようか」は、そんな曲である。歌っている大塚博堂のことは、これを聴いた当時(1979年頃)には、この曲が流れたNHKのスポット広告(後に知ったのだが、NHK-FMのスポット広告だったらしい)の画面に記された名前しか知らなかった。その時は、誰が歌っているかということはどうでもよく、なんていい曲なんだ!という思いしか抱かなかった、中学生の私がそこにいた。
博堂のことは、それから数年後、ふと思い出してレコード店でレコードを探してみて、初めて実体として認識した。パーマ頭に口ひげにサングラスという、パッとしない風貌。ジャンルとしてはフォークシンガーのカテゴリーだった。
これも後に知ったことなのだが、NHKのスポット広告に使われたこの曲は、「季節の中に埋もれて」というシングルのB面であった。
そんな、周辺事情はどうでもいい。この「旅でもしようか」は、私の中では最高にすばらしい曲なのである。
曲は、フォークっぽくなく、軽快な弦楽とコーラスとともに始まり、続いて博堂の透きとおった声が流れてくる。音大で声楽を学んでいた(中退したようだが)博堂の清らかなヴォーカルで、
♪少しだけ心がすりきれて来たから ひとりでこの街飛び出す
♪ぼくだけの時間を 無駄づかいしながら 時計を忘れた 旅でもしようか
♪道づれなんかいらない 歌がひとつあればいいさ あしたは あしたは いずこの空の下
という、こんな旅をしてみたいと思わないではいられないフレーズが歌われるのである。
作曲は博堂本人だが、作詞の藤公之介という人を私は知らない。おそらく、フォーク系の作詞家なのであろう。彼の詩にも大きな拍手を贈りたい。
しかし、このシングルB面の曲が、彼のベスト盤(「FOREVER」(1981))に入っていることからして、博堂ファンにおけるこの曲の人気は高いのであろう。
博堂は、この曲を出してから4年後の1981年に37歳でこの世を去っている。私はそのことすら、かなり後で知ったのであるが、現実に彼が存在しなくても、彼の歌声だけはいつも私の中で流れていたし、今も流れている。
この曲は、私自身を過去への旅に誘い、かつ未来への旅を想像させてくれる。
そんな曲を世に出してくれた博堂に、Have a nice trip!