ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 アブラチャン!!! 』

2014-10-05 16:20:18 | 日記

             


yが出掛ける山の沢筋でよく「アブラチャン」を見掛ける!
木々にも依るがタワワに付いている個体もある!!!
好みは、間もなく皮が弾け、1cmに満たない粒粒した実が落ちて地面を賑わす!!!
この木は、枝等折るとやや青臭い臭いを発し一寸刺激的な威圧感を覚える!
しかし、ドッコイ、その名が示す通り、この実からは多量の脂が収穫出来その昔は、灯取りの燃料にも使った程だと言う・・・

悪餓鬼の頃、学校帰り、この実を拾い、鞄やポケットに突っ込み、翌日、学校の勉強机をこの油で磨いたものである!!!
テカテカに光沢を発するから机は見違えるようになる!!!

山で「スガレ追ひ」をしているとタワワに実った「アブラチャン」に出っ化した!!!
画像に・・・






こうして深山の沢筋で出っ化すと悪餓鬼の頃の一齣を思い出してしまう・・・

さてさて、昨日のサッカー:J-2 アウェー戦松本山雅横浜FCは痛快だった!!! 
実は、出掛けたかったが、気が付いた時には、チケット完売でどうする事も出来なかった!!!
今、横浜はスタジアムの芝の養生に入り、味の素西ヶ丘球場を代替わりに使っている。
此処は小さな球場で、精々、7500人しか入れない!言う・・・でもここは、その昔、国際試合までした名門スタジアムである!!!
最初からチケットが買えない事は判っていた!!!

依って TV 観戦に!!!
会場はアウェー戦にも拘らず半数の観客は松本からのサポーターで埋め築された!!!
大応援団である!!! 3000人近いサポーターが駆け付けた!と言う・・・
その所為あってか試合開始2分後、セットプレーから1点を叩き出す!!!   
こういう時の松本山雅は、実に、強い!!!
終始翻弄させ、圧力を掛け続けていた・・・
シュート20本やコーナーキック8本と・・・、でも判る通り、攻め捲り20で快勝した。

ジュビロ磐田がまさかの敗着、またまた、勝ち点差が開き、8とした!!!
磐田はあれだけのタレント:前田、駒野、伊野波、松井とを要しているが、取り溢しが多過ぎる!!! そんなお陰でヒョットすると松本山雅は、プレーオフ無しの2位で自動昇格が勝ち取れるかも知れない?
サッカー通の倅が言うのに、残り7試合で勝ち点差がこれを上回っていると下位チームは、中々、追いつけないのがこの世界だそうだだ!!!と、断言していた。
嬉しいような、また、J-1で苦しむような?コソバイ気持だった。。。
サッカーの世界では終盤に掛ると先行勝ち点差がモノを言うと言う!!! 
来週はホームでエレベータチーム大分と対戦する!
そうは言っても昨年、J-1に居た!!! 侮れない底力を持っている・・・

愈々、佳境に入り、面白味が倍増してきた!!! 
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     『 金(かね)っ栗(くり)・・・ 』

2014-10-05 14:55:58 | 日記

             


秋も深まり、今、山を歩くと色々な秋の収穫にアヤカエる!!!  
アケビにシラクチ、小梨にヤマボウシ!、そして、何と言っても山の王様、栗の実!!! 栃の実もオモロイ!!!
この辺では栃の実は殆ど食さないが、栗の実は昔から秋の恵みだった。
老い耄れ爺は戦前派の人間で物心が付き出した頃、第2時大戦に入っていて国民学校に入るか入らない頃から小さいながら飢えとの戦いが始まっていた。
山師で生計を立立て居た親父さん、戦争が深刻化すると統制経済下におかれ商いが出来なくなっていた!!!
親から貰った僅かな田圃で米作りをしていたようだ? 言うなれば3反百姓にも及ばなかった。
僅かな収穫のコメは強制的に供出にさせられ、我家はジャガイモと麦が食の中核だった!!!
こんな中でも、毎年、秋が近付くと秋祭りが開催され村中で収穫を祝ったモノだった。

