kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

八神純子さんの名盤がCDで聴ける!(その2)

2007-11-29 22:04:18 | 八神純子

前回の(その1)では「素顔の私」をとりあげましたが、今回は「Mr.メトロポリス」です。

このアルバムは、純子さんが日本ポップス界で旋風を巻き起こした後に出されたアルバムで、「みずいろの雨」の大ヒット後、アーチストとしてのその後を占う意味で、重要な作品だったと思います。(もちろん、当時LPレコードを買った、高校生の私には、そんなことは思いもよらず、ただただ純子さんの歌が聴きたかっただけでしたが・・・。)

シングルカットされた曲は「ポーラースター」のみ。純子さんファンなら言わずもがなかもしれませんが、アルバム全体に流れを感じる、素晴らしい作品です。

冒頭の表題曲「Mr.メトロポリス」は、静と動をうまく組み合わせた名曲です。2曲目の小曲「小さな頃」で気持ちを静めたところで、これまた名曲の「Deja Vu」~「ポーラースター」への流れは絶品です。特に、私は個人的に「ポーラースター」が大好きなので、このあたりは大盛り上がりです。その後、美しいバラード「グッバイ美しい日々」でA面終了となります。(もちろん、CDでは次の曲に続いていきますが、レコード時代はここで一息入るわけです。)

B面は「ワンダフルシティ」の軽快なリズムから始まります。この曲は音もなかなか凝っていて、やはり名曲です。かと思ったら、次の「冬」はムード歌謡かと思わせるようなメロウなメロディーと、純子さんのしっとりした唄に酔わせられます。
で、ここからこのアルバムのクライマックスに入っていくわけですが、まずは「サンディエゴ・サンセット」で、ポップな気分にさせておいて、次の「シルエット」で一転、超スローなテンポで純子さんのハイトーンヴォイスをじっくり聴かせてくれます。ここで、かなりうっとりしてしまうのですが、最後は、一緒に歌ってしめましょう、とでもいうような「Another Day,Another Me」で締めるわけですが、この曲がなんともいいんです。この曲は、純子さんの多くの曲で編曲をしている瀬尾一三さんの曲なんですが、この素晴らしいアルバムの最後を飾るにはもってこいの、ノリノリの曲で、リピートのところでは合唱したくなるような曲です。先に出た「コッキーポップ」シリーズのDVDでは、学生風の若者と一緒に合唱してましたし、コンサートでも、ここは「皆さん一緒に!」みたいな感じだったんだろうなあ、と想像されます。

トータル45分間、純子さんの魅力ぎっしりのアルバムです。
今回のCD再発が決まるまで、このCDの中古での価格は、1万円近いものでしたが、もし、永遠に再発されなかったとすれば、それくらいの価値はありかなあ、という気もします。
そういう意味では、今般、夢のような再発プロジェクトの恩恵に預かり、このアルバムをCDで聴けることに、感謝の気持ちでいっぱいです。
と同時に、この機に、一人でも多くの人が八神純子というアーチストの音楽を聴いて、好きになってもらえればいいなあ、というのが、一オールドファン(と言っても、最近のファンはいないかもしれませんが)の希望です。

アイドル雑記帳 榊原郁恵「風をみつめて」 

2007-11-27 21:06:44 | アイドル
榊原郁恵「風を見つめて」(1979)


1979年12月1日リリースの、郁恵さん14枚目のシングルです。

郁恵さんといえば・・・一般的には○乳で有名ですが、単に健康的体格だっただけですよね。全体的にピチピチしてましたから・・・。
いや、これはかなりおっさん的視点でした。
でも、70年代後半、健康的な魅力を全面に出したアイドルの代表は郁恵さんだし、その後、郁恵さんタイプのアイドルが大成したという記憶がないことからして、今にして思えば、唯一無二の存在だったのかなあ、と思いますね。

郁恵さんといえば「夏のお嬢さん」というくらい、夏に、肩も太ももも出して元気に歌ってるシーンが、一般的にはトレードマークなのかもしれませんし、私もそういう郁恵さんは好きでしたが、デビュー3年目の秋のこの曲は、すごく印象深いです。

