前回記事 からの続き。
戦車の歴史について、第三弾。
・『白の場合』
1939年9月1日、ファール・ヴァイス(白の場合)作戦に基づきドイツ軍がポーランド領へ侵攻開始、
第二次世界大戦が始まった。
この時のドイツ軍の戦車戦力は、装甲師団が7個と軽装甲師団が4個で、
戦車の保有合計数は総計3466輌。
その全てがポーランド戦線に投入された。
しかしその戦車の内、対戦車能力を有する戦車はわずかに過ぎなかった。
内訳としては以下である。
名称 | 主武装 | 配備数 |
I号戦車 | 7.92mm機関銃 | 1445輌 |
II号戦車 | 20mm機関砲 | 1223輌 |
III号戦車 | 37mm砲 | 98輌 |
IV号戦車 | 75mm砲 | 211輌 |
この他にはチェコから接収した軽戦車や、対戦車能力を有しない指揮戦車などが含まれる。
そして対戦車砲を有したIII号やIV号戦車は、全体の1割にも満たない。
スペイン内戦で対戦車能力の必要性が認識されたといえど、
この時はまだまだ生産が間に合っていなく、
WWI型設計思想の豆戦車であるI号やII号戦車が数の上で主力であったのだ。
しかしポーランド戦役ではこれでも十分な戦力だった。
ポーランド軍の配備戦車は432輌しかなく、
それもほとんどはドイツ軍のI号戦車に相当する豆戦車であったので。
ポーランド軍は歩兵36個師団、騎兵10個師団に対し、戦車大隊8個と、
「騎兵重視・戦車軽視」ともいうべき中世然とした装備体系だったのだ。
ポーランド軍騎兵部隊は"フサリア"と呼ばれ、
中世から近世まで欧州随一の騎兵部隊としての伝統も実績も申し分なかった。
その高い練度と機動力、勇猛さは1919年のポーランド・ソ連戦争でも発揮され、
軍上層部内に近代戦でも騎兵は有効であるという遺産を残した。
保守的なポーランド軍上層部は、新鋭兵器である戦車の可能性に懐疑的であり、
高コストでよくわからない兵器を揃えるよりは、
長年の運用実績がある騎兵に頼るのが手堅いと信じたのだ。
ポーランド戦役に於ける投入兵力自体はポーランド軍110万人に対してドイツ軍80万人と数的優勢であったものの、
爆撃機や戦車部隊、無線機なども活用した当時としては先進的な機械化を遂げているドイツ軍と、
機械戦力を軽視し、また工業力も十分ではなかったポーランド軍では、数の差以上の質的装備差が生まれていた。
このようなポーランド軍を相手取るにあたり、
ドイツ軍戦車の対戦車砲搭載率はさほど問題ではなく、
むしろ多数の歩兵や騎兵を相手取るには機関銃や機関砲のほうが都合が良かった。
結果的にドイツ軍はわずか約1ヶ月という劇的な速度でポーランドを下した。
ドイツ軍の電撃的なポーランド攻略は、自動車は騎兵を代替することを実証した。
そしてスペイン内戦と同じく数々の実戦結果が得られたが、最も大きな成果は、
ハインツ・グデーリアン将軍の機動戦思想がドイツ将兵に戦果を以て理解されたことである。
ドイツの戦車部隊も自動車に乗った歩兵部隊も、グデーリアンの機動戦がわからなかった。
しかし実際にポーランド戦役を戦っていく中で、偵察の為や地形によって立ち往生するたびに、
グデーリアン将軍の怒号が飛び、無理やり動かされていくことが頻発した。
それにつれて、今までこのような戦いを経験したことがない将兵たちも、
自身の機動力が敵軍部隊に精神的動揺を招き、
混乱させ降伏に至らせることを真に理解していった。
機動戦を唱えた将軍も、全く新しい戦術を与えられた兵隊たちも、
圧倒的勝利と戦果によって、機動戦に確証と自信を抱くことになったのだ。
このことは、次の戦役でさらに大きな成果へと結実する。
続き 戦車の歴史(4) ~ 電撃戦 ~ |
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パンターいいじゃん!
バランスとれてて最強ってかんじ。