カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

たんば色の覚書

2009-03-29 19:14:07 | 本日の抜粋

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アメリカへの研修留学を命じられたというのは、次はアメリカに赴任しろというでもありましたが、私はそれを断って、ハノイに行きたいと会社にいいました。そのときの上司は、まるで私を狂った猿かなにかを見るような眼で見ました。やはりマスコミにとってハノイというのは取るに足らないところというのが本音なのですね。大事なのはワシントンであり、ロンドンであり、東京なのでしょう。でも私はそうは思わない。本当に大事なところは、まだ二歳か三歳の赤ちゃんの背中にナパーム弾が落とされるところであり、子供が飢えているようなところだと思うのです。そういう場所こそが世界の中心であるべきなのです。世界の中心と私たちをつなげるものは想像力しかありません。必ずしも現地には行けなくても、私たちには想像力というものがある。しかし私たちはいま、他者の痛みにまで届く想像力の射程をもちえているでしょうか。

講演会の冒頭にCCRの「雨をみたかい?」をかけてもらって、私がなにを申し上げたかったというと、じつは私たちの何気ない「日常」ということなのです。「雨を見たかい?」の背後にはベトナム戦争があり、それはアフガンやイラクの悲惨きわまりない現実にもつながっている。それは私たちの日常とは関係ないことなのでしょうか。私はまったくそうは思わないのです。
「雨を見たかい?」という曲は日本のテレビのCMで使われました。(中略)ここには言葉を失うようなこの時代の無限循環構造がある。それは、残虐な死の記憶を背負った曲でさえも、大企業の資本というものは平気で呑みこむということです。私たちの日常というのはなんでしょうか?現代史の生々しい記憶は、CMのなかの美しいメロディやカッコいい車の姿によってすべて隠されてしまっている。(中略)私たちの日常のなかには、たくさんの死が埋めこまれている。

辺見 庸 『たんば色の覚書』より 毎日新聞社

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CCRの「Have you ever seen the rain?」の中の歌詞「It'll rain a sunny day(雨が降るだろう 晴れた日に)」「shinnin'down like water(キラキラ光りながら雨のように降る注ぐんだ)」がナパーム弾の事だったとは知らなかった。

晴れた日には気を付けよう。

作戦にゴーサインが出る日だから。