京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

飄亭本店の"朝がゆ"

2024年07月10日 08時18分00秒 | 日記
 7月8日は、飄亭本店へ。







飄亭では名物の"朝かゆ"は普段は別館で提供されますが、7月と8月は本店で頂く事が出来ます。
別館に比べて2千円ほど高いですが、人気があります。

昨年も来ましたが、やはり本店と別館とでは雰囲気がまるで違います。







この茶庭のような独特の雰囲気は飄亭本店独自のものです。

離れが点在していて、どの部屋になるのかも、当日仲居さんが案内して頂くまでわかりません。









今回は飄亭で一番広い広間を障子で二分割された部屋で10畳はある広い部屋をふたりで独占させて頂きました。













暫くすると最初の御膳が運ばれて来ました。

芋茎、煮物、賀茂茄子、ぐじの寿司に名物の"飄亭たまご"が三段の器に盛り付けられています。

どの料理もいいお出汁で焚かれ「これぞ飄亭の味」を堪能出来ます。







椀物のお出汁、鮎の塩焼きも非常に美味しいです。











最後の"かゆ"です。
熱々のものが提供され、出汁の効いた餡を掛けて頂きます。

既に、ご当主が高橋英一さんから義弘さんに代替わりしていますが、伝統の味は引き継がれ、変わらぬ味で提供されているのが嬉しい限りです。











お会計を済ませて、お庭を散策しました。
庭園内には琵琶湖疏水によって運ばれて来た琵琶湖の水が巡っています。



庭園の散策を終えて、店を出ると十五代目ご当主の高橋義弘さんがおられ、記念に写真をお願いしました。

お父さま同様に気さくな方で、今後のご活躍が大いに期待されます。








京都ブライトンホテル京懐石螢「雅の会」七夕

2024年07月09日 07時53分00秒 | 日記
 7月4日は、京都ブライトンホテル京懐石「螢」の恒例行事"雅の会"「七夕」に京都仲間のKさんと参加しました。





会場は京懐石「螢」の離れの「翠光菴」です。
季節の節句の三日間開催されますが、毎回、すぐに満席になる人気の企画です。







毎回そうですが、"お献立"を見るだけで出される料理に期待が高まります。





前菜から料理長のアイデア溢れる内容です。

普通は秋口に出回るいちじくを使った田楽やしめ鯖湯葉サンドには和食の枠を超えた工夫と美味しさです。







鮎のにゅうめん

出汁の美味しさといい、鮎の香ばしさといい非常に満足な一品です。
今回の節句のテーマ「七夕」にちなみ人参で彦星と織姫とがトッピングされています。







京都で魚と言えば「甘鯛(ぐじ)」、、、昆布の旨みが甘鯛に移り甘鯛の旨みが倍増しています。

ぐじの鱗もパリパリで食感が抜群です。







"きす"の霰(あられ)揚げは、初めて頂きました。

普段は天ぷらで頂く事が多い"きす"ですが、出汁の効いた餡掛けで頂くと非常に美味しいです。
天ぷらの衣が厚めに揚げられているので、魚の味もしっかりと感じられました。





7月24日の土用の丑の日を待たずに美味しい鰻を頂いてしまった感じです。
タレに頼る事無く、鰻本来の美味さで勝負されています。
焼き加減もさすがプロの技ですね。



毎回、コースの途中にある料理長のワンポイントレッスンも主婦の方に好評です。







京都の夏と言えば"鱧"ですね。
旬ではない大根と合わせるのはどうかなぁ?と思いましたが、意に反して美味しかったです。

出汁も美味しかったです。全て飲み干しました。





そろそろお腹の方も満たされて来ました。
ここで和牛サーロインは"キツイ"かなぁと思いましたが、味噌漬けにされているのでサーロインでありながら、さっぱりと美味しく頂きました。

