蒲田耕二の発言

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「ニガー」

2015-06-25 | 文化
オバーマが公開の場で差別語を使い、波紋を呼んでいるらしい。東京新聞デジタルの記事を引用すると、「人前でニガーと言うのが失礼とかいう問題ではない」。

これだけでは、まるで差別肯定みたいに聞こえるが、オバーマは人種差別はまだ克服されていないとも発言しており、要するに差別は用語の問題ではないと言っているのだ。

国際婦人年の期間中のことだから、随分と古い昔の話だが、東京で開かれたとある国際会議を思い出す。出席者の一人のジョン・アーヴィングが、検閲がある状況よりもポルノグラフィが氾濫する状況の方がマシだ、と発言した。言論の自由の大切さを訴える発言だった。

するとたちまち、スリランカその他の女性運動家たちが猛反発した。「ポルノは女性の性的搾取だ」「女性の肉体を商品化するものだ」「アーヴィング氏は女性を貶めるつもりか」

お説ごもっとも。でもさあ、論点ずれてない? アーヴィングは別にポルノを肯定し、推奨したわけではない。比喩として持ち出したにすぎない。

オバーマの「ニガー」は、この騒ぎを思い出させるんだよなあ。米大統領が「ニガー」を表立って使うことは何世代もなかった、などとNYタイムズまでが言わずもがなの記事を書いている。

ま、最近のオバーマは多国籍企業の手先と化してTPP成立に狂奔するなど、ノーベル平和賞の面汚しでしかなくなってるけどね。

ついでに、ひところ日本で異常なまでの言葉狩りが横行したことも思い出す。いや、いまでも横行しているのかな。『ちびくろサンボ』が廃刊に追い込まれたり、江戸落語の多くが演じられなくなったり、筒井康隆が休筆宣言を出したり。当時、特定の個人が差別語探しにせっせと精を出していたらしい。

こういう病的な正義感に駆られた人物は、次の特徴を持つ。単語のみに反応し、文脈は考慮しない。「正義」を実行する自分に陶酔し、反対意見には聞く耳を持たない。

こうした独善がファシズムに向かうことは、言うまでもないだろう。違憲の安保法案、辺野古の基地移設、予算オーバーの新国立競技場建設その他、諸問題に対する現政権の姿勢と一緒。

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