行基菩薩の偉業 当時の仏教は科学的要素が入った最高の学問だった! 治水の専門家によって浮き彫りになる事業の意義
2023.07.31(liverty web)
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近鉄奈良駅前の行基菩薩像。
現代まで続く、庶民を丁寧に埋葬する「墓地」の開祖は、奈良時代に活躍した行基菩薩であった。
この興味深い事実は、発刊中の本誌9月号「あなたは葬儀で死を悟る お墓と葬式はなぜ省けないのか」で紹介している。
コロナ禍で簡略化される傾向が強まっているが、お墓や葬式を省いてはいけない。その霊的な面から見た真実を伝えているので、お盆の季節にぜひご一読いただきたい。
本欄では、『日本霊異記』でもその霊力や威神力について紹介されている行基が、科学的な発想の持ち主であることを紹介し、科学をも含んだ高等宗教である仏教が持っていた救済力の一端をお伝えしたい。
長大な「溝」は、ため池への「導水路」と考えられる
「行基は渇水と洪水が踵を接して襲うという日本の水資源の特徴を知悉し、両用の備えを講じていた」(『行基と長屋王の時代』現代企画室刊)
建設省(現・国土交通省)で河川局長を務めた尾田栄章(おだ・ひであき)氏は、行基にまつわる史料を精読し、現地をも見分した上で、そう指摘する。
尾田氏は、工種別にまとめられた『年記』の記述を、行基の事業が行われた場所ごとに整理し直すと、従来の予想を超え、先進的で大きな事業の姿が浮かび上がることに注目。それを、不足する水を確保する「渇水対策」と、あり余る水を排除する「洪水対策」に分けると、渇水対策の典型は「ため池」造成であり、洪水対策の典型は「放水路の建設」にあたるという。
従来の歴史学者の研究では見えてこなかったことが、治水の実務経験者の分析によって、渇水対策と洪水対策の双方で、通説とは異なる事業の姿が浮き彫りになるというのだ。
例えば、尾田氏は、行基集団には、導水路をつくって川から水を引き込み、ため池をつくる技術があったと推定する。
『年記』では、兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)に対しては、「昆陽上池溝(3.6キロメートル)」と「同下池溝(3.6キロメートル)」、大阪府岸和田市の久米田池(くめだいけ)に対しては、「久米多田池溝(6キロメートル)」という具合に、ため池と溝がセットになっており、長大な溝はため池への導水路だと考えられるという。
また、地面を掘って溝をつくったとは限らず、二つの長堤の間に河水を流し、ため池に導く水路を「溝」と称した可能性を指摘する。
歴史学者が分析する「用水路」は、洪水対策用の「放水路」だった!?
業績として有名なのは、行基49院(僧院三四、尼院一五)のほか、「橋六、樋三、布施屋九、船息二、池一五、溝七、堀川四、直道一、大井橋一」と言われるが、『年記』には、従来見落とされていた、重要な建造物に関する記述があった。
尾田氏は、「堀川四」の内容を見た時に、思わず、わが目を疑ったという。
「幅が230メートル、180メートル、60メートル、36メートルの堀川が出てくる。河川の実務家から見ると、幅100メートルを超える堀川(水路)は洪水対策用の放水路以外にはあり得ない。船運には10メートル、普通の用水路なら数メートルで充分、それ以上になると逆に使い勝手が悪くなる。河川の実務家には常識である」(前掲書)
従来の歴史学者にはそうした知識はなく、「放水路は河川管理の切り札」になることも知らないので、記述の重要性を見落とし、この水路は船運のためではないかと議論していた。
放水路があれば川の水位が下がり、洪水時の堤防決壊を予防できる。放水路に分流させることで水位が下がると、その効果は上流部にまで及ぶ。洪水時には、水流と堤防が平衡状態にあるので、わずか数センチ、数ミリの水位の高さの違いで堤防の決壊の有無が分かれてしまうことがある。
さらに、平時には水田耕作を可能にするために水位を調整する機能がある。田植えの際には、田んぼの数センチの水位差で稲作ができるかできないかが分かれてしまう。その微妙な調整のために放水路が役に立つ。
こうした重要な機能を持つ放水路を、淀川中下流域に三つもつくっていた。三本の放水路(幅230メートル、180メートル、60メートル)で淀川の洪水を西へ放流し、淀川の水位を下げることを狙ったのだ。
さらに、沼地に余った不要な水を干し上げる排水路(幅36メートル)をつくり、灌漑施設を整備し、流域の土地の有効開発を計っていた。
尾田氏は、この治水事業は、江戸に幕府が開かれる頃に行われていた「利根川東遷事業」に似ているという。利根川の洪水を東に放流して江戸を洪水から守ろうとしたのと同じく、行基菩薩は、平城京とその周辺の民を守るために、淀川の治水に挑戦したというのだ。
仏教は、科学的要素が入った最高の学問だった
行基集団の中に、専門技術を持った者がいたことは確かだが、仏教僧である行基が、なぜこうした事業を数多く進めることができたのか。
大川隆法・幸福の科学総裁は、次のように指摘する。
「仏教の歴史においても、僧侶のなかには土木工事や灌漑工事などの得意な人がたくさんいました。たとえば、空海は満濃池という大きなため池を修築していますし、行基は、道路を直したり橋を架けたりといった土木工事をずいぶん行なっています。それ以外にも、仏教には、建築、化学、天文学や気象学、医学・薬学など、さまざまな科学的要素が入っています。このように、仏教には諸学全部が入っており、仏教は本来、最高の学問だったのです」(『信仰論』※書店での取り扱いはありません)
歴史を振り返れば、ユダヤ教、仏教、キリスト教、イスラム教といった宗教が、それぞれの時代、それぞれの地域において、大きな役割を果たしてきた。
だが、現代に目を向けると、科学技術の発展によって交通や貿易が活発になり、国や地域同士の結びつきが強まる反面、異なる価値観の間で、さまざまな衝突や争いが起きている。
新しい時代の、新しい課題に対しては、その課題を解決し、多くの人々を幸せにする思想を持つ新しい宗教が必要である。
【関連書籍】
『天御祖神文明の真実』
大川隆法著 幸福の科学出版
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