全てが計算されていますねー。















最後のご飯は五色のお寿司です。
村山料理長はじめ4名の料理人の方が登場され、目の前でお寿司を握られるパフォーマンスがこの日の"目玉"でした。

トロ、うに、鯛、煮あわび、かいわれ大根の昆布締めの5品目ですが、皆さんのお腹の具合をちゃんと考慮され、シャリは小さめの握り寿司でした。

茶碗には"海鮮ちらし"が、、、、
多くの具材が入り最後の〆に相応しいちらし寿司でした。







最後のデザートまで目で、味で楽しませて頂きました。

ブルーハワイを彷彿させるデザートにはじゅんさいと白玉粉がトッピングされています。

フルーツも色とりどりです。

これだけのメニューを考えるのは毎回、大変な事だと思います。
村山料理長のアイデアと普段は京懐石「螢」では味わえない工夫された料理の数々に皆さん満足されていました。

次回の9月の「重陽の節句」にも期待度"大"で今から楽しみです。

村山弘司料理長さま、中島マネージャーさま、細川リーダーさま、いつもお世話になりありがとうございます。





ART MON ZEN KYOTO 「京焼を知る ふれる」

2024年07月08日 06時48分00秒 | 日記
 7月3日は、京都古門通にある「ART MON ZEN KYOTO 」へ。



郵送で届いた「京焼を知る ふれる」に関心が沸き応募しました。







美術館に宿泊する」をコンセプトにしたホテルは、鴨川にほど近い祇園の北部、京都随一の古美術街として知られる古門前通りに位置しています。お客様を迎えるのは、風格のあるオールドバカラのシャンデリアと、季節、時間そして時には人に合わせて設える美術品の数々。玄関はもとより容室、廊下に至るまで今では手に入らない木材や石材を使った本物の京数寄屋建築の技を随所に施しました。

趣の異なる15の客室もそれぞれが美術品です。


集合時間が11時半と言う事もあり、一階で「懐石祇園松むろ」さんの大徳寺縁高御膳を頂きました。

祇園の北側、古門前通の趣溢れる街並に佇む「祇園松むろ」。京都屈指の名料亭で腕を磨いた店主の松室治隆さわんが、自ら厳選した旬の食材でつくるおまかせ懐石が人気です。














ご主人も来店され、料理の内容を詳しく説明して頂きました。

こちらのご主人、、、有名料亭「飄亭」で長年にわたり腕を磨かれた料理人です。



数年前に独立され、祇園からは少し外れた古門通に店を出されました。

あくまで正統な京料理で出汁の美味しさといい、食材の吟味といい、全てに満足の行く縁高御膳です。











小磯良平の絵



梅原龍三郎の書



ホント、アートを感じるお気に入りのホテルです。







照明全体に優しい光が均等に放たれ、じっと見ているだけでも心が落ち着きます。

高価な美術品がホント、さり気なく使われているのがこのホテルの特長で、開店以来、多くの美術関係者だけではなく建築関係も含めて多くの見学依頼があるそうです。





京都祇園・古門前に店を構える美術茶道具商で、明治40年(1907年)創業以来、千家流の茶道具を中心とする国内の新古美術の逸品を販売しています。近年では中国をはじめ海外美術も数多く取り扱っています。