それまで、基本的に健康的お色気を前面に出してきた郁恵さんが、この年の秋になってまず「秋風のロンド」で、ちょっとしっとり歌う傾向を見せた後にリリースされたのが、この「風を見つめて」なんですね。
この曲、作詞作曲が尾崎亜美さんです。もう、さすが!というしかないです。
私の守備範囲は基本的にアイドルなんで、亜美さん自身の活動には全く明るくないんですが、亜美さんは私が好きなアイドルによく曲を提供されてるんですよね。彼女自身はシンガーソングライターであって、アイドルポップス専門ではないんですが、彼女がアイドルに提供した曲は、だいたいにおいてヒットするんですよね。
亜美さんはシンガーソングライター+アイドル=ヒットという図式を確立できた、数少ないアーティストです。

そうして、亜美+郁恵として世に出されたこの曲、記憶は定かではありませんが、ビッグヒットというわけではなかったんじゃないかな、と記憶してます。
でも、このとき20歳の郁恵さんにしては、イメージチェンジを図った曲という位置づけだったんだろうなあ。しかも、メロディは秋っぽくてしっとりしていて、聴かせる曲だし、郁恵さんのヴォーカルも、ちょっと大人っぽい感じで、曲の出来はとてもいいものです。アイドルポップスにおいては隠れた名曲(このフレーズ、度々使ってるんで、信憑性に欠けるかもしれませんが・・・)だと思うんですよね。

音づくりも、きわめてシンプルだし、そのシンプルな音に乗る郁恵さんの声は、気負ったところもなく、ナチュラルなヴォーカルで、それがまた、郁恵さんらしさを出していていいんですよ。郁恵さんの声は、ホント、嫌みのない、素直な声ですからねえ。

この先、歌手としては大人路線を歩んでいった郁恵さんですが、曲がビッグヒットすることは難しい時期に入っていきました。次世代の典型的アイドル歌手時代に入って行きましたからね。

そうして、郁恵さんも、歌手というよりはマルチタレント的活動がメインになっていくわけですが、彼女がその辺のジャリタレントと違うのは、歌手として、シングルを40曲も出しているという実績です。やっぱり、郁恵さんには歌が似合うんですよ。

郁恵さんは私より6つほど年上におお姉さんなのですが、中学生の時に見て、聴いた、郁恵さんの歌声から受けたインパクトは今でも忘れません。
そして、40を過ぎた今でも、郁恵さんの歌声を聴くと、なにか、ほっとする感じがするんです。

今回は、そんな、郁恵さんの「風を見つめて」を聴きながら、郁恵さんの想い出なぞ、書いてみました。

石原さとみちゃん少年マガジンに登場!

2007-11-25 21:55:43 | 石原さとみ


やっとスキャナーが使えるようになりました!それを祝して・・・

先週発売された少年マガジンに、さとみちゃんのイタリア撮影のフォトブックが付録についてました。
イタリアへは、カレンダーの写真を撮りにいったようですが、その合間に撮影されたもののようです。

はっきりいって、色っぽいさとみちゃんを堪能できます!
でも、お茶目なさとみちゃんも楽しめます。
ページにして、10ページと、写真集なんかに比べると、量的にはおまけにもならないボリュームですが、中身は濃いです。付録といって、ばかにしてはいけませんよ!

不思議なのは、少年マガジンの読者層にも、さとみちゃんは受け入れられるのかなあ・・・ってとこです。
私自身がマンガを読まないので、知ったようなことを言ってしまうかもしれませんが、少年マガジンの読者はせいぜい中高生が中心でしょう?まあ、大学生も読んでるでしょうけど。でも、それでも、大学の上級生以下にとっては、さとみちゃんは年上のお姉さんですよね?それでも、こうやって特集されるってことは、さとみちゃんファンの裾野の広さを示してるなあ、ってつくづく思いました。

さとみちゃんの年齢不詳的かわいさには、世代を超えて惹きつけられてしまうんですよね。もちろん、私も、世代的には「違うだろ!」といわれてしまいかねない歳で、さとみちゃんファンですから・・・。

次の映画まではちょっと間がありますが、その間、今月、正月とTVのスペシャルドラマに出演するので、楽しみです。

八神純子さんの名盤がCDで聴ける!(その1)

2007-11-24 23:43:55 | 八神純子
(プリンターのスキャナーが使えなず、画像がなくてさびしいですが・・・。)
11月21日、長らく期待されていながらなかなか実現しなかった、八神純子さんの初期のCDがリマスターされ、紙ジャケ盤で再発されました。

