夜半に降った雪は、朝方には氷雨に変わっていた。
散歩に出かける頃も、あたりは薄暗くて寒い。
雨で雪はすぐに解けてしまったが、前山の尾根は夕方まで薄化粧をしたままだった。
終日雨が降ったり止んだりの寒い一日で、名古屋の気候との違いを今更ながら感じる。
お付き合いのあった近所のお年寄りから、餞別の品を色々といただいた。
お米や大豆、味噌など、いずれも丹精をこめて作ったものばかりで涙が出るほどうれしい。
むかし、行商人への支払いは、米や大豆が使われたといわれる。
現金収入の少ない時代に育った人たちの、米や大豆に対する思い入れの強さを聞いているので、ありがたさが身に沁みる。
外出できない94歳のおじいさんが、足の弱いおばあさんに手紙を託して、雨の中を届けてくれた。
最近おじいさんが惚けてきたと嘆いていたが、文章も文字もしっかりしていて、とてもおばあさんの言うようには思えない。
野良仕事を教わり、マムシ酒の仕込み方まで手ほどきを受けた師匠の一人だが、今は老夫婦だけでひっそりと暮らしている。
残された日が少なくなり、素朴で親切な山里の人たちとの別れが、日増しにつらくなる。
三年ぶりにお伺いしましたが、変わらない風景に癒されました。でも確実に過疎化は進んでいることをお聞きし、継続して入られる若い方がとても頼もしく感じました。
記念写真も宝物になりました。いつまでもお元気でお過ごしください。私は私なりにこのご縁を大切に、夢を持ちながら頑張ります!!
※おじいさんのお手紙とても感動しました。
可愛いお子さんが3歳とのこと。時の流れの早さを感じました。
これからも触れ合いを大切にしたいとおもいます。
子たぬき?共々楽しくお暮らしください。
ご近所のおじいさん、おばあさんからの餞別やお手紙の記事を読み、私も自分のことのように、別れのつらさを感じます。
山里の景色や自然環境は素晴らしいものですが、それは、やはりそこに住んでおられる人とのつながりがあってこそのものだろうと思います。
私も高山の住人ながら、山里さんのおられた地域の小学校に勤める前までは、その地域は自分とは関係のない遠い所という感覚でした。
でも、地域の方とのつながりができた今では、とても身近に感じ、何かと用事を作っては、訪れたい場所になっています。
若いお二人が後を引き継いでくださるというのは、嬉しいことですね。地域の方々も喜んでおられることでしょう。
山里さんも、名古屋でお元気にお過ごしください。そして、時々は高山へも遊びにいらしてくださいね。
またまた長々とすみませんでした。
お疲れ様でした。
名古屋からの便りを楽しみにしています。
約10年の山里の人々との交流の濃密さ、山里の人たちが貴兄に抱いていた信頼感と親しみ、名古屋に帰ることに伴う心遣いがじんわり、じんわりと心に沁みます。
年と共に涙腺が弱くなっていますが、27日のブログはそのせいだけではないことは確実です。
貴兄の名古屋暮らしの健康と山里に残るお年寄りたちの健康、元気な日常を心から願ってます。
豊かな自然が、人々の心まで温かく育むのでしょうか。
名古屋から戻ってくる時は、小学校の脇を通り氏神さまから集落を見下ろして、いつも心が和みました。
校庭を散歩するカモシカや小熊のコロちゃんの話も懐かしい思い出です。
雪上運動会のそり滑りで、先生に抱きついて下る低学年の子や、怖がる先生を大声で励ます高学年の子の頼もしい姿も目に焼き付いています。
後を引き継ぐ若い二人は、地域に溶け込み活性化に貢献してくれるものと期待してます。
第二のふる里へは、時々おじゃまして旧交を温めたりしたいと思ってます。
今日の青空のように元気にお暮らしください。
名古屋ではどんな暮らしが待っていることやら・・・
ネタ探しでもしてみます。
都会と違い山里のみなさんの温かさが伝わってきます。
山里で過ごされた日々は山里さんの宝物ですね。
最後もきっちり締めくくられて尊敬致します。
過分なコメントにも痛み入りました。
私もここ数日は、熱いものがこみ上げる毎日です。
貴兄の著書「薪ストーブ賛歌」と「氷壁・ナイロンザイル事件の真相」を、後を引き継ぐ人にプレゼントしました。
本格的な山男で、薪ストーブのある暮らしが夢だった彼には、打ってつけの本です。
館主さんも元気で山里暮らしをお楽しみください。
大事な宝物として名古屋へ持ち帰ります。
山里暮らしが終わることなく、違う形で引き継がれることに安堵してます。
装い新たに、山里暮らしが間もなくスタートします。