一階の中央には樂雅臣さんが作られた水琴窟が置かれています。


食事を終え、ホテルの西側にある中西松豊軒の一階で中西輝之社長の「京焼きを知る ふれる」の講演が約1時間ありました。

内容は①京焼の歴史、その探求と特質についてでした。

中には業界の内輪話や"そこまで言っていいの?とこちらがひやひやする内容まで、聞いていて飽きが来ない内容ばかりでした。

その後、二階に上がり「樂」・「仁清」・「古清水」・「幕末や現代の陶工作品」について説明を受け、実際に触れる体験をしました。


銹絵(さびえ)小色紙詩画向付 尾形乾山
写真では五客ですが、実際は十客です。





鶏擿七宝透香炉 野々村仁清

このような貴重な美術品を実際に手に取って鑑賞させて頂きました。
美術館や博物館でガラスケース越しでは決して体験出来ない事です。





吉祥院天満宮界隈を歩く②

2024年07月06日 07時51分00秒 | 日記
 6月25日の続編です。 







① 香泉寺

清公墳墓のあと香泉寺へと来ました。
浄土宗西山禅林寺派のお寺ですが通常非公開です。

昔、この辺りが洪水にみまわれた時に道真の父君・是善公の墓石が流れ着いたそうです。

この事から是善公の墓所とされていますが、詳細は不明だそうです。









② 鑑の井(石原の井)

吉祥院天満宮まで帰って来ました。

社伝によると、承和12年(845)6月25日に菅原善公の子として道真公が誕生され、貞観4年(862)に18歳で文章生(もんじょしょう)に合格されるまでは、この吉祥院の地に住まわれたそうです。

鑑の井は道真公が役所に参勤される際に姿を写した井戸と言われています。





③ 菅公胞衣塚

菅原道真公の出生地は菅原院天満宮、菅大臣神社、そしてここ吉祥院天満宮とが伝承されています。

胞衣塚には道真公が降誕された時の「へその緒」を埋めたところで、「初宮参り」には本殿参拝の後に胞衣塚に参り、子供の鼻をつまんで泣かせ発声の初めとし、また、天満宮では、この塚の小石を「お喰い始め石」として授与されています。




④ 吉祥院天満宮

菅原道真公が亡くなられて31年後の承平4年(934)に、朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮です。



⑤ 吉祥天女堂

道真公の祖父・菅原清公が遣唐使として唐へ向かう途中に暴風雨に襲われた時に、同船していた最澄と共に「吉祥天女」に祈り、無事に帰国できた事から、後に吉祥天女像を彫み、ご本尊として大同3年(808)に「吉祥院」が今理されました。
以降、国家鎮護の祈願所、また、菅原家守護の本尊とされています。



⑥ 文書院(もんじょういん)聖堂跡

菅原清公が設立した学問所で、多くの学者・学生が集まり紀伝道の研究発表が行われた場所です。

平成16年に竣工した参集殿に文章院の名が残されています。



⑦ 六斎念仏

京都の盆行事として8月25日に行われる六斎念仏の代表的な伝承地で中心的な位置を占めていました。

かっては八組の六斎講が競い合っていましたが、幾度か消滅の危機を乗り越えて唯一残された菅原町の六斎組によって伝統が今に伝えられています。

吉祥院天満宮の周辺だけでも、これだけの遺跡や伝承が残されています。

菅原道真公がいかに神格化されてきたのかがわかります。










吉祥院天満宮界隈を歩く①

2024年07月04日 08時09分00秒 | 日記
 6月25日は、菅原道真公の誕生日です。
そこで、道真公が誕生したと言われる吉祥院天満宮界隈を散策しました。

京都市内には北野天満宮をはじめ、菅原道真公ゆかりの地が多く残りますが、南区に残る道真公ゆかりの遺跡は意外と知られていないと思います。



① 六田の社

別名を"音ききの社"と言い、道真公は、この社で秋の月夜に虫の音を聞き、詩歌の題材にされたと伝わります。

現在は東レコーテックスの敷地内に碑が建っています。









③ 菅氶相硯之水碑(かんじょうしょうすずりのみずひ)

道真公幼少期にこの湧き水を手習いに用いたところ書道が上達したと伝わります。
今は枯れ井戸となっていますが。井戸の石組みは、平成26年(2014)頃に復元されています。







④ 菅原清公(きよきみ/きよとも)墳墓

菅原道真公の祖父で、平安時代初期の公卿であり文人でもあった菅原清公(771〜842)の墓とされています。

地元では「おこり山」と称され立ち入り禁止だったそうです。

平成25年(2013)に墳丘に御影石を敷く整備が行われています。

続編に続きます。