特に、「素顔の私」「Mr.メトロポリス」「夢見る頃を過ぎても」は中古市場でも高値がついていたもので、それだけ欲しい人が多かったということの表れだったのでしょう。

それが、店頭に並んだわけですよ!なんと素晴らしいことでしょう。

今回再発されたデビューアルバム「思い出は美しすぎて」のリリースから、もうすぐ30年です。しかも、ここしばらくは日本での音楽活動は休止中のアーチストなのに、こうしてCDが再発されるなんて、いかに彼女が支持されているかという証でしょう。

私は、とりあえずCDを持っていなかった「素顔の私」「MR.メトロポリス」「夢見る頃を過ぎても」の3枚を入手しました。レコードでは持っていましたが、CDだと純子さんの素晴らしい声がより透明感を伴って聴けるような気がします。
保存という意味でも、CDだと安心できますしね。

ということで、今日は「素顔の私」を聴きながら書いてます。

いまさら、という気もしますが、名曲揃いです。夜中に「夜間飛行」なんて聴くと、心に沁みます。
♪「会えてよかった それだけがいちばん 私の素直な気持ちなの・・・
というフレーズがあるんですが、それは私にとっては、純子さんに返したい言葉ですね。

私が名曲「みすいろの雨」で純子さんにやられてから、もうすぐ30年です。
中学・高校生の頃から、かなりのアイドル好きでしたし、昔のアイドルのCDなどは今でもちょくちょく聴いてはいますが、純子さんの存在は「超・アイドル」的存在です。(そもそも、彼女はアイドルではないでしょうという向きもあるかと思いますが・・・。)

今流れているのは「アダムとイブ」~「そっと後ろから」・・・いや、たまりません。

来月には、「JUNKO THE LIVE」などの再発も予定されています。

アルバムデビュー30年を控えてのキャンペーンということもあるのでしょうか?
ただ、純子さん自身が日本での活動を再開するという話は聞こえてこないですが・・・。

でも、こうして、CD再発という話題と、実際にCDが聴けるということは、うれしいことです。

というところで、「ハロー・アンド・グッバイ」

ラリージャパン紀行(その5)

2007-11-22 23:11:49 | WRC
パソコンの故障などもあり、前回からだいぶたってしましました。

レグ3のフィニッシュ前後あたりからのお話ですね。

ポディウムフィニッフュを待っている間に、まずひとつの事件がおこりました。
レグ1で早々にリタイヤしてしまった、ポイントリーダーのマーカス・グロンホルムが、マスコミの取材で、フィニッシュロード横のサービス裏に出てきたのです。その時のファンの殺気といったら、すごいものでした。私はカメラマン根性が出て、人ごみの間からシャッターチャンスを狙っていました。すると、サインをしていたマーカスが、途中でサインをやめて、「おれはサインなんかしてる気分じゃないんだ・・・」という気持ちを表すような、このポーズ・・・。


まあ、そりゃあそうでしょう。ローブに差をつけたかったRJでのリタイヤですからねえ・・・。でも、結果的に、ローブもリタイヤで、ポイントリーダーのまま終えることはできたんですがね。

まあ、そんな騒動を尻目に、わが相棒ジョンブルさんは、先回りしてフォードのサービス前へ。そして、マーカスのサインもゲットしております。恐るべきコ・ドラです!どうやら、そこでも秘策を使った模様。この秘策、絶対言うなと言われているので、ここでは明かせませんが、効果は絶大だと思い知りました。

そんな騒動も終わり、最終のスーパーSSも終わり、いよいよフィニッシュ。
結局われわれの位置からは、満足にフィニッシュセレモニーを見れず、悔いを残したフィニッシュとなりました。
しかし、飛行機の時間の関係で早々に引き上げなければならなかった昨年と違い、今年は最後までドライバーを見送ることができました。これでやっと、RJ2007を完走できた気分です。

