明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
12月18日はメルパルク京都の講座で「山ばな平八茶屋」に来ました。

















人気企画「京都の女将さんシリーズの第19弾です。
受付は11時30分からですが30分前に着きました。

中居さんに案内され席に着くと、名物"麦飯とろろ汁"にちなんで作られた茶菓子の"麦とろ饅頭"とお茶が出されます。
講座開始の12時までの時間を利用して庭園を見学します。







高野川に沿って作られた庭園は、茶庭を思わす"露地風庭園"と言うか"市中の山居"と言うか別世界に来た様な感覚になります。
敷き紅葉の庭には椿が咲き、ししおどしの音が響きます。



山ばな平八茶屋の"玄関"とも言うべき茅葺き屋根の"騎牛門"は生憎、修復工事中でした。
完成後は銅板葺きの屋根になるそうです。
(茅葺き屋根は約20年で葺き替えが必要で、今では資材や職人の手配が大変なようです。
山口県萩にある禅寺から移築された門で築400〜500年と言われています。
いよいよ12時になりパワーポイントを使い女将さんのお話が始まります。
①女将さんは島根県隠岐の島のご出身で京都に憧れて"山ばな平八茶屋"に就職されました。
習慣や風習の全く違う京都の事を大女将が根気よく丁寧に教えて頂き、常に感謝の気持ちを持たれています。
②"山ばな平八茶屋の歴史について
天正年間、安土桃山時代、初代平八は若狭街道の街道茶屋として小さな茶屋を開業。
名物の"麦飯とろろ"はこの頃から旅人に供されてきました。
③江戸時代に入ると小浜藩の脇本陣となり、その際に小鯛とぐじ(甘鯛)を供され、共侍にも鯖姿を渡していたようです。
④江戸時代には有名な茶屋となっていたようで安永7年(1778)刊行の当時のガイドブック「拾遺都名所図会」には"麦飯茶屋"として紹介されています。
⑤明治に入り、鉄道が施設されると次第に若狭街道は廃れてきて日本海の海産物が入り難くなって来ます。
店の横を流れる高野川や鴨川、琵琶湖などで採れる新鮮な川魚を仕入れ街道茶屋から川魚料理の料理店へと変わっていきます。
⑥昭和の終わり、二十代目の園部平八は川魚料理だけではなく、日本海の魚、特に高級魚ぐじを使った"若狭御膳"を始められました。


⑦江戸時代後期には頼山陽、幕末には岩倉具視、明治には夏目漱石、明治から昭和には北大路魯山人が贔屓にしています。中でも魯山人は十八代目と親交が深く、たびたび調理場にも顔を出していたようです。

(向かって左が十八代目、椅子に座っているのが北大路魯山人です。)
川魚のごりの飴炊きを作っていた時に試食した魯山人は「甘すぎる」と指摘したそうです。その時十八代目は「これが平八の味や!」と反論したエピソードも残っています。
以上の内容で約1時間、女将さんのお話があり、いよいよもう一つの楽しみ「若狭御膳」を頂きます。
