kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

MY インプレッサSTI

2007-01-26 23:31:46 | 車ネタ
モンテフィーバーも一息ついたところで、ぼくのインプレッサについて書いてみます。
購入は去年の10月で納車は11月1日。それまで乗っていたのはレガシイ2.0Rのブラックでした。そのレガシイは2年と2ヶ月しか乗っていませんでした。
レガシイ2.0Rはいい車でした。NAなので静かなのに、中域の加速がスムーズで、街中では気持ちよく走れました。
でも、でもなんです。2005年に初めてラリージャパンに参戦(=観戦です)して、しばらく冷めていたラリー熱が少し暖まってきたのです。

思い起こせば、今から16年前くらい、ちょうど就職した頃、住んでいた独身寮で、NHK-BSで深夜とかに放送していたWRCをよく見ていました。マキネンとかオリオールとかカンクネンなんかが走ってました。トヨタのセリカにサインツが乗ってたりしてました。
しかし、NHKの放送がなくなり、ぼく自身、テニスにはまっていった関係で、しばしラリーから離れていました。
しかし、テニスの後輩がレガシイを購入。乗せてもらって、AWDのよさにぞっこん。で、東京から名古屋に転勤したのを機に、レガシイを購入したわけです。
ここから、インプレッサへの道が開けるわけですが、その流れを決定づけたのは、ラリージャパン2006、ぼくにとって2度目のRJ参戦でした。
確かに、スバルは惨憺たる(と言っていいくらいの)結果でした。でも、いや、だからこそ、スバルを応援したい、そして、自分もラリーを走る気分を味わいたい、そんな気持ちが高ぶってしまい、RJから帰って1ヶ月後には、インプレッサの商談を始めてしまった次第です。
しかししかし、MT車に乗るのは免許を取りに行った自動車試験場(自動車学校ではありません。警察の方を乗せて受ける試験場です。)以来。試乗はしたものの、やはりぎこちない。こんなんでSTIに乗れるのか、と思いながらも、既に気分はソルベルグ(アホか?)。スパッと決めてしまいました。
ただ、迷ったのはカラー。そりゃ、WRブルーの魅力は、図り知れません。でも、それは芸がないなあという気持ちと、ぎりぎりではありましたが、40代ということも考えて、WRブルーは回避。ホワイトにも惹かれましたが、結局選んだのはアーバングレー・メタリックでした。決め手は、レガシイの時からお世話になっていたディーラーのSさんのおすすめの言葉でした。この色、落ち着いていていいですよ、私、好きです、と。確かに、レガシイやフォレスターには似合う色でした。逆に、インプSTIにはどっちかというと似合わない色のような気もしました。
でも、外見は落ち着いていて、走りがアグレッシブって、大人じゃん、っていう感じがして、結局アーバングレー・メタリックにしました。
最近、いいなあと思うのは、夜、コンビニとか行って、遠めからのライティングが当たってる時、すごく渋い輝きを見せるんですね。
ただ、ピンクのSTIのステッカーは目立たないし、仮にイエローのSWRTのステッカー貼っても目立たないでしょうね。まあ、そんなインプSTIで、まだまだ掴み切ってないシフトチェンジをしながら、ブルンブルン言わせて走っています。
なかなか遠出のチャンスがなく、約3ヶ月で約3000キロ。やっとギアのつながりかたが馴染んできた感じです。
おそらく、セダンタイプでWRCを走る、最後の型になるかもしれない、GDB型。乗りこなすにはまだまだ修行が足りませんが、これから長くつきあっていきたいと思ってます。

kosuke車遍歴

2007-01-15 23:46:38 | 車ネタ
今はインプレッサWRXSTIに乗るkosukeですが、これは通産4代目(4台目)です。今日は、生まれて初めて買った車について、思い出かたがた書いてみます。
その車は「三菱エテルナ」。ギャランをベースにした5ドアハッチバックです。
まあ、あまり売れなかったようですね。車重も重かったし、そのときの兄弟車ギャランは、カーオブザイヤー取ってましたから、エテルナ買うなら、ギャランでしょう、という感じだったと思います。ただ、ぼく的には、トランクではなく、ハッチバックというところが気に入ってました。
しかし、その車、仲間内では「ギャテルナ」と呼ばれていました。実は、どこで間違われたのか、フロントグリルがエテルナ用ではなく、ギャラン用のパーツがついていたのです。(決して、そんなオプションを注文したわけではありません。)さすが三菱自動車(三菱の方、三菱ファンの方、ごめんなさい!)、何事もなかったかのようにそういうことをやってくれたのでした。でも、それはかえって気に入ってました。なんか、特別な車って感じでしたから。
こだわったのは、オプションで電動サンルーフをつけたこと。これは、助手席に女の子乗せて、夜、一緒に星空でも見よう、なーんていうたくらみのためでした。(若気のいたりと笑ってください。)結局そういうシチュエーションにはあまり恵まれませんでしたが、当時勤めていた長崎から、実家の福岡までは、よく走ってくれました。
また、後に車ともども東京へ転勤となり、東京でも活躍してくれました。
一番の思い出は、ふとしたことから、しばらく放浪に出てしまったことがあり、その間「ギャテルナ」の中でいく晩か夜を明かしたことですね。その頃は、一心同体という感じでした。
結局、3万キロ弱走ったところで、妹に車が必要になったこともあり、譲ってやったことで、ぼくと「ギャテルナ」の物語は終了となったわけです。
最後をみとってやることはできませんでしたし、写真も残ってるかどうかわからないような状況ですが、やはり最初に買った車ということで、思い入れの深い1台です。ちなみに、現時点では、その「ギャテルナ」が、今までにぼくが最も長距離乗った車でもあります。
今はもう、跡形もないに違いないですが、あらためて言おう。「ギャテルナ、ありがとう。」