で、残すは帯広空港までの最後のリエゾンと、東京までの空輸となったわけですが、これで終わらなかったのがRJ2007。
帯広空港へ行ったところ、やけに外人が多い。そうか、エンジニアたちは早々に引き上げるんだな、なんて思いながらレストランに入ったら、なんと、向いのテーブルにフォードチームが!ミッコはすぐわかりました。で、ミッコと会話してるおっさんと若造・・・おっと、これはウィルソン親子だ!!
でも、ここはラリー会場じゃないんで、節度を持たねば・・・と、出がけに「おめでとう」と一声かけて、レストランを出たら・・・待合ロビーにはソルドがいて、サイン攻めに。ジョンブルさんはすかさずソルド仕様のC4のミニカーにサインゲット。そしたら、小柄で頭が少し薄めの白人が女性を伴っている・・・ストールとイルカさんだ!もう、なんじゃこりゃの世界でしたよ。

で、手荷物検査に行こうと並んでいたら、ちょうどミッコとウィルソン親子とすれ違う形になったので、まずはミッコに「おめでとう」と言って握手。続いてマシューと握手。最後にウィルソン監督にも「おめでとう」と言って握手。特にマシューとウィルソン監督はとてもうれしそうでした。なんか、握手しただけなんですが、WRCを引っ張る人たちと交流できたことが、すごく感激でした。あそこで、下手にサインなんかねだると、だいなしだろうなあ・・・そういう意味でも、われわれの節度ある行動は、我ながら「大人じゃーん」という感じでかっこよかったかな?

結局、羽田で手荷物待つ間も、ローブやらストールやらが近くにいたんですが、そこはもう、普通の世界。周りも含め、誰も近づいたりはしてませんでした。
そうです、ラリーファンは、節度あるファンなんです!

ってなわけで、羽田を後にしたところで、RJ2007も無事終了ということに。
ジョンブルさんとは、また来年も参戦を誓いあって別れました。

しかし、最後の最後まで、いろんなことがあったRJ2007。
ますますWRCにハマってしまいました。
これからもいろんなドラマを期待して、ひとまずRJ2007レポートを終わります。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

ニューパソコンデビュー!

2007-11-19 21:33:18 | 日記
パソコンが壊れて、もう2週間くらい経つでしょうか?
修理の見積をしてもらったら、なんと10万円!
修理は諦め、新調しました。
今回のパートナーは東芝のTX65D。過去ずっとNEC派だったんですが、4年で故障したんで、ちょっとショックで、新たなチームをパートナーを選びました。

当然ながら、ウィンドウズもVistaになりましたし、なんとなく気分もいいので、これから、ブログを書いていくモチベーションも高まってます。

しかし、14万円の出費は、予想外だっただけに、痛いところです。
その分、使い倒さないといかんなあ、という思いです。

ということで、今日から再出発のkosukeでありました。

ラリー・ジャパン紀行(その4)

