京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

長楽館「御成の間」(京の夏の旅)

2018年08月26日 14時55分32秒 | 日記
今日8月24日は円山公園の西側にある長楽館「御成の間」の特別公開に行ってきました。





長楽館は、「たばこ王」と言われた明治の実業家 村井吉兵衛によって建てられた京都における迎賓館的な建物です。その名は伊藤博文が宿泊した際に命名されました。設計はアメリカ人技師J.M.ガーディナーで、明治42年の竣工です。
1階、2階はロココ様式で客間には暖炉が備わり壁、天井には植物模様のレリーフが飾られています。









ところが、茶室、3階は打って変わり和風の趣きになります。「御成の間」の天井は折り上げ格天井で飾り金具には村井家の家紋の三つ柏の意匠が施されており、また照明はバカラ者製シャンデリア、金箔をふんだんに使った襖絵、床の間、違い棚、付書院、花頭窓を配した書院造となっています。非常に格式の高さ豪華さを感じます。







茶室は「長楽庵」と名付けられており、表千家にある書院造の「残月亭」を模したと伝わります。







茶室入口前の扁額「和楽」は橋本関雪の書です。



村井吉兵衛は、京都の煙草商の次男として生まれ、9歳で叔父の養子となり煙草の行商を始めました。行商で得た資金を元手に煙草の製造に踏み出します。当時、煙草は全てが輸入品で、煙管(キセル)を使う葉煙草しかありませんでした。そこで日本初の両切り紙巻き煙草を製造し、明治24年に「サンライス」の商品名で発売、その後に発売された「ヒーロー」は、当時では奇抜な宣伝効果もあり5年後には年間生産量日本一となりました。しかし、明治37年、国は、日露戦争の軍費を調達する為に村井吉兵衛に1200万円の補償金を支払いたばこ事業を専売制としました。
当時の京都府の年間予算が約65万円、琵琶湖第一疎水の事業費が120万円であることから考えても1200万円の補償金がいかに大きな金額だったか、多額の補償金を払ってでも煙草の権益を欲しかった当時の政府の意図がよくわかります。
今でも増税論議に真っ先に出てくるのがたばこ税ですね!

その補償金を元手に村井銀行、東洋印刷、日本石鹸、村井カタン糸などの事業を展開し、村井財閥を形成しましたが、その後の金融恐慌で全て破綻してしまいました。

豊臣秀吉を彷彿させるのは僕だけでしょうか?


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