このお祭りが近付くとお袋は何処から手に入れたか?餅米を蒸かしお強を作ってくれた!!!
お強と蒸かし饅頭がお袋さんの十八番だった。
このオコワには山栗が欠かせられない味付けで、未だ幼少の老い耄れ爺にこの収穫を託された!!!
未だ5~6歳の頃から親父さんの後を纏わり付き山歩きをしていたので近隣の山々は知り尽くしていたので、お袋は老い耄れ爺に栗茸や栗の実の収穫を懇願したものだ!
中でも栗の実はお祭りには欠かせられない一品でお強の中心的存在だった!!!
そんな訳故に当時寒村では山栗は貴重な存在だった!!!
お祭りの頃になると栗の実は笑んでポロポロと落ちる!!!
これを拾い集めるるのが子供達の日課だった!!!
秋の台風が来るとこの時とばかりに雨や風邪等吹き飛ばし栗拾いに興じた!
それでも拾えない時は、毎日のように出掛け、栗の木に頭大程の石をドスン!ドスン!!!飛ぶ付け大木を揺さぶり栗の実を叩き落とす!!!
言うなれば生活の知恵だった!!!
こうして、出掛ければ1升や2升の栗の実を拾って来たものだ!!!
そして、栗は黄金色に色付いて居たので、子供達の間ではこれを「金っ栗」と呼んでいた・・・

「金っ栗」の思い出話でこんな事もあった。
釜無山の畔砥(くろとぎ)という地帯には栗山が多くこの「金っ栗」がザラザラあると言う話を聞き、友達の松岳獲りの親父さんに連れて行って貰う話が持ち上がった・・・
蔦木沢まで降り、そこから釜無し川に沿って標高1300m地点まで登る!!!
其処は熊の生息地域で極めて危険な行軍だった!
出掛ける際、親父さんから熊に出会ったら動かなく死んだ振りをしてジッと死んだ振りをしていろ!!!と、何度も何度も伝授されたものだった。
子供ながら1斗近い収穫をして唸りながら背負い降ろして蔦木坂を背負い上げて来た記憶は、今直、新しい!!!
「金っ栗」の思い出の一齣である・・・

さて、今時「スガレ追ひ」に出掛けるとこの「金っ栗」がシコタマ落ちている・・・
近年、小粒の「金っ栗」は、後処理が面倒故見向きもしなく蹴飛ばして歩いているが、先日はザラザラ落ちて居る場所に出っ化した!
どうしようか迷ったが、「蜂追い」には見切りをつけこれを拾い出した!!!
アッと今にズボンやシャツのポケットが一杯になりシャガムとボロボロ落ちる程だった。



2升近くあったかも知れない?
毎年、迷いながら疑心暗鬼で拾う事もあるが、子供の頃からの「金っ栗」には何となく愛着が湧く!!!

さて、この処分にハタと悩んだ!!!
そうだ「栗飯」か「栗強」にして食べて見よう!!!と・・・
それにしても量が多かった!!!
そして思い付いたのは、「そうだ!、英ちゃんの所に押しつけよう!!!」と、恐る恐る電話をした。
貰ってくれると言う・・・  
そして、その晩、残りの処分に掛った!!!
「金っ栗」の皮等剥いた事もない!!!
包丁やナイフ、ニッパ等使い始め出したが、容易の沙汰では成し遂げられない!!!難易作業だった。。。
4~5個剥いた所でgive up !!!
婆に聞いて見た。
婆は大栗だが茹で上がり品を包丁で剥くと言う!!!
しかし、小栗の「金っ栗」と大栗では訳が違う!!! 実に掴み難い!!!
この一言とにヒントを得て、栗の底の部分に包丁で切り込みを入れマイナス(-)ドライバーで抉て見た!!!
するとうまい具合に剝ける事が判った!!!  
「コレだ!!!」
窮すれば通ず!!!!!  
難題は一挙の解決した!
しかし、渋皮を剥くのは大変らしい!!!
婆は2晩苦戦していた!!!

しかし、「金っ栗」の「栗飯」や「栗強」は、大栗と違いホクホク感があり別格美味しい!!!  




悪餓鬼の頃覚えて居た味そのものだ!!!
渋取りの巧い方法を見付けられれば「金っ栗」広いを積極的にしたいモノだ!!!と・・・ お袋さんはどうして剥いていただろう?
幼少の頃の記憶を思い出しながら婆の作ってくれた「栗御飯」と「栗お強」を噛締めながら堪能した!!! 
 

信州の山は、秋の豊作で満ち溢れている!!! 
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