2007-11-10 23:12:33 | WRC
レグ3は、まずレラカムイへ。ここは比較的アクセスも楽でしたし、天気も、今回唯一の晴天。気持ちよく会場へ。しかし、レグ2でのサービス狂想曲は未だ醒めやらず、コ・ドラのジョンブルさんと協議の結果、WRカーが終わったら、即サービスへ移動ということに。まあ、後になってみると、この決断のおかげで、サプライズがあったわけですが・・・。
レラカムイでは、観戦エリアの一番前の一番端のところに陣取ったのですが、これがまた、コースの間近。オフィシャルのビデオカメラも入っていて、ポジションは絶好!ただし、かなりのスピードで通過するので、写真はあきらめ、観戦に専念。しかし、ここは過去3年間でも最も迫力がありました。だいたい、マシンが飛ばした小石がビュンビュン飛んできてましたから。私も何発かくらいました。15メートルくらい前で豪快にドリフトして、立ち上がってスピードを上げていくところが、ちょうど目の前、という感じですね。いやあ、あそこはよかった・・・来年はもう見られないのか・・・。と、なんともいえない余韻を残し、レラカムイを後に、一路北愛国サービスパークへ。
リエゾン途中では、白バイやパトカーがやたらと走っており、不幸にして捕まった方も何人か目にしました。私は、安全運転に徹してましたけどね。
で、事件が起こったのは、高速道路に乗って、出口も近くなったあたりでした。
ふと、バックミラーを見ると、何やら派手な白い車が。ボンネットをよく見ると「OMV」と書いてあるではないですか!ドライバーは外国人。助手席には女性。そうです、マンフレッド・ストールのシトロエンクサラだったのです!!しばらく、ストール/イルカ組を従えて走ったところで、高速出口付近でストールが私の日産ノートをパス。するとそれに続いて、白と赤マンチーズ・フォードの車もパスしていきました。フェデリコ・ヴィラグラでした。したがって、高速を出てしばらくは、この2台の後を走って行ったのです。そんなことがあり、前ばかり気にしていたところ、ふとバックミラーを見ると、スバルブルーの車が!ドライバーは・・・ペターだ!!!なんという幸運。あの、ペター・ソルベルグを引っ張る形で、幕別あたりまでランデブー走行!その間、20分くらいでしたでしょうか。なんとも言えない、幸福なひとときでした。こんなシチュエーション、狙ってもできませんからね。確率にすると、すごいことでしょう。で、途中、信号停止したとき、なんと、沿道で待ち構えていたファンが、ペターにサインをもらってました。さすが、北海道のファンはツボを知ってますよ。まあ、サインに応じるペターもいいやつです。
まあ、そんなリエゾンを経て、3たび、北愛国サービスパークへ到着。
ジョンブルさんは、まずはストール狙いで、クロノスのサービス前へ。私もしばらくいましたが、PWRC組が帰ってきたので、そちらへ移動。そこで、まずは赤のインプを駆る気になるスウェーデン人若手ドライバー、パトリック・フローディンとコ・ドライバーのマリア・アンダーソンに声をかけ、公式プログラムの裏表紙にサインをゲット!フローディンはまだ少年といった感じのかわいい坊ちゃんでしたが、今回は結果も残し、将来が期待されます。次に行ったのはルーマニアのクラウディウ・ステファン・ダヴィッドとミハエラ・エバ・ベルディエのコンビ。こちらは、途中までかなりよかったのですが・・・今後に期待したいですね。フローディン、ダヴィッドとも、コ・ドラが女性でした。戦う女性って、美しいです。握手なんかしちゃったんで、ちょっと感激のkosukeです。ジョンブルさんは、前日サインをもらい、ツーショット写真を撮ったユホ・ハンニネンにフィンランド語でお礼を言うと言って、待ち構えていました。私は、その隣のマーク・ヒギンズに声を腕はどうか、と声をかけましたが、聞くまでもなく、痛そうに右腕を抱えて歩いてきて、すぐにテントへ。つらそうでした。よくあの右腕でシフトチェンジできてるなあ、という感じです。そんなこんなしてると、今回好調だった、アルミンド・アラウージョが戻ってきたので、私はすかさずサインをもらいに。すると、それを見たジョンブルさんが後を追ってきて、ある秘策を決行!それに大喜びしたアラウージョは、自分のかぶっていたキャップをジョンブルさんにプレゼント!これはすごいです。彼は、リエゾン中はコ・ドラですが、サービスに来ると、次々と技を出す、すごい人なのです。
こんな風に、最後のサービスが終了。我々も、フィニッシュへと向かうことになるわけですが・・・長くなりましたので、続きは次回へ。

パソコンがリタイヤ!

2007-11-10 23:10:23 | 日記
参りました。パソコンが故障。電源を入れても立ち上がらず、電気店で調べてもらったことには、ハードディスクが反応ていない模様。
とりあえず、見積をもらってから、判断することにしました。
まだ、4年しか使ってないんですが、どうも、ハードディスクはそれくらいで故障する可能性は高いらしいです。
修理すると、場合によってはHDのデータは消去される可能性が高いとのこと。
まあ、大事な写真はCDに保存してましたが、ブログ用にスキャンした写真類は本体に入れてましたから・・・。まあ、すべてオリジナルのレコードジャケット等を持ってますから、問題はないですが。
デジタルレコードプレーヤー用に保存した曲もありましたが、これらは、自分のCDなので、よし、と。
痛いとすれば、年賀状用に作成していた住所録かな。

まあ、とりあえず、そこそこの修理代で復活してくれればいいのですが、5万とか6万とかいわれると、だったらこの際、買い替えも・・・なんて気にもなってしまいます。4年の寿命は短すぎる気もしますけどねえ。しかも、冬のボーナスはすでに押さえられていて使えない・・・。

かなりブルーな気分ですが、まだ、ラリー・ジャパンの最終日レポートを書いていませんでしたから、今日は、ネットカフェに来て、書いてるところです。

ということで、気をとりなおして、いざ、RJレグ3へ突入!

