勝持寺は大原野神社の奥に佇む古刹です。
寺の歴史は古く、白鳳8年(697)に天武天皇の勅により創建され、延暦10年(791)には伝教大師最澄が桓武天皇の勅を奉じて伽藍を再建されています。
その際、薬師瑠璃光如来を刻まれ、ご本尊とされました。
しかし、応仁の乱の兵火はここ西山にまで及び仁王門を残し全ての堂宇が消失しています。
阿弥陀堂にお祀りし、渡り廊下で繋がっている瑠璃光殿(宝物館)を拝観します。
平安、鎌倉、室町時代の仏さまが並ぶ光景は圧巻です。
鳥羽院の北面の武士だった佐藤義清は保延6年(1140)ここ勝持寺で髪を切り出家され西行法師と名乗ります。
その際にこの石を鏡代わりに使い髪を剃ったと伝わっています。
西行はこちらで草庵を結び一株の桜の木を植え愛したそうです。
いつしか世人は、この桜を「西行桜」と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになりました。
(現在の西行桜は二代目です。)
不動堂です。
弘法大師空海が眼病に悩む人達の為に不動明王に病魔退散を祈願されたところ霊験あらたかであり、お堂の奥の岩窟の中に石不動明王を刻み安置されたと伝わります。
参道でまたしても玉虫を見つけました。(既に死んでいましたが、、、)
季節が変わり、昆虫の世界でも夏の虫から秋の虫えと、いつの間にか変わっています。
応仁の乱の兵火を逃れた勝持寺で唯一の建物です。
次に在原業平ゆかりの十輪寺へと向かいます。