6月25日の続編です。
① 香泉寺
清公墳墓のあと香泉寺へと来ました。
浄土宗西山禅林寺派のお寺ですが通常非公開です。
昔、この辺りが洪水にみまわれた時に道真の父君・是善公の墓石が流れ着いたそうです。
この事から是善公の墓所とされていますが、詳細は不明だそうです。
② 鑑の井(石原の井)
吉祥院天満宮まで帰って来ました。
社伝によると、承和12年(845)6月25日に菅原善公の子として道真公が誕生され、貞観4年(862)に18歳で文章生(もんじょしょう)に合格されるまでは、この吉祥院の地に住まわれたそうです。
鑑の井は道真公が役所に参勤される際に姿を写した井戸と言われています。
③ 菅公胞衣塚
菅原道真公の出生地は菅原院天満宮、菅大臣神社、そしてここ吉祥院天満宮とが伝承されています。
胞衣塚には道真公が降誕された時の「へその緒」を埋めたところで、「初宮参り」には本殿参拝の後に胞衣塚に参り、子供の鼻をつまんで泣かせ発声の初めとし、また、天満宮では、この塚の小石を「お喰い始め石」として授与されています。
④ 吉祥院天満宮
菅原道真公が亡くなられて31年後の承平4年(934)に、朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮です。
⑤ 吉祥天女堂
道真公の祖父・菅原清公が遣唐使として唐へ向かう途中に暴風雨に襲われた時に、同船していた最澄と共に「吉祥天女」に祈り、無事に帰国できた事から、後に吉祥天女像を彫み、ご本尊として大同3年(808)に「吉祥院」が今理されました。
以降、国家鎮護の祈願所、また、菅原家守護の本尊とされています。
⑥ 文書院(もんじょういん)聖堂跡
菅原清公が設立した学問所で、多くの学者・学生が集まり紀伝道の研究発表が行われた場所です。
平成16年に竣工した参集殿に文章院の名が残されています。
⑦ 六斎念仏
京都の盆行事として8月25日に行われる六斎念仏の代表的な伝承地で中心的な位置を占めていました。
かっては八組の六斎講が競い合っていましたが、幾度か消滅の危機を乗り越えて唯一残された菅原町の六斎組によって伝統が今に伝えられています。
吉祥院天満宮の周辺だけでも、これだけの遺跡や伝承が残されています。
菅原道真公がいかに神格化されてきたのかがわかります。