ラリー・ジャパン紀行(その3)

2007-11-05 22:17:23 | WRC
ここで、ちょっと時間を戻して、ラリー本戦に関連する話題を。

レグ2の朝のリクベツSS観戦を終えて、北愛国サービスパークへ戻るリエゾン中、私とコ・ドラのジョンブルさんの間では、これからどうなるんだろう?という会話が繰り広げられていました。私たち二人のスタンスには若干の違いがあり、私は、かなり「アンチ ローブ」的スタンスですが、ジョンブルさんはローブは好き。でも、グロンホルムも応援したいというスタンス。そんな二人の会話の中で、私が繰り返し言っていたのは、「北海道には魔物が住んでるよ!」ってこと。一昨年、断然の速さを見せつけ独走していたペターが、レグ3で石にヒットしてリタイヤ。昨年は、やはりレグ3まで30秒近いリードを保って優勝目前だったマーカスが、ミスで脱落し、勝利はローブの頭上に。で、今年はレグ1でマーカスのリタイヤ。今年の魔物はでかいなあ、と思ってました。なので、車中でも、「セブにも何かあるかもよ」なんて、言っていました。しかし、正直言って、もう無理をする必要のないセブが、ミスを犯すなんて、ないだろうなあというのが本音でした。トップを走るミッコは、確かに速い。でも彼以外、たとえばラトバラあたりに負けるということはない。とすれば、2位キープで8点ゲット、それで、マーカスに逆に4ポイント差をつけられれば・・・と思えば、そりゃセブは楽でしょうよ。
しかし、しかしですよ!帯広のヘッドクオーターに行こうとしていた、まさにその時、事は起こったのです。セブがコースアウト!しかもダメージはかなり大、とね。これは、コ・ドラのジョンブルさんが携帯でゲットした情報だったんですが、それを聞いた私は、平静を保ちながらも、思わずステアリングをぎゅっと握り締めましたね。これで、まだまだ、マーカスがチャンピオンになるアドバンテージが残ったんだ、ということが、現実になりましたからね。
まあ、ジョンブルさんにとっては、悪夢だったかもしれません。でも、これがRJなんだ!と、私は勝手に納得してました。

そんな雰囲気の中、我々は北愛国サービスパークへ向かったわけで・・・
で、ある意味、セブのリタイヤがあったからこそ、ジョンブルさんは意表をついた作戦で、念願のミニカーにサインをもらい・・・と、このあたりは、前回の記事に書いたとおりです。

全ては、偶然の積み重ねなのですが、後から思いなおしてみると、そこには何がしか、運命のようなものが感じられなくもありません。
レグ2でおこった出来事は、まさに、そんなことを思わせることの連続でしたから。
そして、ドラマはこれで終わりませんでした。
ラリーもクライマックスを迎えたレグ3の日、10月28日。この日もまた、いろんなことが起こりました。いいことも、残念なことも・・・。
といった感じで、レグ3については、また次回、ということにいたします。
(そんなに引っ張るほどの話でもないんですが、そろそろ頭にアルコールが回ってきてしまいました・・・。)

ラリー・ジャパン紀行(その2)

2007-11-02 23:09:37 | WRC
あらかじめ、おことわりしますが、この記事は、ラリー・ジャパン2007における、私kosukeの周辺に起こった事象を中心に記した記録であり、RJ戦線に関してのレポートではありませんこと、ご了承願います。

レグ1デーは、雨にたたられました。北愛国サービスパークを出るころは、かなり疲労してましたね。しかし、幸いだったのは、早めに切り上げたこと。だって、翌日は早朝のリクベツSSを観戦する予定でいたからね。その日は、軽い食事を済ませ、早々に宿へ。

で、レグ2のスタート。3時起きで3時半スタート。まあ、ふつうなら尋常じゃありませんが、RJ期間中は、当たり前でしょう。ドライバーの私としても、集中してますから、バチっと起きて、暗い中を颯爽とスタート。オートマの日産ノートじゃ、飛ばしようもないんですが、普段、インプSTIに乗ってる私は、久々のオートマに、新鮮さを感じてました。でも、ブレーキのタイミングが、つかみづらかったですけどね。

