ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

154 「アマテラス」から「アマテル」へ

2024-05-30 20:30:25 | アマテラス

 記紀に書かれた「天照大神」「天照大御神」の「天照」は、これまで「アマテラス」と読まれ、本居宣長は「世界を照らすアマテラス太陽神」とし、それを受け継いだ皇国史観は「アマテラス太陽神」神道をアジア侵略の大東亜戦争の思想的支柱としてきました。

 しかしながら、「天照」を「アマテラス」と読む明確な根拠はありません。

 300万人(1/3は民間人)もの死者をだし、それをはるかに超える死者を中国人・アジア諸国民・米国人などに与えた日中戦争・太平洋戦争の真摯な反省にたつならば、皇国史観の「アマテラス」などを使うべきではなく、私は「アマテル」と書いてきました。

 その第1の根拠は、記紀神話で始祖神とされる神皇産霊(かみむすひ)・高御産霊(たかみむすひ)の産霊(むすひ)夫婦の子孫とされる対馬の天日神命(あめのみたまのみこと)を祀る対馬市美津島町の神社が阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)と称していることです。

 記紀や皇国史観に同調した(せざるをえなかった)神社は、「霊(ひ)」を「日(ひ)」に、「海、海人(あま)」を「天(あま)」字に置き換えてきていますが、阿麻氐留神社は祭神を「天日神命」と漢字で表記しながら「あめのみたまのみこと」の読み名を残し、元々は「天(海)の御霊の巫女人」という女神であったことを秘かに伝えているのです。

 この産霊(むすひ)始祖神ゆかりの神社が阿麻氐留神社(あまてるじんじゃ)=天照神社なのですから、「天照」は始祖神神話と神社伝承に従い、「アマテル」と読むべきなのです。

 第2の根拠は、天火明命(アメノホアカリノミコト)の別名「天照国照彦火明命」を祀る奈良県田原本町の鏡作坐天照御魂神社神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)が「天照国照」を「アマテルクニテル」と読ませていることです。

 このホアカリ(火明)命は『古事記』『日本書紀(一書第6・第8)』ではアマテルの子の忍穂耳(オシホミミ)の子で、邇邇芸(ニニギ)の兄とし、『日本書紀』の本文などではニニギの子としていますが、播磨国風土記は大国主の子としています。

 ニニギの妻となる薩摩半島南西端の阿多のアタツヒメ(阿多都比売)の別名を、しまなみ海道の愛媛県今治市大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に祀られる大山津見神(大山祇神:イヤナミ・イヤナギの子)の娘の木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)とするなど、天皇家はスサノオ・大国主一族と血縁があるように見せかけており、ホアカリもまた大国主の御子と私は考えています。

 なお、この「天照国照彦火明命」を太陽神とする説が見られますが、その子孫の尾張氏・津守氏・海部(あまべ)氏が海人族であり、海部系の凡海(おおあま)氏に育てられた「大海人皇子(おおあまのおうじ)」が後に「天武(あまたける:てんむ)天皇」を名乗ることからみても、「天=海(あま)」であり「天照=海照(あまてる)」なのです。

 鏡作坐天照御魂神社の北東約1kmには銅鐸の鋳型などがでた環濠集落の唐古・鍵遺跡があり、その西には岩見地名や牛頭天王=スサノオを祀る杵築神社(出雲大社の古名)があり、今里と鍵の集落では蛇巻き神事が行われるなど、この地は海蛇を神使とする大国主の子の火明命一族の「大倭=大和(おおわ)」への進出拠点と考えます。

 第3の根拠は、「天照大神」「天照大御神」の「天照」は尊称であり、日本書紀がその名前を「大日孁貴(おおひるめのむち)」としていることにあります。「ヒルメ」が「日留女」なのか「霊留女」なのかですが、古事記序文で太安万侶が始祖神を「二霊群品の祖」とし、日本書記が「神皇産霊(かみむすひ)・高御産霊(たかみむすひ)」の産霊(むすひ)夫婦としていることからみて、「ヒルメ=霊留女」であり、始祖王の霊(ひ:祖先霊)を受け継いで祭祀を行う女性、霊御子=霊巫女なのです。大日留女は「日神(ひのかみ)」太陽神を祀る巫女ではありません。

 第4の根拠は、古事記の天照大御神(大霊留米:おおひるめ)の天岩屋戸からの復活神事(実際には墳墓の上の石棺での後継女王への霊継ぎ儀式)において、天香山の眞賢木(まさかき:真榊)の上枝には勾玉と五百の玉を、中枝には八尺鏡を、下枝には白丹寸手・青丹寸手(しろにきて・あおにきて:木綿と麻)をつけた依り代を用意して後継女王を迎えるのですが、この頭部に首飾り、胸に鏡、腰に木綿・麻の布をつけた神籬(霊洩木)は女神を示しており、鏡は頭上に飾って人々を照らす太陽のシンボルではないのです。

