喜光寺は奈良の都のほぼ中央に位置し、養老5年(721)に行基により創建されました。
平城遷都1300年に当たる平成22年に実に450年振りに再興された南大門です。
平城遷都1300年に当たる平成22年に実に450年振りに再興された南大門です。
仁王像は彫刻家の中村晋也氏により制作されたブロンズ像です。
古くは地名から「菅原寺」と呼ばれていましたが聖武天皇の行幸の際、ご本尊より不思議な光明が放たれ、それを喜ばれた天皇より「喜光寺(きこうじ)」の寺号を賜っています。
行基は東大寺造営に当たり喜光寺の本堂を参考にしたと言われ、本堂は「試みの大仏殿」として知られています。
近くには菅原道真公の誕生の地と言われる菅原天満宮があり、喜光寺も学徳円満、合格祈願の寺としても信仰されています。
本堂(重文)は明応8年(1499)に焼失後の再建ですが重層構造の本堂には裳階が付いた建物です。
ご本尊は平安時代に造立された丈六の阿弥陀如来坐像(重文)です。
脇侍には向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の坐像が三尊形式でお祀りされています。共に南北朝時代の坐像です。
先日の台風で屋根の一部が損傷し、弁財天と宇賀神像は本坊にお祀りされています。
行基は、ここ喜光寺を東大寺大仏建立勧進の拠点とされ全国を行脚されました。
そして、天平21年(745)に、喜光寺で入寂されています。
最近、近くの菅原遺跡で古代建築史上、類を見ない奈良時代の円形遺跡が発見され、行基の供養塔ではないかと話題を呼んでいます。
本坊の一階には写経道場があり勧進が行われており、仏舎利殿や行基堂など伽藍の復興が続いています。
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