そうして、6時頃、リクベツに到着。ここは、過去3年連続で訪れた会場。懐かしさを感じましたね。とか思いながら、コース内のバス乗り場へ向かっていたら、コーディネーター兼コドラのジョンブルさんが、「今日はコースのバスツアーがありますよ」とか言い出して、そのまま受付へ。たった1000円で、RJのコースをバスで走れる!なんといい企画じゃ!ということで、それを申し込んで、バス乗り場へ。
で、今回のお目当ては、Bエリアといって、急の登りの途中に、級カーブがあり、そこをドリフトしながら、さらに登っていくという、かなり迫力のあるスポット。
写真を撮るには、絶好のポジションだったにもかかわらず、真横のアングルなため、スピードについていけず、結局、いいカットは数えるくらいでした。





で、さっき言った、コースツアーに備えて、早めにSSを切り上げ、メイン会場の戻ったところ、なにやら場内放送が・・・。よく見ると、コースツアーの受付に、入れ替わり立ち代わり人が・・・。なんと、コースツアーは、悪天候のため、中止に。確かに、霧雨ではありましたが、朝からずっと降ってはいましたし、前日は相当降ってるはず。リクベツは、その日、2回のSSがあることから、コースの保全のためにも、やむを得ないでしょう。(結果的に、このことが、その日のそれからの充実したサービスタイムに導いてくれたことになるのですが・・・。)
そこで、我々はしばし考慮時間へ。リクベツの2回目のSSを見るか、サービスパークへ戻るか。このとき、あまりはっきりと口にはしませんでしたが、コドラのジョンブルさんは、早めにサービスへ戻りたい、と思っていたんだろうと思います。彼は、このRJに備え、いろんなトップドライバーのミニカーを準備し、サインをもらおうとしていたのに、初日のサービスでは、雨にたたられ、収穫なしに終わってたのを、私は知ってましたからね。私も、そのまま2回目のリクベツSSを待つには、待ち時間が長すぎるなあ、という思いはありました。まあ、半分くらいは、それでも、全ドライバーの走りを見たいという思いもありましたけどね。
でも、結局、サービスへ戻ることに。でも、これは、結果的には、いい方に転んだのかなあ、と思います。

サービスに着いて、買い物などしながら、ドライバーの帰りを待ちました。とりあえず、ジョンブルさんに合わせ、シトロエンのサービス前でしばらく待っていましたが、ローブは出て来る雰囲気なし。そうしているうちに、PWRCカーが戻ってきました。
もともと、私のターゲットはPWRCドライバーでしたから、とりあえず、ジョンブルさんとは、待ち合わせはヒギンズのサービス前、ということで別れて、PWRCのサービスコーナーへ。で、その日のターゲットは、ポイントこそ今ひとつ取れてないものの、圧倒的な速さを見せ付けている、フィンランドの若手、ユホ・ハンニネン。さすがに、若手のホープだけあって、サービス前には、WRCチームほどではないにしろ、そこそこ人が集まってましたね。
サービスに戻ってきたハンニネン、スタッフと軽く調整した後、早めにファンの前に出てきてくれました。私は、RJ2007のアルミプレートを掲げて「ユホ!」と叫んでました。結局、ユホと、コドラのミッコ・マルックラが快くサインしてくれました。で、いつのまにかジョンブルさんも来ていて、彼はフィンランド語で語りかけていました。これは、効いてましたね。かれもサインをもらい、盛んにフィンランド語で声をかけてました。

そうこうしてるうち、ハンニネンの隣のテントにサービスを陣取っている、私が応援するマーク・ヒギンズがサービスへ戻ってきました。ハンニネンの前から流れてきた人もそこそこいたんですが、テントから出てきたヒギンズに「マーク!」と最初に声をかけたのは私でした。既に、ハンニネンのサインをもらっていたアルミプレートを差し出したところ、真っ先に来てくれて、サインしてくれました。その際、前々から言おうと思っていた言葉「ぼくは、あなたが今年のPWRCチャンピオンになることを望んでるよ!」と声をかけました。(もちろん、英語ですよ。)そしたら、彼は、「それは難しいかな。私は腕を痛めてしまってるんだよ。」と返してくれました。たしかに、腕を曲げたまま、サインしてましたし、4,5人にサインしたところで、行ってしまいましたからね。そういう意味では、私はその日マークからサインをもらった数少ないファンだったんだな、と、ちょっと自慢できるかな。
まあ、そんな感じでレグ2は終わりました。

で、肝心のWRCはどうなんだ、というと・・・まあ、そこは次回、レグ3につながる話の中で、触れましょう。
長くなりましたので、今回はこの辺で。