 ニニギの天下りに際してアマテルは「わが御魂」として鏡をニニギに渡したと古事記が書いていることからみても、鏡は女王の「霊(ひ)が宿る神器」として胸に飾られたのです。

 なお、「アマテルの御魂」とされる八咫鏡(やたのかがみ:咫(あた)は広げた親指と中指の長さの身体尺)は「三種の神器」として皇位継承のシンボルとされていますが、10代御間城入彦(後に崇神天皇の忌み名)はスサノオ(大物主大神)が持っていたヤマタノオロチ王の大刀と八咫鏡を大物主(代々襲名)から奪い、自らの宮中に移して祀ったところ、民の半数以上がなくなり、百姓は流離し、背く者があったという恐ろしい祟りを受けます。「崇神天皇」は神を崇拝した天皇とされてきましたが、祖先神を偽り「神に祟られた天皇」なのです。

 そこで奪った八咫鏡は宮中から出し、倭の笠縫邑から祀るべきアマテルの子孫を探して丹波、吉備、宇太、伊賀、淡海、近江、美濃、尾張、三河、遠江、桑名など29か所を転々とし、ようやくイヤナミ(伊邪那美)の子の和久産巣日(わくむすび)の子の豊宇気毘売(トヨウケビメ:豊受大神)を祀る一族の伊勢で草薙剣とともに祀られて祀られています。

 この事実は、アマテルの御魂が宿る八咫鏡(やたのかがみ)は血の繋がった子孫に祀られないと祟るのであり、天皇家はアマテルの子孫、スサノオの同族ではないためその後も皇居に祖先の御霊として祀ることができず、明治まで伊勢神宮に参拝することもできなかったのです。この祖先の言い伝えを破り、アマテルの子孫の神として侵略戦争を繰り広げた明治・大正・昭和天皇は、300万人の民を殺すという恐ろしい祟りを招いたのでないでしょうか?(オカルトチックな話で恐縮ですが)

 鏡作坐天照御魂神社神社の案内板は、崇神天皇が「八咫鏡を皇居の内にお祀りするのは畏れ多い」として皇居から出したとしていますが、アマテルが「わが御魂として、吾が前を拝むように、いつき奉れ」と命じたとされる神器の八咫鏡は本来なら皇居の神棚に飾り、毎日、その子孫によって祀らなければならないものなのです。家の中に仏壇と大黒柱(大国柱=心柱)に添っ神棚(仏教が入る前は祖先霊を祀っていました)を置くのと同じように、天皇家は本当にアマテルの子孫なら祖先霊アマテルを祀るべきなのです。

 それが出来なかった天皇家は、この鏡作の地で別の八咫鏡を作らせて宮中に納めさせたのであり、スサノオの韓鋤剣を刃こぼれさせたオロチの鉄の草那藝之大刀(くさなぎのおおたち)の代わりに銅剣の草薙剣(熱田神宮の御神体)に置き換えたのと同じことをしたのです。

 第5の根拠は、新井白石が「人」を「ヒ(霊)のとどまる所」で「霊人(ひと)」とし、角林文雄氏(ニュージーランド・マッセー大学東アジア学科講師)が「人・彦・姫・卑弥呼」は「日人・日子・日女・日御子」ではなく、「霊人・霊子・霊女・霊御子」であるとしたように、この国が産霊夫婦」を始祖神とする、死ねば誰もが神として子孫などに祀られる八百万神の「霊(ひ)信仰の国」であることです。

 そして、この人類のもっとも基本的な信仰である死者・祖先の霊を神(仏教では仏)として祀る宗教がわが国では縄文時代から今にいたるまで続いているのです。

 諏訪の神名火山(神那霊山)の蓼科山の女神は「ヒジン(霊神)様」と呼ばれ、縄文時代の阿久尻遺跡では環状列石の中央広場に置かれた石棒からの2列の石列が蓼科山を向いており、「山の神」=女神がやどる神名火山(神那霊山)信仰は縄文時代から現代に続いており、太陽信仰などどこにも根づいていません。「アマテラス太陽神」など皇国史観の幻であり、その迷信から覚めるべきです。

 なお、私は記紀に登場する「アマテル(天照)」は8世紀の創作ではなく、実在した4人の襲名アマテル(尊称を継承)を合体したものと考えています。記紀・新唐書・魏書東夷伝倭人条を分析すると、アマテル1は出雲生まれのスサノオの筑紫の異母妹、アマテル2はスサノオ7代目の大国主の筑紫妻の鳥耳、アマテル3は筑紫鳥耳・大国主王朝11代目の卑弥呼(大霊留女:霊御子=霊巫女)、アマテル4は壹与(卑弥呼の後継女王)になります。―『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ(~115まで)     http://blog.livedoor.jp/hohito/

 帆人の古代史メモ2(116~)          https://hohito2024.blog.jp/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート       http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/



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